1 時 の 太 陽 ( 聖 )










夜の自販機の光は不思議なものだ。あれほど不気味に、馴染まずに佇んでいる個体も他に無いのに結局のところ、人を惹きつけるのには絶大な効果がある。並んで立っていたりするなら勿論相乗効果を発揮し、てかてかのボディまでつい歩いていってしまう。バス停より登場頻度は高いんじゃ無いのか、まるで現代版一里塚だ。握った缶の水滴がぽたりと滴って、サンダルに落ち私は思わず声をあげた。それは草の露の冷たさによく似ていた。


そっと抜け出した夜中はただ静かな色をしている。喧騒も何もかもは感情を込めること無しに流れ行く。寧ろその、感情までが沈んでいく。そんな時間。


右手のアイスティーからは、少しだけ背徳の香りがしている。いつもと同じ中身に外身なのに、渡す相手が違うだけでこうも、そう、気分がおかしくなる。針が、正にも負にも振れてしまって困る。こんな私を見たら渡し手はきっと、笑うのだろう。その種の笑顔は、彼女に、腹が立つ程とても良く似合う。



蓉子は一昨日からいない。出張なのよ、と申し訳なさそうに、けれど誇らしそうに。泊まりがけの研究発表。私に祝福された蓉子は本当に嬉しそうで、四日くらい何とかなるよ、と思わず安請け負いをしてしまった。



……実際に我慢出来たのは一日だった、なんて言えないな。



二日目に召還した江利子は、カップル料金で映画を見ようとかいう壮大でくだらない計画に人を巻き込みかけた挙げ句当然のように家に泊まり、今はレンタルDVDを無音で観賞している。字幕でも無いのにどこが楽しいのか。私には分からない。


邦画のタイトルを暫く考えてみて、出てくる前に私は諦めた。多分好みじゃないな。幸か不幸か彼女と趣味が一致することはそんなにない。そういえば、相違点を喜々としてあげつらった時期もあった。この闇は過去を浮かばせるのに最適だ。石塀に沿って角を曲がる。開けた、住宅地の光が途端に過去を薄めた。




「遅かったじゃない」

こちらの姿を見つけても、歩くだなんて殊勝なことはしない。彼女の視界の先には空があって、月があって星があった。薄められた天。江利子の喉元のラインは造形美として非常な美しさを誇っていて、私は思わず息を呑んでしまった。脳裏に浮かんだ、蓉子の拗ねた顔に反省。冷え切った両手をそっと心の中で合わせる。


「待ってたの?」

即席シアターに飽きたのだろうか。だとしたらあの色の無い包装をされたDVDは、案外好みかもしれない。先入観で判断してはいけない、とはよく言ったものだ。


「アイスティーを、よ」

珍しく月並みな台詞を吐く口目掛けてボトルを放る。軽く上がった眉がほぼ同時に顰められる。妙なところで器用さを発揮する江利子の手にしっかりと収まったのを見届けて、


「言うと思った」

取り敢えず笑っておく。取り敢えず、というところが重要なのだ。本気で向かい合うには、ここは明るさが半端過ぎる。
街灯が真っ直ぐに立っていて影を作っている。ぼやりとした影を。


「江利子ってさ、」

だから、彼女との気軽なキャッチボールの始まりはいつも唐突。


「街灯の光、似合うよね」

でもこう告げたときの顔は、ちょっと見物だった。


「……嬉しくないわよ」

そう返すのが本気なのか冗談なのかは、判断しにくいけれど。呆れという要素は多分に含まれていた。やっとしっかりこちらを向いた彼女は、ついた陰影が、どきりとするくらい艶めかしくて。
私は手と温度の近づいた缶を中身ごとくるりと回す。時間稼ぎだ。彼女の近くまで歩いていくための。



「綺麗、って言ってんのに」

「貴女に言われてもねぇ」

素っ気なさに含み笑いが混じってきていることにはとっくに気づいている。今ここに蓉子もいればいいのにな、とすごく素直に感じて。ああでも、蓉子には昼間の方が似合うと考えて、我に返る。江利子は至近距離で、私をペットボトルの底で押し留めた。額に触れる冷たさが、昔あった、お化け屋敷のこんにゃくみたいな感触で一瞬背筋が冷えた。



「……今、日中なら良かったのになあ」



呟きを見逃してもらうには、私は少々江利子に接近しすぎていた。
しかし彼女の方も聞き流すことに失敗したらしい。気まずい沈黙が流れる。夏の風は、無情にも凪いでいて。



「ま、だけど地球の反対側なら昼真っ最中か。早く蓉子に会いたいなあ」


やや早口で本音をまとめて彼女の影を踏み越える。シルエットまでひとつの作品のようだったけれど結局のところこれは江利子だ。構うものか。



「……蓉子は大阪よ?」



疑問符の端は高い空へと消えていった。


無意識に出した手を叩かれる。さっさと引っ込めて半人分の隙間をあけた。これが定位置。手を伸ばせば、届くくらいの。




何よここにも自販機有るんじゃない。
一里塚だからね
何よそれ。あ、でもこっちの銘柄の方がやっぱり好きだわ
あーうん、私も。入れ替えてくれないかなあ
頼めばいいんじゃない?
……どこによ?
さあねえ




不自然なくらい蓉子の名前の出ない話をした。江利子に気遣いなんて似合わないのにな、と失礼なことを考えていたら案の定しっかりと見抜かれていた。
別に振られたわけじゃない。ちょっとだけ、そう、ちょっと寂しかっただけのこと。転がされて波打っている液体を大きく煽る。


ついでのように見上げた空にはやっぱり太陽なんて無かったけれど。





もう少しは我慢出来るかな。

書きかけのメールを消去して小さく笑った。






























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