5 時 の 白 ( 江 利 子 )







目覚まし時計をかけ間違えた、なんて。
滑稽もいいところかもしれないと朝から嘆息してしまった。









一度覚醒を認識してしまうと、もう夢への旅路は閉ざされてしまう。一気に遠ざかる光を埋もれながら感じていく。目覚める寸前に見た風景が、腹が立つくらい不明瞭に白く焼き付いていた。どこかの国の陽炎は、恐らくこんな形に違いない。頷いて、諸々の不満を強引に吹き飛ばす。パチリと膜が弾け、朝がやって来る。



ガッ

明らかに爽やかな朝とは言い難い音が、響いた。反射的に見上げた先は天井。蛍光管から垂れ下がる紐は僅かに揺れているだけで、となれば。


駆け寄るとは言い難い動作で、緩慢に窓辺まで歩み寄る。はたりはたりと、時々気のない様子で膨らむ布地は、朝日を吸い込んだような色と形状をしている。未だ彩度に慣れない瞳孔が過敏に摂取する。



「やっほー」


果たして聞こえた脳天気な声に、こっそりカーテンを閉めようかと考えた。自分の直感に八つ当たり。二階まで呼び寄せる訳にもいかない。緩やかな流れは吹き飛んで私は階段を駆け降りる。急ぐことなどないと十二分に、理解はしながら。




息せき切って聖の前に立ったというのに。言葉が、何も思いつかない。詰まって出てこないのではない。純粋に、存在しないという空白。投げやりより、もう少し肯定的な脱力感。慌てて羽織ってきた服は薄くて、ほんのり紅潮している彼女の体が大層羨ましくなった。ずるい。私にも寄越しなさいよ。



薄く色づく聖の輪郭。自転車は乗り捨てみたいに放置されていて、その荷台には何も乗せられていなかった。いつもの、突発的行動。


それに気がつくと、途端に私は気が抜けた。いや、いつものペースを取り戻した。観察モードに切り替えて聖を見れば。
少々火照っているとはいえ彼女はかなり薄着をしている。シャツは汗に濡れ、肌が透けている。どちらも抜けるように白く、今まで目につかなかったのが不思議だった。しかし、まあ、そういうものなのだろう。納得はしたがそれで満足出来た訳ではなかった。幸せだった夢を断片すら、思い出せないようなもどかしさ。

結果に対する納得だけが積もっていく。



「あがる?」

予想通り、間髪入れずに首が振られる。あちらも想定していたのかもしれない。
可能性の話は少し、先程までの自室のような雰囲気がした。柔らかい癖さかしまな世界。いや、世界なんて立派なものじゃない。



蓉子の家からここまでの道筋を辿る。最短距離かはしらない、聖が通ってきた道かもしらない。ただ、私がいつも使う道を。なぞって。
……頬の下の方に出来たひっかき傷も、見ないふりが出来たらいいのだけれど。



私が少し震えているのは寒さのせい。聖は、多分道程で、事実をゆっくりと認識してきたせい。



「遊びにいこうか」


ぽそりと落ちた発言を探すように。
落とした視線の先に見つけたのは、この季節にはおよそそぐわないサンダルだった。









「……こんなシーン、昔あったよね」

明け方の茜色は奇妙な感じがした。喩えるなら一昨日見た白昼夢だったとか、そんな既視感。曖昧すぎる邂逅。


求められていない返事を返す必要はない。霧の中に埋もれているような感触に身を任せたゆたう。聖なんてしらない、告白する気もないんでしょう。そもそもそれ以前に感情が無い。欠落部分に焦がれるようなことはしない。




端が赤くなった聖の目はうろうろと蓉子の家を探していた。視界が晴れなきゃ見えないわよ。だから代わりに私は聖を見る。彼女に違和感のない風景。それが丘の上だということがおかしくて気に入った。



目覚ましに感謝、かな。


そう思ってしまったのが何故だか悔しくて。私は聖の後頭部をかつりと叩く。窓のお返し。割れたらどうするつもりだったのか。


振り返った彼女は表情を崩さないままむくれていた。生憎涙目になるほど強く叩いてはいない。



明日、或いは明後日には素っ気なく。ごめんとかありがととか言われるのだ。分かっていて付き合う私も学習能力がない。
第一そんな言葉が欲しいのではない。


否定ばかりを紡いでいるうちに霧はどこかへ行ってしまった。残された聖。否。残った聖。


それが誰のためにかなどとっくに理解している私は彼女と同じように眼下に視線を投じた。




勿論白昼夢も陽炎も見えはしなかった。
夢までは遥か、遠い。























































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