9 時 の 呼 吸 ( 蓉 子 )
「……っ?」
悲鳴をこらえた。純粋な驚きから喉元まで湧き上がったそれはまるで、捕まえに来たのが私では無く彼女であるかのようだった。
「つーかまえたー」
いや、事実聖はそう笑いながら私に浅く笑ってみせた。何かにコーティングされた表情が木の間の光に反射して、彼女を。少し余計に彫刻のようにみせていた。不滅の美に一瞬ぐらりと揺れた自分を知覚して……慌てて持ち直す。背中から伝わる温もりがなければ駄目だと。祈りにも似た気持ちで強くそう思う。意図的に力を緩めるとふっ、と聖の腕からも力が抜けた。
へたり。重力には逆らえず落ちた先の土は緑の匂いがした。途端に一斉に、蘇る五感。今まで聖の動作にしか反応していなかった自分を気恥ずかしく思うと同時に、これでもかと蝉の音のシャワーが降り注ぐ。動けない。何もされてはいないというのに。腕が触れられていたところはまだじわじわと熱かった。
「……せい」
呼びかけには様々な感情が溶け込んでしまっていた。緩んだアイスのように。甘ったるく気迫が無い。そんなつもりではなかった。私はただ、彼女に。
……彼女に。
先ほど飲み込んだ悲鳴に酷似した思いは、この場には相応しくなかった。自分でも、呆れてしまう程。
「ねえ、薔薇の館ってすぐに戻らなきゃ駄目?」
自明のことを聞く聖。何故か、当たり前であるはずの返事を返せない私。
あの、夏特有の、空気が隅々まで詰め込まれた薔薇の館に帰りたくなかったのか。
…立ててみた仮定はすぐに否定される。薔薇の館が問題では無いのだ。
案外自分の欲求に忠実に動く体はしかし素っ気なく聖に背を向けたままで。
背後で聖が苦笑しているのが分かる。穏やかに。ここ半年で、驚くくらい変わった雰囲気。けれど、私にとっては。彼女の前では相変わらず切り刻まれているような錯覚。……いや、今は。溶かされているかのような。
「駄目だけど………」
無言の雄弁さ。それに頼ってしまってはいけない。でも動けない。吐き出せない。
校舎裏はひんやりとしていて、それでいて酷く暑かった。
呼吸も出来ないくらい、息が苦しくて。
聖はまだ静かに笑んでいて。
私はへたり込んだまま。
そっと捕らえられたふりをした。
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