1 3 時 の コ ー ヒ ー ( 聖 )





ぶちまけた。



机に瞬く間に広がっていく色と匂いに、あ、やってしまったと思わず江利子の方をうかがう。一瞬目を見開いた彼女は、それからごく落ち着いた様子で机を拭き始めた。呆れを隠そうともしない表情。ぽたりと垂れた焦茶色が江利子のキャミソールを汚し始めているのに気づき、私はそこで漸く慌てた。自分でやるから、服洗ってきてよ。掴むように台拭きを取り上げたその目の前で彼女が脱ぎだしたのを見て思わず右手の濡れ布巾を投げつけたくなってしまった。にやり、笑みが眼前にあって手が振られる。ぱたりと閉まった洗面所の扉の音で私は机に突っ伏しかけた。珈琲模様に、寸前で止まる。


私を怒らせるのは、蓉子の専売特許とばかり思っていたのに。

実はお節介くらいはしっかり焼けるらしい江利子の姿は、さっきの嫌味なくらいの笑顔だった。まあミスオールマイティだもんな。薔薇よりも懐かしい名に沸き起こった奇妙な充足感は脇においておくことにして。雑念をまとめて振り切って机を拭くことに集中する。染まっていく布巾。蛇口を捻り流そうとして、自分のTシャツの染みに気がついた。軽い舌打ち。独り言より気楽で手軽。他人がいるとちょっと迷惑だけれど。


よっ、と頭から脱いで脱衣室へ。放り込もうとして、江利子を思い出す。……お前阿呆だろう、と自分で罵倒。手にはとてもじゃないが着直す気にはなれないパンクな英語の羅列。そのまま椅子にかけて、取り敢えずは着替えを取りに行こうか。

って、あ、江利子も替えの服、要るんじゃない?



それなら、と適当に目についたのを2枚、さっさと見繕って、ドアをノック。



「聖も汚したの?」



……着るの忘れてた。


まあどうせ違う服になってればばれることなんだけどさ。ふーん、と相変わらずローテンションな彼女に、何かしてやりたかったのかもしれない。さっくりと近づいて、片手で顎を捕らえて、

……鳩尾に一発。



「服、そこ置いといて」



せめて恥ずかしがって赤くなってくれるとか、無いんですか、江利子さん?



「あ、コーヒー淹れ直しておいてね」



これが蓉子なら絶対可愛らしい反応が拝めるのに。拳に容赦がないのは一緒なんだし、どうせならもっとこう……、



「それから、聖」


「え?」



「私を蓉子と比べて、どうするのよ」



一瞬読まれたか!? と思ったけれど、なんのことはない、さっきの衝動の原因だ。気づいてますます情けなくなる。馬鹿なくらい世話焼きで、人の傷口を癒そうとする、けれどそれは少なくともその痛みを晒す行為を強いているのだ。私は弱いから、痛いのは嫌だ。せめて気遣いくらい見せてくれれば良いのに、よりにもよってこいつは。



「私が優しくないことなんて、分かっているでしょう?」



そう、知っていて塩を塗りたくるからタチが悪い。治りが早いのよ、とうそぶく様子からは、どこまで実があるかなんて分かりやしない。気を許すのと楽しそうな言動に警戒するのとは別の話だ。お節介の結果はともあれ、過程の酷さは折り紙付きなんだから。



「あら、まだ淹れてないの?」



妙に饒舌な彼女に無言で頷く。ため息と、いつまで引きずってんのよ、と声。す、と横切る私のTシャツから江利子の匂いがして、心臓が勝手に自己主張を始める。ウィーンという機械音が止まったら、こぽこぽとメーカーが動き出す。すっかり色のついた布巾をゴミ箱に放り込む。蓉子なら怒るけど、江利子は何も言わない。この違いが嬉しく思えるようになれば、きっと、大丈夫。何かがおしまいになる代わりにもっとうまく笑えるようになるのだろう。



「ほら」



ごとん、と机を揺らした厚ぼったいマグカップ。まっ昼間にはあまり似つかわしくない気もする、でも江利子の手には更に似合ってなかった。ありがと、と一応言いかけると顎に触れるその指先。



「!?」


「真っ赤になっちゃって」



蓉子みたいね。

くくっとわざと押し殺してみせた笑み。今度はひっくり返さずに大人しくカップを抱くと、目を丸くされた。意外性の塊の江利子を驚かせられるなら、大人の対応とやらを覚えるのも悪くない。



「ふふ」



その後笑った江利子の表情が怖いくらいに嬉しそうだったから、私は結局口に含んだマンデリンを噴き出してしまうのだけれど。江利子の淹れてくれた珈琲は間違いなくこぼした奴よりも美味しかった。苦いだけのブラックじゃない、噴いたのが勿体無く思える味。



愛とか言ったら絶対ぶっ飛ばされるし言う気もさらさらなかったけれど。


































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