1 4 時 の 告 白 ( 聖 )











「笑えば良いのに」



いつだったか、そう言ったら彼女は困ったように微笑んだ。その笑みは刹那的な永遠が見え隠れして、深い底の感覚だけが有って私は堪らなくなってしまった。ぞっとしたのだ。余りの美しさに。そして表情ひとつに埋められた彼女の背景に。手を伸ばすのは禁忌、天才は異端児で人当たりの良い彼女はいつも孤独だ。信望、それは盲目的な。



笑みはいつしか私を染めた。夕焼けに放り込まれた熱情、劣情、極めつけの激しさが身を内から食い破る。既視感の存在する体温。燃え盛ったら後は鎮火に向かうばかりだ。分かっていた。故に愛しさは哀しさに変わる。




あの子の左腕は多分私に引かれるのを待っていた。静かに、見つめられて、緩いウェーブは飴色に透け光を彩った。柔らかで、繊細で、私が一歩進んでしまえばふたりはとても楽に生きられただろう。傷つけることを、傷つくことを感覚で知っていたから。ほかにだれもいらない。私の愛に応えてくれる人は優しくて寛大で暖かくて、
瞬間翻った黒髪は私の予想より遥かに短く切りそろえられたもの。




気づくのは遅かった。傷つくのは怖かった。愛を囁く唇は拒絶も別れも紡ぎ出せる。最も蓉子が為すとは思っていない。負の感情を封じ込めてしまう少女。彼女は聖人では無い。人間だ。彼女が私のために何かを諦めるなんて、耐えられない。私が耐えられないのだ。
ロジカルに進む弁明は滑稽に過ぎた。本人が真面目な程その煽りは増す。匙を投げたのはもう随分と前の話。上に塗っても重ねても地の暗さは隠せない。じんわりと醜く浮かび上がる。苦味は舌の上に最後まで張りつきべったりと汚す。貴女に欲情していた。一言で切って捨てられれば或いは一種の幸せが得られたのかもしれない。安寧。はっきりとした黒の居心地の良さ。




白さに憧れたこともあった。潔癖、純粋とは差別的表現だと言ったのは誰だったか、私に有ったのは真逆の眩しさ。染まらない美。花嫁衣装。けして人を傷つけない心の強靱さに。触れたところは熱を持った。触れられたところは燃え上がりそうだった。外部から与えられる熱情。代わりに彼女の体温を奪っていると気づいてしまった。気づいて尚側に居られるほど私の傷は塞がっていなかった。
逃げ出した時見えた彼女の表情は、貴女の素顔に酷く似ていた。




有ったのは怜悧な視線。辛辣な言葉。反抗しても拒絶しても絶えない干渉。飴も鞭も酸いも甘いも自在に操り蓉子は私に触れた。優しさは私には痛かった。薬はお子様には苦かった。貴女を傷つけてばかりだった。
貴女に苦笑をうまくさせたのが私だったなら、ほんのりと色付く頬に寄せた衝動は隠し通そうと決めた。風が強ければ強い程鮮やかになる血色に。私の温度を重ねてはならない。濁り行く景色は見せられない。弾き飛ばした。助走した一歩を逆ベクトルに作用させた。




踏み込む気が無いなら私が貰うわよ。宣戦布告に返した言葉を探し出すことはもう叶わない。胸倉を掴まれた、不本意な涙は彼女の頬を伝っていた。分かっているんでしょう? 分からなかった。彼女が蓉子の底を暴けるなら構わないと思っていた。頬にもたらされた熱。何処か甘い鉄の味。
酩酊したかのような情景は貴女の姿だけが足りなかった。




引力の不変。運命と呼べるふてぶてしさの欠如が私を竦ませる。ただ貴女の笑顔が欲しかった。私にだけ、なんてわがままは言わないから。
強請り方、それに自制ばかりが上達する。時折漏れそうになる告白を食いしばりこらえる。焼け爛れた意志は挫折も決断も知らなかった。所詮しきれない諦観にしがみつき、知らない振りをしていた。




それでもたまに口に出す。おどけて、焦げ付いたコーティングをして。返るのは柔らかい表情。何言ってるのよ、と下がる眉。そしてごくたまに垣間見える深み。
心からの笑顔が突き刺さる。けして幸せで出来てなどいない。諦めることはきっと彼女の方がずっとうまい筈。

彼女の世界を私は知らない。つま先が踏み出さないように見張っている。渇望の先を必死で制御している。



「笑えばいいのに」



す、と出た呟きは貴女に届いたかも分からない。
足元ばかりを見ていた私には貴女の笑い声はやっぱり届かなかった。





























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