2 0 時 の 屋 上 ( 江 利 子 )





螺旋階段をくるくると回って開けた視界。


……まるで水の無いプールみたい。
いつもより少しだけ月や星を近づけるために鍵のかかった塀を乗り越えて。




帰りはどうしようかしら。

大して重要視していないことを確認するかのように口に出す。ほら、死にかけるのはこんなにも簡単。学校中が背中の下で眠っている。黒々とした空気がとぐろを巻いていて、……まあ明日には霧散して素知らぬ顔で皆を詰め込むのだろうけれど。大の字になろうか、と考えて、何と無くでやめておく。大した意味は無いけれど、ゆるりと決定力までが散華していくようでいて。これで良かったのかもしれないな。ずるりと吐き出される静けさは積もってまたとぐろを巻き、闇と同化した。




かんかんかん

軽快な足音。何かの危険信号のように段々大きくなってきて。単調にほんの僅かずつ重なっていって、



……ああ、ドップラー効果かしら?

思いついたことを思いついたままに口に出すと、それらは実に素直に周囲に同調する。いとも自然に収まるのだ。それは単なる私の思い込みかもしれないけど、どうせ私しか知ることはない。



模擬サイレンは小さくなっていくことなしにピタリと止まった。一瞬の逡巡、子供っぽい笑み、2歩分の助走。勿論視界いっぱいに広がる星座を繋げてもそんな絵柄になる訳は無いのだけれど、濃い色の帳は巨大なスクリーンになった。ほら、もうすぐ。


寝ながら見上げる、聖の足は長い。遠近法など使わなくても長いのは知っている、でもここまですらりとしていると悪戯がしたくなる。私にかかれば何だって、からかう対象になってしまうのは仕方が無いことだろう。そこはまあ、諦めて貰うしかない。腐れ縁の宿命として。



目で距離を測って、手を掲げる。高らかに。そう、選手宣誓のように。無言で誓った後、私は聖に飛びついた。




「……うわっ!?」

悲鳴は反響して少しだけ怪談のよう。だけど残念、生身の人間の方がずっと怖いのよ。腕を離さなければ、ほら、こんなにも簡単に、



「……っ、た」

衝撃が体に走る。反対側まで押し倒すには、もうちょっと力が足りなかったみたい。さっきまで私がひっくり返ってたせいか底は冷たくはなかったけれど、聖の背中が余りにも暖かくて、



何と無く薄手のシャツごとひっかいてやった。


今度は潰れたような鳴き声(そう、鳴き声)をあげている聖を見遣る。潰されてるのは私なのよ。自業自得? ああ、そんな言葉もあったわねそういえば。耳元で吹き出すと少し怒った。当然? でも、顔が笑ってるわよ?



目線をついと遠くに投じれば、空間はどこまでも伸びていく。広がっている。なんでこんなちっぽけな水底に成り損ねたところでふたり、くっついているのかしら。手の力を抜くと、今度こそひやりとした感触に迎えられた。呆れた顔を崩さないまま聖は私の横で寝転がる。妙に親父臭いが、まあ、極めて彼女らしいともいえる。意図的に数センチ踏まれた左手のことには言及しないであげることにして、




「……なんだか泳げそうね」

思いついたことを、思いついたままに。共有するとそれはなんだか特別な意味でも持つかのように思える。くだらない、いつものようにそう片付けるには私は少々、夜に侵食され過ぎていた。じわじわと立ち上ってくる、微かな冷気に。
 

「何光年分泳ぐつもりよ」

笑い飛ばす彼女が実はかなり真剣に頭上を眺めていることを、私は知っている。泳げないことも知っている。溺れて流されてついた先がここだった、とかだったら面白いのに。無駄にロマンチストな思考の癖に、聖とではちっともそう思えないという不思議。そして無論、だから楽しいのだ。





「帰りはどうしようかしら」

どうでもいい問題とやらを丸投げして、伸びをする。

私は再び(いや、今度こそ?) 聖に覆い被さった。




鼻孔を擽る匂いがふわり、果てしなく夜の気配に似ていて。
泳ぐ代わりに聖とふたり、静かに、底へと沈んでいった。










































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