やかましさが守ってくれるなんて、本当は、思ってはいない。








2 3 時 の メ モ リ ー カ ー ド ( 蓉 子 )










喧嘩して家を飛び出して、喧騒に逃げ込むのは聖の悪い癖だ。うまく笑顔を作って、見てくれの良さで他人を引き込んで、意識の中心をずらそうとする。口説き落とす時の会話の巧みさなんて知りたくもない。私には意外に口下手で、でもその真摯さは分かっている、つもりだから。不器用だから本当は口より先に手が出てしまう、荊の武装を解いた彼女を、たまらなく愛しいと思っているのだから。だから。



「何で私が逃げてるのかしら……」


……誤魔化しはやっぱり効かなかった。理由を後からいくつ考えたところで、事実は何も変わらない。状況証拠と自白のどちらが信頼できるか、これは再考の余地があると思う。話術は得意だから、聖にはいくらでも言い訳を聞かせてあげられるけれど、それはあくまで慰めるためだけの言葉。実が入ってしまったところで、変化しない現状。



「……つまらないわね」


ひとりで呟く。私らしくない。アイスティーがおいしかった喫茶店、サイズがなくてサンダルを諦めた靴屋、子どもの多すぎるゲームセンター。まるでこの間のデートコースだ。火の消えた店々を巡り歩き、その中で唯一まぶしい光を放つ空間で、聖が結構真剣につり上げようとしていたブタのぬいぐるみが詰まったケースを見やって、ふと我に返る。



いたたまれなくなったのは私の方だった。

多忙をタテに消えた触れ合い、ずっと言いくるめられて来た聖が感情で動いたのもある意味当然の流れ。予期していなかった訳ではなかった。

……はずだった。


悪いのは私なのに、それなのに懇願しようとする聖が。私を押し倒しておいて、ごめん、と謝る彼女が、本当に愛しくて、たまらなくなった。それなのに、いやそれだから彼女が好きだという自分を許せなくて、もう聖の前にいられなくて。



「……ただの現実逃避じゃない」


逃避だって、分かっている。

あと少しであの部屋に帰らなくてはならないことも、そうしたら聖とちゃんと向き合わなきゃいけないことも。時間を稼いでも何にもなりはしないことも。

頭冷やしてたんだ、といつも苦笑いで帰ってきた聖。あんな風に、私は笑えるだろうか。他人で気を紛らわすこともできない、確かに頭は冷えたけれど同時にどんどんと胸が焦がされていく、こんな私は。



「やるしかない、わよね……」


喧しければ聞こえないし、無人なら誰の目を気にすることもない。しん、と更ける夜、ひとつずつ頭の中身を取り出して並べて行く作業。だれにもみられない。多分これが私のここに逃げてきた理由。



だから、後ろからばたばたと駆けてきた足音が私の真後ろで止まって、ぜえはあと聞こえてくる息遣いの中に自分のよく知った気配を感じた時、心臓が跳ね上がった。


マンションまでは後5分、なのに。もうここからまっすぐに見える、のに。まだ私の覚悟はついてない、のに。どうしてそっちから来るの? どうして、来たの?



「見つけた……」


言いたかった。言えなかった。

聖はコートもはおらずに私が最後に見たままの姿だった。



「どこ行ったのかと……思った」


「……ちょっと頭を冷やしてたのよ」


ほら、やっぱりうまく笑えてない。



「ごめん、邪魔だった……?」



「いいえ。……それと、ごめんなさい」


「謝るって、蓉子は悪くな」


謝罪しか重ねられそうになくて、思わず口を塞ぐ。だれにもみられない。柔らかくて甘美な響き。背伸びをする代わりに触れた肩が、思ったより冷たくて、泣きそうになる。どうして、私は、こう。



「……いつも部屋に残る蓉子の気持ち、ちょっと分かっちゃった気がして」


寂しくて、不安になってさ。あっけらかんと話す彼女。軽薄な言葉遣いだからってそれはけしてうわべだけのものじゃない。私がいつも、正しいことだけを考えてる訳では、ないように。



「私がいつも来るところ、たどってみたのよ」


「え」


ま、毎回コースは変わるけどさ。

んーっ、と伸びをしている聖。気遣いが透けて見えて痛かった。でも、それ以上に嬉しかった。



「……ありがとう、聖」


逆転したままの立場、たまには悪くないか、と手を繋いでみる。大抵人前でねだってきては膨れているくせに彼女は酷く驚いた顔をして。



「どうしたの? ……最近」


ぼそりと聞かれた、多分今回の喧嘩の原因。

もういい、って言われるより、キスしながら謝られるより、ずっと、



…でも、ごめんなさい。

ただの言い訳は言わない、と決めたの。



「蓉子の言い訳なら、私にとっては本当のことだよ?」


だって蓉子だもん。

夜を盛り上げる抵抗は聞き流すけどねー、茶化していう彼女の暖かさにうろたえを通り越して泣きたくなってしまった。



「私も聖の気持ち、分かったような気がするわ」


だから、代わりに。

差し替えた記憶を大切にしまい込む。逃げる方が弱いだなんて、どうして思ったりしたのだろう。その行動力は立ち尽くし待ちぼうけるばかりの私なんかよりも遥かに誉められるべきことだったのに。

だって、今私は、こんなにも幸せで。



照れ笑いに私も似たような笑みが零れる。やっと、笑えた。それだけで聖が喜んでくれていることが、嬉しかった。






























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