さらら










「水野さんは何を書く?」

「え?」


今日がその日だということは勿論知っていたけれど、ここで言われるのは予想外で。
半切りの折り紙を学友に差し出された蓉子は、珍しくも驚きの表情を浮かべた。







「蓉子、笹」

「……おかえりなさい、聖」


まずは挨拶! と怒られるのが目に見えたのか、聖は俊敏な動きで目の前までやってきて蓉子をぎゅうと抱きしめ耳元でただいまと囁く。つくづく気障だ。むしろ気障を超えて頭が痛い。聖のはく息の向こうでかさかさと乾いた音がする。


「持ってて」


これまた手を洗えうがいをしろと言われるのを察知したに違いない足取りで、聖はリビングから消える。最近はちゃんとサボらないようになったとはいえ、あの態度はどうにも自発的とも自然とも言い難い。
ふう。蓉子のついたため息も、かさりと笹を揺らした。

ひょっこりと聖は顔を出す。濡れた手はきっちりとジーンズで拭きながら。
洗面所にはちゃんとタオルがかけてあるのに。


「蓉子、何書く?」

「聖からどうぞ」


にこり、と短冊の見本市。
紐を通す部分がパンチで穴開けされているところから見ても蓉子の手作りだろうな、と聖は見当をつける。下手したらカッターどころか截断機使ってるかもしれない。飾り付けはやっぱりするんだろうなあ短冊いっぱい余りそうだしなあ。


「今年も張り切ってるねえ」

「良いじゃない、年に一度なんだし」


年に一度の行事が年に何度あると思っているのか。
蓉子から笹を取り返して、ゆさゆさと時間稼ぎ。もう片手では油性マジックがくるくると。


「よーこはなにかくのー」


ゆさゆさ、くるくる、すとんの間から、聖がもう一度尋ねる。
この黒マジックはバランスが取りづらくて聖でもよく落とす。蓉子は回せないんじゃないか、なんて実は思ってる聖は、蓉子がふふふと笑うのを間近で見る。
向かい合わせに座るよりは隣が好き。




「私はもう書いてきたの」

「え、どこに?」

「大学で」

「あーそっちかー」


延々続くゆさゆさに蓉子が眉を顰めたところで、ぱたりと止まる。ぽとりと落とす。
すぐ拾われたマジックのキャップが外れて、聖は慌てて優等生になる。
彼女の機嫌降下パターンに合致していた空気を、換気しようともう一度だけ、ばさり。


「え、じゃあ蓉子これには書かないの?」

「聖が書いたら書くわ」

「何書いて来た?」

「内緒」

「えー」


お揃いでふたつ、と主張した聖に、来客が来たらどうするの、と怒った蓉子。4脚セットの椅子がふたつ、背が少しくっついてもたれている。お揃い、は蓉子の方が本当は望んでたことも。来客なんて来なくていいのに、と聖が思ってることも。知らぬ風情でふたりを乗せる。


「蓉子と幸せになれますように」


ぱっと片方が顔を上げた。
見つめる恋人の笑顔には悪戯の気配。


「って書くとさ、今が幸せじゃないみたいで」


赤くまではならなかった、蓉子に再度笑いかけるまでは確かにお楽しみだけど。
実はちょっと困ってるのも事実。この雰囲気で、世界平和と書いたら拗ねられるかな。


「ずっと、ってつけておけば良いじゃない」


恥ずかしげな声。照れた顔が見たくて思わず身を乗り出した、片方の椅子ががたりと揺れて、
それから、







「それからふたりは、会えなかったふたりの分まで、」

「何言ってるのよ、馬鹿」


なあにと笑う聖も、拗ねた語尾を跳ねさせる蓉子も、しろくまあるくやわらかい。
笹の葉はささやかなベランダに。ふたり分のお願いは欲深いけど慎ましやか。
お隣に見られたら、と思うだけで蓉子が思わず聖の胸に顔を埋めてしまうくらいには。


「雨でもふたりはちゃんと会えるの」

「え、そうなの?
 夢がないなあ」

「あなたの夢は随分ひどいのね」

「そんなことないよ。今だって蓉子と」

「私と?」


言わせる気?
と聖の顔に暗さに紛れるくらいには僅かな朱が入って、
(勿論蓉子にはお見通しなのだけれど、)

それから。












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