聖蓉




ひとりでターンを踏む練習をする。かつりかつり。足音と共に剥がれていく感情の代わりに、鈍い色のメッキを施していく。腐食するかもしれない、蝕まれたら私はどうなるのか。今より悪くなりようはあるまい、という観測は楽観的なのだろうか。それとも悲観的か。ぐるり、渦を巻く。大きく抉るように振り返る。


手を差し出した先、勿論彼女の影も形も有りはしないけれど。

踵を返す前の私の右手は、確かにあなたに焦がれていた。















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江蓉、聖蓉




エントランスで鍵を回す。意外に軽い音、緩やかに開く自動ドア。ガラスの闇の向こうの私が、擦られながら揺れている。少し疲れた顔。過去への懺悔か未来への憂鬱か。或いは現在の後悔か。考える間もなく扉は閉まり始める。滑り込んだ先の黒、静まり返るこの先で、きっと同じように息を潜めて。聖は待っている。

腰の奥がじっとりと重い。江利子にしがみついた感触をまだ覚えているその手でもって、エレベーターのボタンを押す。一ヶ所欠けたマニキュア、そこだけが何処か安っぽい。……余りにもありふれた行為を、なぞっている気がして。

着く前に、息を止めるのはいつもの習慣。流し落としたはずの何もかもを、確認するかのように。確かに聖を愛しているのだと、確認する。聖、呼びかけて、謝罪も弁明もするすると流れて行く。

嗚呼、きっと。

こんなにも言い訳をうまくしたのが貴女だということを、貴女は知らない。








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聖江




私は貴女と付き合えないわ。
は、にアクセントを置いた彼女の唇は、何処か悲しそうな色をしていた。悔しそう、だったかもしれない。そのナチュラルな薄桃色が、私は好きだった。想像で重ね合わせただけの唇。頬につけられて、餞別、だと。はにかんだ彼女を押さえつけてしまいたかった。そんなのはキスって言わないのよ。そう言ってしまうには、けれど私は彼女に入れ込みすぎていた。一瞬の柔らかさに捕らわれることしか、出来なかった。

……好きよ。
軽く言ってみる。怪訝そうな顔で振り向かれ、私は思わず笑ってしまった。乱暴ともいえる所作で送られたキス、唇の上でもちっとも甘くない。

……貴女も、蓉子のことが、好きだったんでしょう?

だから一番不誠実なのはきっと私なのだろうと、喉の奥に詰まったままのその言葉を流し込む勢いで口接けた。









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江蓉




貴女は他人を否定しない。
否定しない。私でさえも。だから自分ばかりを否定してしまうのだ。矮小化して、単純化して。
告白した時の貴女は喜びで彩られてはいなかった。
信じられない、という。表情をしていた。

逃げた貴女を追いかけた。離して、と言われた、そうしていたらきっとそれきりだった。離せなかった。握りしめて、貴女の唇と一体どちらの方がかたく結ばれていたかは分からない。ぎりぎりと絞られる、音が聞こえた。そして貴女は私の恋人になった。
私は、貴女の恋人になった。

少しずつほどかれていく先、その全ては、幸福で出来ていたのだろうか。ぐるぐると覆い直した先、貴女は今、幸せなのだろうか。

否定しない貴女がたった一度拒絶した、その時の衝撃と確かな安堵を、私はまだ覚えている。









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聖蓉






ばらばらになりそうだった。怖くて、思わず制止をかけた先。その拒絶は、甘い甘い空気の中、ただ、冷たく響いた。

出ていこうという存在を、必死で止めようと願う自分の、呼吸はあがりすぎていた。巡らない頭の中、沢山の知らない感情があった。例えばそれは、聖の与えてくれる愛。

震える意識を、常識という名の鋳型に流し込む。熱情のせいで、どろりと溶けた何かが、ふつりふつりと気泡を吐き出しながら、漸く固まっていく。

自分の卑屈さに、矮小さに、吐き気がした。

















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