持つべきは魂(江利子×蓉子)




私の手は救いを持たない。


強がるはずの蓉子がしどけなく身体を開いた。意思を放棄した、瞳は雄弁に。江利子の胸を掻き裂いた。はたはたと落ちる涙が罪を晒し燃やして灰にした。跪く前に赦される。不遜な諸行と引き換えに蓉子は自らの最も弱い部位を捧げ奪われた。苦しみ続ける者はやがてその苦痛を見せる手段を無くす。壊された後の余り物。江利子が手に入れたのは。唯一手中に収めることが叶ったのは。

退屈の主張はつまり諦観の予兆。江利子の未来を見せつけた、蓉子の抜け殻はまだ聖を求めていた。心を千切られ持っていかれ、痩せこけた頬の窪みに薄い涙を溜めた。江利子だけが知る涙。蓉子の弱さ。江利子を縛る毒。救えない手が、細い髪を掴む。なけなしの決意が、願いを形にする。箱庭を作り出す。

――もし許されるなら、私の総てと引き換えに、人為で為せる限りのしあわせをあなたに。一瞬の忘却を、落ちる辛苦の結晶を、朽ちた柔肌の粟立ちを。
泥濘の絶望と微睡みを。



















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世が歯車で回るとして(聖←蓉子)




聖を思うだけで、仄かに体温があがるというのに。
私はあなたにどうしても告白できない。

つまらない私。規格にはまり、規律に縛られ。規範となって世界を余計につまらなくする。定まったかたちは、誰が望んだものなのか、私も知らない。

本当はあなたに縛られたかった。聖の奔放さに呆れ、時に咎めながら、どうしようもなく羨んだ。規格外の聖。私の規律になってくれたら。私の規範と、なって、くれたら。

私は望んだ。さしたる信仰も持たぬまま、寝る前の微睡みの中で渇望した。いつしか出来上がったあなたの偶像に向けていたのかもしれない。私だけの聖。現実のどこにもいない。

世が歯車で回るとして。私はそのひとつとなってただ機械的な反復運動を繰り返す。悩み考え苦しんで、けれど噛み合わせを外すことはなく。磨り減りながら。ちっぽけな人間らしく恨みつらみを時に吐きながら。私という誰かのために石を積み坂をのぼる。あなたのいる世界を回す。あなたは必要としない世界を保つために。
憎まれるために。
生きるために。













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欠落こそ美しく(聖×蓉子)




黒い小瓶に密閉された指。永遠に腐敗すること無く、胸を圧迫する鮮度の剥げ落ちた執着が自家中毒を呼ぶ。欠けた身体が疼き埋まる指が粘膜を擦る。薬指に金属の束縛はなく、開く花弁は闇色に糜爛している。私の物、と聖は言う。荒い息は私の脳にたどり着く前に冷めきってしまう。

首に嵌まる環は気道を狭める。鎖の先をあなたが持ち続けるのなら、それはあなたを縛る道具。私から離れられなくする呪い。あなたが鍵をかけた。私が鍵を捨てた。永遠があるのなら合金の寿命のことなのでしょう。私が浅い息を何万回すれば赤黒い絆をくれるのかしら?

好きだよと、一緒に住もうと合鍵を見せた聖は少女の顔をしていた。真っ赤になって口ごもる少女は、白い白い本音を無防備に晒し、おずおずと私を見上げてきた。聖の方が背は高いだろうに、どんなシチュエーションだったのか思い出せない。
けれどあのとき感じた私の鼓動を。聖の素顔を。私は、裏切りたくない。私が好きだと恥じらった聖を、そんな彼女を見て私が立てた誓いを。女どうしで鍵穴を塞ぐ滑稽さを笑う権利は当事者にしかない。苦しさばかりを孕みながら、いつかあなたと共に歩めると勘違いしている。

足りないから求め合う。騙され続けたくて、白い肌に無くした指で赤を描いた。













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いつか正義は耳を塞ぐ
(聖×栞)




待ち合わせ場所は指定するというには随分と大きかった。疑問を口にすれば、栞のこと探すのが楽しみなの、と無邪気な笑顔。この前詳細な予定で最大限に楽しもうねと言った同じ口がほころぶ様に、私はまた陥落するしかないのだった。共通項を結んで浮かぶ図柄があまりに幸福すぎるから。

聖が駆けてくる。探したいと言った彼女を慮って、わざと少し奥まったところに立っていた、私に向かって満面の笑みを見せる。意識しなくともほころぶ顔が、聖のスピードと私の鼓動をますます早めた。

抱きつくよりはかき抱きたい、衝動を目の奥に揺らめかせる聖の紅潮した頬に手を当てて、押し留めた私に彼女の熱が流れ込む。しおり、その呼びかけを耳で目で、振動ですら感じて。

幸せだ。きっと、今までで一番、私の日々は充実している。後ろめたい気持ちと共にマリア様に見守られている感覚がある。

このままこの歓喜が続けばいいと、いっそ時が止まってしまえばいいと、そう思うことはきっと許されないのだろう。朝に晩に祈る時、願いとして込めない私自身、分かっている。
代わりに彼女の安寧を、今日も私に笑いかけてくれることを、密やかな想いとして宙に埋める。切らない十字。安らぎはふたりで。

冬が、近づいていた。














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諦める権利なんて(聖←蓉子/「埋めて」第3話)




目を覚まし、健康的な空腹の次に把握したのは聖の気配だった。

次点のはずの欲求を繰り上げて、狭いアパートを丹念に調べていく。セミダブルには私ひとり、ソファとビジネスチェアが無人なら本人はこの屋根の下には恐らくいない。喉の渇きを聖への渇望だと言い聞かせて、努力するほどの見返りは得られないと知っていて。鞄も不在、トイレの緑、乾いたユニットバスの乳白色。ふと目に止めた洗濯機が記憶より随分と嵩を増していて、引き寄せられ覗き込んだところでキツい香水の匂いに侵される。
あぁ馬鹿なことをしていると、ずっと呟いていた理性がむき出しの下半身を味方につけて、私をぞわりと震えさせた。水場が冷えるのは当たり前だと反論する私は一体どこの部分だろう?

……一体誰の匂いだろうか。

くったりしたシャツにつく匂いは、口紅や着信履歴の空白より雄弁に誰かの所在を知らせている。煙草を吸わない聖自体の痕跡は体臭しかないというのに、皺の依れ方もあからさまに情事のかたち。隠す気があるのかないのか、無造作に洗濯機に放り込まれている一連の服、その無頓着さが愛しくて腹立たしい。ひた隠しにする私は、僅かな体積しかないオフホワイトに顔を押しつける。江利子にしがみついたのと同じやり方で見知らぬ少女の跡に手を重ねる。

ほんのりと漂う聖の気配には、いくら追いかけてもするりとすり抜けられて。私は思うさま笑って、少しだけ泣いた。











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