此岸の幸福 







休憩、と聖は楽しそうに言って、私のこめかみにキスを落とした。顔を向けられなくて、布団に埋もれていた私のわずかに外に出た部分。それさえ余韻に響いて、ふるりと震えた私に聖はまた笑って。


ちょっと行ってくるね、

え……?


何か気に障ることをしただろうか。あっさりと薄くなっていく聖の気配にがばりと身を起こす。疲労をひきずる重い身体を無理矢理動かしたせいか、一瞬肺が潰れそうな衝撃が来たけれど私はなんとか倒れることなしにやり過ごして。


聖?


……なんて、情けない声。
聖はちょっと、って言ったじゃない。すぐに戻ってくるわよ。自分に言い聞かせながら、それでも一抹の不安が拭えずに。それがちょっとずつ大きくなってくる、私は夜の沈黙に押し潰されそうになる。さっきまであんなに幸せな空間だったのに。


……蓉子?


青と赤のグラスを両手に持った聖は、やはりあっさりと帰ってきて、寝室の入り口でぽかんと口を開けた。


……せい


愛しい二文字だけ口に出して、唐突に自分の状況を把握した私は、慌てて布団を被ろうとする。両手が塞がったまま、首だけを傾げた聖は、サイドテーブルにこつりとそれらを置いた。特別なにおいは何もしない、ほんのり色がついた液体がなみなみと注がれている。器用だな、なんてずれたことを考えて。


どうしたの?


ベッドに乗り上げた聖は、素足を私の布団にそっと差し入れた。手を出してこないのは多分麦茶で冷えているから、たまにそんな気を使う彼女の優しさが嬉しくて恥ずかしい。ゆるゆると首を振るとためいきのような息が近くに落ちる。呆れられた? そっと窺うとかちりと聖に見据えられて。


ま、いっか


蓉子も飲みなよ、と自分は青いガラスを片手で持って笑う。ベッドで飲食は、と私の非難の目つきを軽く流して、酒宴の余興のように一気に煽る。ぷは、と外見にふさわしからぬ声。中身は本当に麦茶だったのか、私の推理に不安を覚えかねない飲みっぷり。


なあに、飲ませて欲しいの?


でも口移しじゃ蓉子こぼしちゃうよね?
にやにやと笑う聖を睨みつけて、違うと慌てて否定して、それでもやっぱり布団からは出られずに。ん? と不思議そうな表情、今度こそ伸ばされた手が私を強引に上向かせる。力強いのに、どうしてこんなにも優しいのか、私はいつから彼女にこんなにも丁重に扱われるようになったのか。


寒い?

ち、が……


聞こえたはずなのに、そーかそーかと聖は嬉しそうな表情を見せて。汗かいたもんね、冷えちゃった? と、いつも理論武装する私に仕返しをしてみせるかのように。


……これでいいよね


床に放られていた服を一枚手に取って、聖はそっと私の巻きつけていた上掛けを剥がす。
ハイネックじゃ着せにくいでしょう? と、首元を覆う服を選ばなければ出歩けなくなった元凶が、したり顔で自分の服を広げ、おいで、と促す。


……聖


そんなことしなくていいという否定の、拒絶の、つもりだったのに。
くすくすと笑いながら聖は私にシャツを着せていく。着終わったらちゃんと飲もうね、なんてこどもどころか幼児扱い、丁寧にひとつひとつボタンをはめていくのは優しさからか勿体ぶっているつもりなのか。聖の方がひとつサイズが大きい、だから微妙に余る袖口を、折り返す手つきすらゆっくりとしていて。


聖……


一度触れられただけでもう逃げられずに、ただ身を固くする私を宥めるように、指先は動いていく。先ほどまで私の上を中を伸びやかに動きいじめていたそれらから、私は目が離せなくて、ギャップに惑う心が震えて。すっかり理性が戻っている中で、しなやかな指先に、違う目的を持った動きに。事実服を着せられているだけなのに、私は何を考えているの。


……は、


終わったよ、と言われた途端、くたりと糸の切れる私を、聖は優しく引き寄せる。嬉しそうなのは見なくても分かる。豊かな膨らみに顔を押しやられ、その自信というか、無頓着さに、なぜだか私の身体が反応して。やっぱり口移しがいい? 聖の胸の上で必死で首を横に振ると、ぽんぽんと頭を撫でられた後。


はい


少し空いた隙間に、差し出されるグラスはほんのり汗をかいている。そうっと両手で抱え持って、溢れそうな液体をこぼさないように気をつけることに神経を傾ける。本当にぎりぎりまで入れられていたから、ひとくちめは啜るように飲むことになった。よくあんなに無造作に持ってこぼさないな、ともう一回、密かに感心。


おいし?


小さくこくりと頷く。裸の聖の肌に冷たいのをこぼすわけにはいかないから。ちびちびと口に含むと、渇いていた喉には甘く感じられるほどのおいしさ。少しずつ潤していたつもりなのに、あっという間に半分になって。


ふふ


私をじっと見つめる聖に、私はじっと抱えられたまま。脚の間に座りこんで、時折触れてきて撫でられる髪の気持ちよさに酔う。珍しく本当に何も悪戯をしない聖。ほてほてと醒めない熱で疼く感覚すらぼうっとするだけのもの、苦しさ辛さはどこにもなくてただ幸せで。


もう、大丈夫?


なにが? と聞き返す前に、す、と抜き取られたグラスが目の前を通り過ぎる。あと少しだったのに、とよく分からない聖への抗いからか、咄嗟に伸ばした右手はやんわりと片手だけで捕まえられて。あ、と思う間もなく傾けられ聖の口の中に入っていく残り。


……んぅっ!?


突然の口づけ、当たり前のように流し込まれる液体。粘性がなく多量なそれが口内に溢れ、私は必死で飲み下す。口移しはやらない、って言ったじゃない。本当に彼女がそう言ったのか思い出せぬまま奔流に流される。最後の最後に与えられた激しさに瞬く間に引き上げられ沸騰する。


偉いね


こぼさなかったじゃない、なんて。いつまでこのままごとを続けるつもり。目下のものを可愛がる視線も、たまには悪くないけれど続けるつもりならどうかちゃんと恋人扱いをして。


このまま、しよっか


一応の確認を取ってくれる聖はたぶん私のその願いを正しく汲み取ってくれて。だけどぶかぶかのシャツを、つまんで引っ張る手つきの意味を理解した途端さっきの聖の弾力のある胸の感触がよみがえって。触ってもらえないのかもしれない、と思うと逆に意識してしまい反応し始める自分のそれを止めようといやいやと唇を噛みしめる。


脱がせて欲しい?


曲解して、聖の囁き。
ふもとの更に外側をなぞる手は絶対にわざとだ。薄い生地だからどうなっているかなどお見通しなのだろう、この優しさは今度こそただ焦らすためのもの。
裾を引っ張ってできるだけ隠そうとする、それではどこが反応しているか教えてるようなものだとわかっていても堪えきれなくて。


いや……っ


どちらを望んでいるのか、聖には明確に示せないまま、それでも聖はゆっくりと私の望みを叶えてくれる。さっきまでの微睡みの幸福が、焦燥に熱に置き換えられていく。


蓉子


蹴りやられた布団、また床に落とされた纏いもの。代わりに真ん中に横たえられた私を、見つめる聖にも欲望の色。そっと乗られて、私の負担が一番少ない場所に位置どろうとする聖を、私は飢えるままに見守っていた。擦れる素肌どうし、どんどん熱くなって、あがった息が戻らなくて。


ん……!


促されるまま、目を閉じる。軽くついばんでから深くなる口づけ、流し込まれる聖の感触は、さっきよりよほど甘かった。




















サイドテーブルという名称が出てこなくて母に聞いたのも良い思い出。
まさか「ベッドインな百合話書いてるから」とも言えずいろいろ必死でごまかしたのも良い思い出。









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