風が蓉子を撫で上げた。蓉子は気持ち良さそうに、そう、心地良さそうに、目を細めた。髪を軽く手で押さえて、私の方を振り返った。


ああ、好きだな、って思った。

蓉子はきらきらとしてて。一緒になって周りの景色も華やいでて。あんなに嫌いだった場所が、あんなに疎んでた彼女のお陰で、輝いて見える。人の心は、こんなにもはっきりと移ろってしまう。


……ああ、やだな。

蓉子が好き。蓉子が好き。本当に、本当に大好き。
だから怖い。こんなに簡単に変わってしまった私の心が、また変わらない保証がないから。この淡い慕情が、苦しい恋心が、いつか思い出になってしまう。苦く笑えるだけの、過去に埋め込まれてしまう。


そんなの、……そんなの。

蓉子が、怪訝そうに私を覗き込む。自分の頭にあったはずの手は私の頬に当てられ、逆風にさらわれたしなやかな黒髪の先が、私に触る。少し汗ばんでいて、暖かくて。蓉子が生きてる証のようで。


触れられていたい。でも、離して欲しい。

風がまたびゅうと吹いて蓉子が小さく身を竦めた。慌てて仰け反る。呆気なく空に浮かんだ蓉子の指先が一度、ふるりと震えた。慎重に、憮然とした表情を作って、情けない声を出して。蓉子に呆れた顔をしてもらうために一瞬だけその手を握る。


抱き締める、代わりに。

横並びして歩く私たちの影の上を、枯れ葉がころころと転がっていった。黒い絵面だけ見れば手を繋いでるようにもくっついてるようにも見える、細長く伸びた私たちの上を。小馬鹿にしたように、なんて私の被害妄想だって分かってるけど。


……好きだよ。

私より少し背の低い影がさっきみたいに髪を押さえるのをみながら。生身の私の方を向くのを感じながら。
現実よりずっと接近できてる私たちにそっと呟いた。














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告白、された気がする。

……くだらない、私の錯覚。



夕焼けが、美しかった。
珍しく手分け出来ない類の書類を聖がやり残していて、これまた珍しく彼女が素直にやる気を出したから薔薇の館に残っていた、帰り道だった。いつもの要領の良さからは少しずれている、焦点が遠くにある、とでも言うのだろうか。

思い出してるのか、と心に暗い影がよぎったけれどもその割に私を見る目は優しかったから戸惑って、結果ふたりだけで仕事をしていた。白薔薇さま、とはなんとなく呼びたくなかったからかもしれない。皆から隠しておきたい、となればこれは独占欲なのか。さらしたくない、なら庇護欲か。どの表現もぴたりとは当てはまらずに、私の中で窮屈そうに縮こまっている。

追い出すように伸びをして、橙の中に身を投じる。ひとつずつ、聖が世界に適応していってくれる。それで良いじゃない、と気持ちに蓋をして。恋い焦がれる意識が、焼ききれてしまえば良いのに、と光を手に受ける。聖の髪の煌めきにも似ていて、聖に抱かれてでもいるようで。そんなありえない想像が可笑しくて、でも心地よくて、さらさらと投げかけられる黄金に目を細める。

高揚した心のまま聖を振り返った。珍しくも私に合っていた焦点が嬉しくて、近づく私の心臓はますます跳ねていく。上気した頬が恥ずかしい、木枯らしのせいだとごまかしてしまいたい。このときめきのまま、浮わついた全身の望むまま、


聖!

……呼べる訳がない。


あなたに近づけたのに、同時にさあっと消えて行く熱。この立場を得るために捨ててきたものを指折り数え見せつけてくる理性。ほら愛しい彼女の顔が少し曇ってしまっているよ? あなたは何のためにここにいるのかな?

自分の葛藤なんかより聖が大切なのは本当のことだから、心配を、嫌がられない程度に聖に傾ける。気を遣うためだけに聖を覗き込む、その白いかんばせに指を添えるのは許されるだろうか。邪な思いを振り払って、けれど右腕はゆっくりとあがって行く。言い訳を羅列する頭が真っ白になって行く。

秋の終わりの風が私を咎めようと強く吹きつけた。呆気なく失われた聖の肌触りは辺りに散らばる落ち葉のように指先から転がって行った。ため息は押し留める。まだ隣に聖がいるから。まだこれだけで私は幸せを感じられるから。

一瞬強く握られた手が現実のものなのか私には区別がつかないまま、私たちはまた歩き出す。聖の隣を占拠したまま。聖に似た西日に包まれたまま。長い影を引きずって冷たさをその身に受けていく。

聖が何かを呟いた。切なそうに、辛そうに、愛しそうにこの空気に溶かし込んだ。優しいほほえみ。届かないことば。


嗚呼まるで告白された気がする、なんて。


……私の、錯覚。
















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