極彩にララバイ
内蔵を指でまさぐられる。
手負いの獣のような声を漏らす私に張りついた髪を、江利子の手がそっと払った。辛い? 骨を振動させる囁きは、口づけられたこめかみから伝わってくる。
――あなたが望んだのよ。
知ってる、と返す瞳は、嫌味なくらいくっきりと江利子を映す。泣いてしまうほど弱かったなら、きっと彼女は相手にしなかった。ここで泣けるほど強かったなら、江利子に縋りなんてしなかった。
違う、私は江利子に縋ってなんかいない。
弱味につけ込んだくせに。
江利子だって私を利用しているのよ。
それが免罪符になるとでもいうの。
ぐるぐると回る思考に、視界は準じてなんかくれない。見慣れた部屋の天井と、見慣れた親友の合成絵は、想像したことのない現実。私が望んだ。踏み外したとは思わなかった。
遮断しようとする感覚が、目を細めた彼女と私の脳を繋ぐ。
無理しなくていいのに、
……ちがうわ
意地を張った私に、さざなみ。
ゆるい苦笑いとは裏腹の江利子が、夜を重くして私を追い詰める。全部握られているから、とても楽になれる。
ねえ、
すうと消えた色が、江利子の瞳に宿った。
一瞬にして混線した糸が、不安感を掻き立てて吸収する。
私は震えていたかも知れない。
ひきつる快楽は、江利子が丁寧に塗り込んでくれたものだというのに。
好き?
……なんで江利子がそんなことを聞くの。
ルール違反よ。
私たちの間にルールなんてあったとでもいうつもり?
だって江利子は。
私の弱い部分を知ってる人が。
掠れた否定は哀願だった。かたちのない壁を崩そうとする江利子に怯えた。指先で押し上げられた圧迫感が胸を詰まらせて空気が塊になる。目は閉じられなかった。
逸らした視界の先を江利子が塞ぐ。
蓉子
囁かれて、感情が消える。食いしばる歯の間から漏れるのは、弾けた衝動の残骸。私は苦しくなる選択ばかりをしている。
江利子は少し笑った。終わった後、いつも浮かべる笑顔だった。
手を伸ばせば指が絡まる。べたついた指の股に、眉を顰めたところで顔にキスが落ちる。額の時もある、頬の時もある。唇の端が、ぺろりと舐められて微かな吐息がかかる。
ねえ、
寝たふりをすれば、江利子は許してくれるから。
*
置いていかれた瞳をする蓉子を、ぐしゃぐしゃにかき乱してやりたくなるのは、いつもの衝動だ。
実行したこともある、過敏な蓉子の悲鳴は、閉め切った部屋に心地よく広がって嗚咽になってしまうまですぐ下の熱を持った存在をかわいがった。勝手に向こう側にいったのはあなたのくせに――まあ追い詰めたのもタイミングを図ったのも私だけれど――孤独を主張する表情をあからさまに浮かべられるのはいい気分ではない。
やるせない、とでもいうのだろうか。
この私が。
言えば蓉子は謝るのだろうか。
謝ってしまうのだろう。
どちらかが馬鹿だったらそもそも成り立たなかった。
わかって手を出す私はいつも後から嘲られる。キスをすれば蓉子はくすぐったげに笑うから、いつの間にか何も考えずにしていた後戯を、自覚した途端に懲りない破壊衝動が暴れだした。
ねえ、
蓉子の爪が、私の手に刺さる。繋ぎあった両手の意味を、彼女はどう捉えているのか。眠ってしまうか、少なくとも寝たふりはするだろうと思ったのに、引き寄せる仕草。
蓉子に体重を乗せるのは嫌いだ。知ってか知らずか、彼女は巧妙に私の重心をずらす。
*
もう、おしまい?
どうして?
虚をつかれた風の江利子に、どきりとした。
いや、行かないで。
縋る腕は細い。自慢じゃない、けして、誇らしくなんてない。大事な物を掴むことも、大切な人を留めることも、簡単にはいかないから。見苦しくもがくことが出来るのは、みっともなく求められるのは、江利子だけなのに。
お願いだから、
求められなければ拒絶はできない。
江利子が行ってしまったら、私は、どうすればいい?
微かにかかる体重が心地よかった。私を固定することをあまり好まない江利子が、たまに落としてくる重みは、時に途方もない充足をもたらす。たまにだからいいのかもしれない。江利子が渋るから、求めてしまうのかも、しれない。
ばぁか
うろうろと迷う私の意識をまとめる、言葉尻の甘さ。
*
お願いだから、
不安げな顔を、私の下でするのは、やめて欲しい。
呼びかけに振り返ってほころばせる顔、キスの最中に至近距離で見る安らぎ、江利子と囁く頬の赤み。あどけない寝顔よりも幸せそうな表情が、あまりに呆気なく見られるから私は贅沢になった。崖に落ちそうな蓉子の腕を掴み、窓際でふたりダンスを踊る。
繋ぎとめるだけでは、引き戻すだけでは満足できなかった?
与えていたつもりだった。求められて抱く側にまわる、違和と悦楽を気取らせずに、蓉子の表層から深奥までを暴きたてた。一枚剥くごとに安堵を浮かべ、撫で上げれば歓喜に泣く、美しい少女を優越を得る材料にした。
違うと、偽善ぶる自分と、それを嘲笑う私。
ばぁか
どちらも、本当の、鳥居江利子だ。
選択肢は、できるだけ多く残しておきたいから。
蓉子の下に。手札はオープン、やりくちは幾重にも、晒す私を求めて欲しい。
押さえつけない、拘束しない。
身を捩る猶予すら、与えた上で私に。
その願望が不遜だと知っている。蓉子は強引さや乱暴さを欲しがる傾向にあることさえ。完全な主導権と言い換えても良い。身を委ねる幸福を求めるのだ――多重な意味で。
今もほら、蓉子は心細げな表情を隠そうともしていない。
頬に唇をつける。
こうすると蓉子は落ち着くから。
首筋を舐めあげる。
蓉子が満足げな吐息を漏らすから。
好きよ、と、囁く。
私もよ、と返す前に一瞬の空白。
私たちの不幸は、互いの願望の相違をとてもスムーズに埋めてしまえることにあるのかもしれない。
――私も、好き
確かに存在する空白をそれでも乗り越えて返ってくるから、児戯のような結びつきは頑なに続く。
促せば素直に目を瞑る蓉子の影は、私の分と一緒にシーツに押し潰されている。
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