Nightmare









「まだ泣いているの?」



ぽとぽととシーツに染みが出来ていく。
透明だったはずなのに、地に着いた途端変色していく滴。優しい温かさがどうしようもなく煩わしくて私は首を振る。慣性に従って流れる水滴が頬に新たな筋を作り出す。

無性に哀しかった。淋しかった。そしてそれを表現する術を知らなかった。



「蓉子」


悪夢を見たと言ったら呆れたように笑って頭を撫でてくれるのだろう。昔の夢だったなら痛みを内包した瞳で心配されるのだ。蓉子が出てきてと言えばきっと僅かに紅くなって微笑って。


呼び掛けに大した意味は無い筈だった。それなのに口にした途端膨れ上がった感情は行き場を無くし涙となってとうとうと伝い落ちていった。雫れていく。手の平の隙間から。消えていく。遥か届かないどこかへ。


「…せい」


蓉子の口から雫れたその呟きはまるで私の名前では無いように感じられた。せい。たった二文字に彼女はどうしてこんなにも沢山のものを込められるのだろう。愛情となんて呼べない。とても言葉足らずになってしまう。


とすん
肩に乗った蓉子の頭の重み。更にそっと絡められた腕。自分よりも一回り細くてほんの少し冷たい。
涙拭えないじゃない、とか、でもこのままでいて、とか。頭には次々と浮かんでくるのに私はただ呆然とするより他なかった。口に入ってきた液体は塩辛い。唾液で薄く薄く伸びていって、しまいにはただ苦い余韻だけが残る。飲み下すために視界を塞ぐともう二度と開けたくなくなってしまって。


「      」


意味を持たない言葉が流れていく。雑音交じりのラジオのように。蓉子が何か答えている。斜め後ろから伝わる響きは例えようも無い程の暖かさを持ったまま薄闇に消える。会話を続けなければ。だけれど自分はその前に何を言ったのだったろうか?思い出せない。そもそも記憶自体していなかった。焦燥とは裏腹に私は口を開いている。言葉の羅列が確かに構築されていくのにそれを理解してはいない。乖離していく。私の意識は雫と一緒にただ滑り落ちていく。


「……だい……ょ……ぶ…よ」


それを発したのは私だったのかそれとも蓉子の方か。境界は朧気に歪んでいく。ダブルベッドは時々途方も無く広く感じてしまう。ねえ蓉子もっと私の近くに来てよ。哀しくて淋しいの寒いのよこんなにも離れていると。

蓉子の殆んど溜め息となった吐息が耳元にかかる。髪を静かに撫でていく。少しずつ少しずつ染み入ってくる彼女の言葉に抵抗することは何故だか出来ない。代わりに深く深く枕に顔を埋めた。窒息してしまうかと思う程に。



脳内で渦巻くものに色をつけるならダークブルー。くらい静けさが荒波を巻き起こす。このまま溺れていけたら幸せだろうか。
そう思いながら私が布団に倒れこんだとき、体勢を崩した蓉子が一瞬私の腕を強く掴んだ。慌てたその動きに私は引き戻される。少々の不満と確かな安堵を抱えながら浮かびあがる。涙はとまったのかも、しれない。




ねぇ、蓉子
夢を見たのよ




やっと呟けたその呼び掛けは羽毛の柔らかさに吸収されていった。続きを吐き出す前に今度は私が蓉子にしがみつく。漸く漏れた鳴咽と共に再びやって来た雫は、さっきより心なし優しい気がした。




空調の音だけが、二人の間に僅かに横たわっていた。

























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