「自由を信じるの?」









lie to die




わすれさせて。


嫌なことがあると、そう言ってねだることがある。聖を逃げ場にしてるつもりはない、でも、めちゃくちゃにされたい時だって、確かに、ある。存在する。


蓉子、いいの?

……ええ


一度口にしてしまったら、もう私の意見は通らない。静止も懇願も、悲鳴も嬌声も。全部、聖を昂らせるだけ。


縛られたい?


首を振る。ふうんと返した聖は、大した執着も見せず思案顔。道具より何より、聖が良い。あなたに全てを支配される、他の何者も入り込ませない、幸せが、欲しい。


じゃあ、始めよっか


口元だけは笑ったまま、すう、と瞳が真剣な色を帯びる。目が離せない。かたりと震えた腕は、期待のせい。聖が変えた空気を吸って、吐き出そうとしたところで息が詰まる。


のしかかった聖は、獰猛に笑った。だから私も笑い返す。酸素を求める口を塞がれたまま、ぎゅっと抱きつきながら。やさしい感触を思い浮かべる。最後に必ず与えられる、きめ細かな泡をまぶされるような、あの感覚。そこまで辿り着くために、後はただ耐えて泣いて叫べば良い。


ずきり、と歯に破られた皮膚が疼いた。流れ出るものが、はやく聖への愛だけになれば良い。あなた以外の存在を知らない私に、して、欲しいと。


多分、私は、泣きたい、のだ。


それが嗚咽であったとしても。生理的現象、に過ぎなかったとしても。聖の腕の中で、聖に見られながら。


蓉子


返事は勿論聖に呑まれた。早く全てを奪ってくれることを期待して、私はゆっくりと目を閉じた。













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白亜の牢に枷の点滴



その視線は甘く、彼女の身体は中心から指の先に至るまで優しく、かけられる声はいつも暖かく。ああ蓉子が愛しい、この狂おしいほどの安寧を、愛しいからこそ引きちぎってしまいたい。異性間の婚約指輪にも似た、されど結婚指輪とは似ても似つかぬ鎖の一番脆いところを選んで手をかけて。蓉子の首筋に手に足首に課せられた枷を引き攣れる程に引っ張って。歪む表情の甘さを、優しさを暖かさをこころゆくまで味わいたい。願望が渇望となって膨れ上がる。


――せい、


凛と、響くはずの声は少し掠れている。げほりと空気を吐き出す音、代わりを吸い込む前に口を塞ぐ。生温さに包まれた指、洩らす呻きが触覚を通じて伝わる。表面張力の限界を越えて、透明な雫が瞳から直接床に落ちた。唾液は私の腕を伝ってからフローリングを汚す。くっと笑みを堪えて、蓉子より自分の息が乱れていることに初めて気がついた。


心までぎりぎりと縛られて。呼気も途切れる程締められて、重い楔で止められて。冷たい金属の端を持つだけで微笑う、肌との境目を踏みにじる行為ですら受け入れる蓉子。嬉しそう、なんて錯覚だ。非現実に決まっている。


鈍色に滲む鎖が見える。太い綱を編み込んだようで、必死で縋る私の腕のようで、荒れ狂う感情の権化のようで。弱々しい抵抗を、儀式めいた形式ばったものに過ぎないと片付ける私の理性はもう理性とは呼べない。苦悶の表情によって満たされる私の腕にかかるのは受け取れない愛の重圧。奪うことしかできないくせ手にした端から溢して行く。水音ばかりがずくずくと響く。


――蓉子


刃がめり込む感触が、指に残って離れない。痛みと呼ぶのもおこがましい苦しみすら私は耐えられず、彼女になすりつける。べったりと汚れる、朱に映える紅は映える。咲き誇る薔薇は茨に搦め取られその頭を垂れることを強いられる。誰よりも強い蓉子が。甘く優しく暖かい蓉子が。


その強靭な精神の前で、私は項垂れる。

けれど膝を折ったままで私が感じたのは、確かに愉悦の一種だった。








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切り売りマイライフ



……ただいま。


部屋の隅にばかり残る気配に、そっと呟いた。


ソファに積まれたクッション、僅かな凹み。聖がいた場所。洗わずに机上に放置していったマグも、洗濯の後アイロンがけまでして結局渡し忘れたポロシャツも、確信犯的に投げ出していったレポートの刷り損じさえ、聖の不在を、私の孤独を、知らしめて苦しめる。笑いを通り越して踊り出したくなるような発作を抱えて、私はひとり自分の部屋で立ち竦む。ここが私にとって実家よりも安心できる場所になったのは、いつからだろう。
……世界で一番、不安を呼び起こす空間になったのは、いつからだろう。


乱雑に散らばるのは聖の私物ばかり。かつては私の私物、だったものもそのうち共用になって、いつの間にか聖ばかり使っていて。サイズが合わなかったのよ、とか、ひとりひとつあった方が、とか、言い訳を作り出しては私は聖のものを増やしていく。この部屋に彼女を同化させたいくせに、切り分けようとする、矛盾は私の論理を笑う。砂上の楼閣、トランプの城、崩れるのが分かってるから積み上げる。振動に怯える繊細さなんて要らない。彼女の優しさを私は貰えない。


いつも軽薄な顔をして。人の言うことなんか聞きもしないで。勝手に上がり込んで、我が物顔で領域侵犯して、ひとりっきりで帰っていく。真意を掴むなんて野暮、所詮やりたいようにやってるのだとため息を吐くのが正しい対処の仕方なのだろう、多分。あっちの欲しいものを提供している、私を切り取って差し出している、それで聖が満足してくれるなら、充分じゃないか。


カップの底の黒い染みからコーヒーの匂いはもうしない。これ、洗わないままでもう一度使おうか。くだらない考えを、何を馬鹿なことを、と咎めるのは私の強さ。床に散らばる紙をすぐには拾い上げすら出来ないくせに、愚行には敏感に反応する、錆びついた鎖。青いクッションは赤いのに押し潰されて、身動きが取れずに蹲っている。聖の痕跡を溶かして飲んだところで何も得られはしない。


逃げるようにキッチンに行き、結局は新しいコップに麦茶を注いだ。不愉快な渇望感を紛らわせようと煽る液体。むせるくらい強いアルコールで我を忘れることも出来ない、涙のひとつも出てこない、私の精一杯の自衛手段。寂しい、なんて。絶対に思ってはいけない。


今度聖が現れるまでには片付ける、ばらばらと落とされた異物を睨む。いつまで経っても見慣れない、私に慣れてくれないものたちを。病的な夜の明かりを落として、なお色濃く漂う気配に唇を噛み締める。ゆっくりと整える寝る支度、この布団で最後に寝たのは私。唱えるように確かめて、求める両腕を戒めて。


おやすみなさい。


本人はいない空間に、そっと呟いた。









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お願い



はあ、はぁ、あ……く、ぅ

もうちょっと我慢して、蓉子

……ひ、やぁ、あっ……せ、い……っ

駄目。もう少し

も……あうぅ……む、り

蓉子なら、できるよ

うぁ……や、ああっ、い、いっちゃ……っ

……こら

あ……ぅ……

あとでいっぱい、気持ちよくなろう?
だから今は……ね?

ふっ……ん……やぁ、聖、

おいたも駄目だよ?

んくっ……た、すけ……て、

あとちょっとだから

もっ、無理……ねが、ぃ、だから……ぁっ


(この幸せがもう終わってしまうには勿体ないから、だから、)

(この幸せをこれ以上続けるのは苦しすぎるから、だから、)






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正しい夢を見よう



「あれ、聖さん、もう寝てしまっているの?」


消灯まで間もない、とはいえ5分やそこらではない。大人数でのトランプに一区切りついて、仲の良い子どうしでなんとなく固まっている、隙間の時間。疲労感と高揚感がミックスされて、私は前者の方がちょっと多い。


「聖さん?」


声をあげた彼女がぱ、と向いたのが私だったから。痺れかけた足は気取られないように気をつけながら、立ち上がって歩み寄る。

ぱっと色白さが目に飛び込み、それからあちこちに視点が跳ねた。すっきりとした鼻筋、常人よりずっと長く睫毛に落ちる影。無造作に投げ出された腕。どぎまぎして、顔を赤らめかけて、慌てて取り繕う。


「さ、とうさん?」


口をついたごまかしはちっとも役目を果たしていなかった。周りが一瞬静まり返って、ああこれが頭の中だけでの出来事なら良いのに、と強く思う。脳に血が足りない。


「もう、何を言ってるのよ、蓉子さんったら」


思ったより早く沈黙を破ってくれたのは明るいクラスメート。


「聖さんで起きなかったから、他の呼び名で試してみようかなって思ったのよ」


ふふ、と笑ってみせる。きゃあきゃあと反応、家で聖さんなんて呼ばれてるのかしら? 呼び捨てかちゃんづけが妥当じゃないの? あなたは? お姉ちゃん、かしら。弟がいるのよ。 わあ、素敵ねえ。

渦巻く会話に曖昧に交ざりながら、呼び捨て、という単語だけ流し聞き出来ずに突っかえた。さんづけが基本の学園の中、たまに親しげに呼びあっている子達がいる。香住とかさくらとか、ふわふわとした雰囲気は変わらないのに、とても自然に。


……聖。


喉の奥だけで作り出されたことば。分かってる、彼女にとって私は特別だけれど、それは負の方向に対してだ。冷淡、憎悪、私のいる位置に対する侮蔑。

優等生、なんて。羨ましがられる役回りじゃないことくらい承知してる。だからこれくらいで、私の頭の中の聖さんに馬鹿にされたくらいで、諦めたりなんかしない。


せい


独り遊びは酷く甘かった。適当に話を切り上げ、ハイティーンに片足を差し入れるときめきで盛り上がる話の渦から離脱した後も、私はしばらく眠れなかった。枕の上を飛び交うのは、恋慕や悪口より高等部の話題が多い。よく知らない単語ばかりなら、気にせず自分の世界に没頭できた。聖、と私しかいない世界。


ぎゅっと目を瞑る。瞼の裏に痛みを感じるくらい、強く。私にばかり都合の良い想像を必死で追い出そうとする。唇が震えた。

現実とのギャップに泣くくらいなら、明日の朝は呼び捨てで起こしてやろう。いつまでも振り回されるだけじゃ、やってられない。
そう思いながら、私は眠りにと引き込まれていく。

優しくない夢が、見られそうな気がした。




















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