いつか







彼女の「お願い」に、私は弱い。



蓉子、と縋る目付きで見つめられて、思わず手を差し出した。おずおずと、壊れ物を扱うように包まれた手は、歓びに燃え上がる代わりに突き刺す痛みを伝えて来た。知っていた、それは馬鹿な私自身への警告だと。壊れるから引き返せと告げられているのだと。


慰めるための道具に感情なんて要らない。頑丈さと使い勝手の良さだけを買われてここにいるのだから、地に押しつけられ唇を塞がれたらもう苦情もお節介も口には出せない。望んでいたはずの愛撫に愛は無く。何よりも嬉しいはずのあなたの指を入れられた身体は快感に震えるけれどそれはぎしぎしという軋みに似ていて。立て付けが悪い扉、誤ったものが漏れ出さないように理性で押さえたまま揺さぶられるしかない私。


冷たい。冷たくて堪らない。何も纏わないままの肌が、あなたに苛められ弄ばれた身体の表面が。凍らせたつもりだった心はいつの間にか不法に燃やされ灰になった。もう何も感じない。感じたくない。あなたにとって都合の良い支えとしてだけ存在していたい。


私は見ないふりをする。あなたの後悔の対象が、栞さんから、あなた自身から、変わり始めていることに。間違って私を注視してしまった時、私がくわえこんだ指の間から聖と漏らす時、苦虫を噛み潰した顔をするあなたの脳裏に浮かぶ彼の人に。傷と呼んでも不足ない深さで夥しい痕をつけられる最中、私があなたに抱かれているという事実以外は実際には存在していないのだと自分に言い聞かせる。合意の上だからこれは和姦だし、嘘でしかなくともあなたは私に愛を囁く。返すことは叶わないけれど。応える素振りだけで不機嫌にさせてしまう私に出来ることは選べるほど有りはしない。


性欲解消の玩具にでもされた方が本当はずっと楽だった。ある人を忘れるために、ある人から逃げるために利用されるよりもまだ、抹消される人格が浮かばれる道だった。
私もいない、誰もいない。多少なりとも価値を認められた肉体を誇ることもできたろう道。私を必要とされる喜びがもう少し純粋だったかもしれないIFの世界。泥水の中で競い合うぐずぐずと崩れた灰のかけら。


呼ばれたくないくせに、聞きたくないくせに、声を引き出そうとするあなたの負担にはなりたくないから。私は傷ついてはいけないのだと。
私自身に押し潰される感情の悲鳴があなたに強制される嗚咽より激しいのに知らぬふりをして、最初に触れられた時のあなたの優しさを思い浮かべる。あなた自身が傷つかないための臆病さだったのだと気づいていながら、都合のよい解釈をする。快楽と疼痛の振れ幅がエスカレートして行く訳も、私に求められる善がり方のかたちが次第にある方向性を帯びている理由も。頑丈さと使い勝手の良さを維持するために、天秤に不正に手をかける。


いつか逃げた報いを受けるのは私だけで良い。

敬語を使って欲しいなんて「お願い」をされたって、きっと聞き入れてしまうのだろう私の望みはもう私自身には関係がないから。
あなたの苦しみを和らげるために、あなたの幸せに一歩近づけるために、私の欲しかった幸せをまた一歩遠ざけるために。
唯一赦された憐れみをあなたに降り注がせる。ぱきりと折れたプライドの刺さる裡は隠したまま、見せないままで、ただ。


















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