なんとなくアジア風パラレル
語り部が唄う。くるり、くるりと。暖炉のはぜる音、しゃらりと鳴る手首の飾り。合わせる踊り子の肌の白さが、安っぽい明かりの下でも際立って輝いて。ぴんと張られた糸の上を軽々と伝うような身のこなしに知らず、目を奪われる。
それに気がついたのは、一曲が終わってため息と歓声とざわめきが耳に入り更にしばらくしてから。我にかえる、という文字通りの反応が自分に起こり途端つんざくような喧騒が戻ってくる。下町の活発さ。スラムにすらほど近い、当初は入る気などまるでなかった宿と酒場。
「どうだった?」
祖国の言葉で話しかけられ、思わず目を見開く。髪も目も大陸寄り、加えて語学は主席で学校を卒業したから間違えられることなどなかったし彼女の方がよほど見た目だけで石を投げられそうだ。あの、透き通った肌がすぐ近くにあることに今更気がつき、心臓が高鳴りだす。
「――――――」
黙ったままの私に今度はこの地方のことば。ここではこちらにしておいた方が無難だろうか、ちらと思ったもののいつの間にか私の口から流れ出した懐かしい発音。
「こちらで結構よ。あなた、名前は?」
初対面の女性に対し随分と不躾だったかと口にしてすぐ後悔。耳慣れないことばでのやりとりに辺りが静まったのは気のせいだと信じたい。
「自分から名乗るのが礼儀ってもんじゃないの?」
鼻で笑う彼女に先ほどまでの神々しさは抜け落ちていた。長い髪をさらりとかきやる、手つきだけで見惚れてしまうくらいしかし彼女は美しかった。
「……蓉子」
だからうっかり、あっさり彼女に教えてしまったのだろう。この情報提供が私に危険をもたらすかもしれないなど考えもせずに、いや、もしかしたら彼女になら生殺与奪の決定権を委ねてもいいとさえ思って。 多分もう疲れていたのだ。待ち合わせは嫌がらせのような場所で、案の条すっぽかされて。暗礁に乗り上げた例の事件。
「ふうん」
よーこか、と、考えこむ彼女。字面も説明しても良いのだけれど、彼女のなまえという見返りくらいその前に期待したって不公平ではないだろう。
「わたしは聖」
綺麗だな、と、思った。さっきの舞のように、じっと澄んでいる。 あの腕輪をしゃらりと鳴らして聖(勝手に当てはめた)は私がちびちびと舐めていた申し訳程度の酒を一気に煽った。微妙な顔をして容器を戻す。
「ねえ、さっきの、気に入ってくれた?」
「は……?」
目を細める聖は多分作っている甘い顔。 かかってはいけないとわかっているのに止まれない私はきっと彼女の網にかかった。もがけばもがくほど堕ちていく、魅力的な微笑み。
「……っ、ええ」
こくん、と頷くと満面の笑顔に変わる。本当に笑っているのか、確かめたかったのか、手を伸ばした私。聖はすっと顔を引いて、そして宙に浮いた手を掴んで。
「いこっか」
当たり前のように、そう告げた。
--------------------------------------------------------------------------------------
ラセット
「お疲れさま」
「……ありがとう」
す、と紅茶をサーブする。蓉子は目をぱちくりとさせてカップを見、それから私をきょとんと見上げた。大きなままの目が、可愛いなって、思って心臓が高鳴った。
「…どういう風の吹き回し?」
少し自分の側に引き寄せて、白い陶磁を指でなぞると、蓉子は綺麗な眉をひそめる。 なんでも真面目に意味を考えようとするまっすぐさは、嫌いじゃないけどたまに無粋。もちろん意味はある、でも今は必要ないよ? 素直に笑って飲んでくれるだけで良いんだけどな。
「ひどいなぁ」
愛しの紅薔薇さまのためならいくらでもサービス致しますよ? ちゃんと軽くなってくれて安堵する自分。お調子者のリップサービス、気の置けない親友だってたまにはからかう。あなたは私を良く知ってるけど、私にだってこれくらいは。
「…だったら、」
じと目で睨む蓉子を、頬杖をつきながら堪能して。愛しいからにやにやと笑ってみせる、ティーパーティーの隣には書類の塔。几帳面な蓉子の字で埋め尽くされきっちり印が押された、彼女の努力の結晶は薔薇さまの仕事。手伝いたくなかったわけじゃないよ、なんて勿論口には出さない。怒られるより何よりその理由を蓉子には言えないから。
はあ、とため息をつく蓉子。もうお決まりの仕草、続けてふう、なんてあってそれからうーんと伸びをする。カップを倒さないように気をつけながら、控えめに伸ばされた蓉子の肢体。もっと見たいとかむしろ触れたいとか邪な願望を押さえつけて鎮圧させる。いくら呆れられても良いけど、嫌われたくはない。ため息ひとつ(ふたつ?)で許してくれる蓉子は優しい。他の人より少し多く許されたい、なんてひどい独占欲。
「…いいにおい」
すう、と湯気を吸い込んだ蓉子の胸が、膨らむ姿に目を引き寄せられる私。猫舌だからまだ口がつけられない、だから私はまだ暫くは彼女を見ていられる。早く飲んでくれないかな、なんて、無邪気なこどもを演じていられる。
「…聖、ありがとう」
「どういたしまして」
じっ、と見つめられる赤茶けた液体。嬉しそうなのはお気に入りのだから? 珍しくも私が淹れた、から? 私、だから……?
……なんて、罪を問われない思想犯は蓉子を勝手に。あなたを僅かでもあたためている温度、楽しませている香り。私の手からは離れたそれを、蓉子は優しく抱え込む。蓉子に見られない私は口実をタテに蓉子を見つめ続ける。気づかれませんように。開く茶葉にこめた私の本当の思いには。
……ずっとこのまま、冷めなければいいのに、な。
--------------------------------------------------------------------------------------
はじめて。
い……っ
目を見開いて、そして首を振りながら衝撃を堪える蓉子。逃げる腰を押さえつけられ私に組み敷かれたまま、過呼吸に近い荒い息を繰り返し繰り返す。鋭角にさらされた顎から首もとへの線が震える。蒼白な顔で、それでも私を見つめてくる。虚ろな瞳に私が映る。
……蓉子
大丈夫だから、なんて、とても言えなかった。その苦しみを私はわかち合えなくて、きつく締めつける中でただじっと蓉子の痛みが和らぐのを待ちながら祈るばかり。どうか、はやく、と、罪深い私たちの繋がりを嘲笑うかのような苦痛が蓉子に降り注ぐのを目を逸らさずに見守ることしかできない。
……痛いって言って、いいよ?
いやいやと首を振り続ける蓉子の耳元に、そっと、落とす。精一杯の気は遣ったのだけれどそのときの動きすら辛かったのか、更に乱れた呼吸に蓉子が苦しそうに涙をこぼして。掬いとってあげたい、でも、これ以上動くのは一旦蓉子が落ち着いてから、と自制心を総動員し私は囁き続ける。蓉子、蓉子、と、限りない愛しさをこめて。
……ぃっ、――せ、いっ……っ!!
くいしばった歯から漏れる呼びかけに、うん、うん、と応えながら。力の込めすぎで真っ白になった指先をシーツから包みこむように引き剥がして背中に導く。右の手しかできなかったけれど、不安定だったのか左手の爪もすぐに私に突き刺さって。容赦なく抉られる感覚に息を吐きながら、こんな痛み、と自分の弱い神経を叱咤する。
やめないから、ちゃんと最後までしてあげるから、ね?
さっきの、約束。
おねがい、されて、私はうなずいた。最後まで、がどこまでかは確認しなかったけれど、少なくとも、まだ、終わりじゃないから。
蓉子にのしかかった体勢のまま、はりつめた乳房をやさしく口に含む。ひときわかたい周囲を円を描くように舌を動かして、そして全体をそっと吸う。快感も蓉子にできる限り乗るように。少しでも気持ち良くなってくれるように。
……せ、い
忙しない息ではありながら、ようやく、こちらに戻ってきた蓉子。まっすぐな目が、そこにこめられた決意が、私を射抜く。これからまた襲いかかる身を裂かれるような苦しみへの恐怖に震えながら、それさえもはや受け入れた強さで、私の背を静かに撫でる。ひりひりとする痛み、蓉子が分けてくれたもの。
……ん
いくね、と言うことばに微かに頷いた蓉子はもう私に傷をつけるのを拒まずに。深呼吸をしながら私の動きを待ち受ける。視線を合わせたまま、私は、突き立てた指先にゆっくりと力をこめる。
は、……っあ、ああ――っ!
悲鳴も痙攣も涙も全部全部受けとめるから。
それが繋がるってことでしょう? と、身悶える蓉子の上で彼女の全てを目に焼きつける。痛い、と、絞り出された訴えに、聖と必死に呼ばれ縋られる声に、私は目を細める。私の深い深いところまで届き身体がこころが熱くなる。
せい――っ……!
繰り返し繰り返す私の動き、応えるように返される私のなまえ。ちゃんと届いてるよ、蓉子の中、しあわせだよ。
ねえ、蓉子も、しあわせ?
ことばにしない思いに応えるように、蓉子は私のなまえを呼び続ける。繰り返し繰り返して、繰り返して。
--------------------------------------------------------------------------------------
刹那、恒久
「……ふ、ああ…」
「…蓉子、蓉子っ」
しがみつくあなた。腕が絡みつく。身体どうしを擦りつけるように、無茶苦茶に全身を押しつけてくる。体重を越えた重圧がかかる、苦しいはずなのに、はっきりと狙った刺激は与えられていないのに、甘い声しか漏れなくて恥ずかしい。鈍く重い熱がまわる。思考を鈍らせ四肢に鎖を繋ぐ。愛情という名前で。
「好き、だよ…っ…」
「んん……っ」
割り込まれた膝に押し上げられて跳ねる私。あなたに留められたまま、懸命にもがき手を伸ばす。あなたに囚われるとあなたから遠ざかる矛盾。迫ってくる感覚に悶え聖を呼ぼうとする。あなたを受け入れるとあなたがわからなくなる。苦しいのに怖いのに気持ちよくて満たされて。
「…蓉子!」
愛して、と懇願される、声の響き。どこまで響けば気が済むのか、ぐわんぐわんと私を揺する。渦を巻き錐揉みし弄ばれる。あなたにされるけど、あなたはしていない。 ふたりしかいない世界、更に飛ばされ、互いに夢中にしがみついて。
「聖っ……!」
滑らかな肌の感触の代わりに繊細な指の踊り。意味を持たない反復と衝動で襲いかかる強烈な快感。ねえどうしてあなたと私は。肉体も精神も境目が曖昧になるのにあなたの存在を鮮明に感じる。混ざりあい溶け込みどろどろになりながら聖を欲しがる。理論も秩序も思考も歪み破壊され解き放たれてひとつになって。ああそれなのに私たちはどこまでもふたりで。
突き抜けた衝撃が悲鳴にもならずにあなたに届く。息を詰め背を逸らすことで愛を叫び結びつく。原始の欲求。今この時のためだけの快楽。
「よーこ……っ」
あなたを胎内にいだきながらあなたを素肌越しに抱きしめながら。私はあなたにしがみついて縛りつける。私を愛して、もらう、ために。
--------------------------------------------------------------------------------------
接触欲求
膝を抱えてテレビを眺めてたら足の爪がひとつ変色してた。
「……うわあ」
ちっちゃい爪の真ん中くらいに白い線が入って、そこから上が小豆色になっている。自分の足で胸とお腹を圧迫したまま、思わずじっくりと観察してしまった。よく今まで自分は気づかなかったものだ。それとも最近ついどっかにぶつけてたとか? それにしても痛くないなあ。
つんつん、とつついて、それからぎゅうと押してみて。なんか痛いけどこれは内出血とは無関係な痛みの気もする。試しに隣の指も指圧。うーんとか唸りながら二本を交互に、とか段々何が目的なんだかわからなくなってきたところで照明が翳る。
「……何やってるの?」
ほかほかの蓉子からは森の香りと称すらしい入浴剤の匂いがする。ソファに乗ったお尻の位置をずらすと素直に右側が埋まった。匂いが強くなる。湿った黒髪に頭と鼻先を突っ込みたい、なんて思う。
「ねぇ、面白くない?」
ぴこぴこと左足の指を動かしてみる。足の指を一本だけ動かすのって難しいな、ああ親指なら簡単か。薬指を主張するために試行錯誤してたらちょっとだけつりそうになった。蓉子のため息は多分その馬鹿さに対してじゃないけれど。
「痛くないの?」
「ちょっと痛い……かも」
「だったら何でやるのよ」
はて、何でだろう。ぴこぴこ、を止めて考えながら本能に敗れて蓉子の髪に手を伸ばす。たぶん、特に意味なんてなかった、が正解だけど、それじゃあ余りにつまらないし。顔を近づけると蓉子の目線は件の指に固定される。触られるのが恥ずかしいっていうより、こういういちゃつきに慣れてきた自分を恥ずかしがってる蓉子は、ただじっと私の手先に足先に神経を集中させている。見られて、触れて。触られて、見つめて。一瞬迷った後、髪に埋めた手で引き寄せればお互いに密着。
「蓉子に馬鹿ねって、言われたかったから?」
「……ばかね」
蓉子の指が触れた赤紫色の爪と皮膚は、痛くないのに、じん、と疼いた。気をつけなさいよ、とお決まりの台詞、適度に軽い私の返事。ついでにぴこりと動かしたら、大したことはないと判断したのか軽く弾かれた。 ……今度はちょっと、痛かった。
|