受けるのは報いだけ



図書館の本の中にその書きさしを見つけたのは、偶然だった。奇蹟と言っても差し支えは無いし相違もない。

独特な、と言い換えても構わない、一部だけ歪に主張する筆跡。まっすぐなのに、美しく整っているのに、よくよく見ると個性が光る。強烈に他人を惹きつける。

ああ食べてしまいたい、と、蓉子は思う。この紙片を、手垢にまみれバイ菌の繁殖する、不味い繊維の上に乗った美しい聖の文字を。それは暴力的な衝動だった。渇望が唾(つばき)で舌の根元を湿らせた。触れた指先がじとりと醜い汗をかいた。

そしてそれは禁忌だった。蓉子は鼻で笑う。自分のくだらない思いつきを、馬鹿馬鹿しいと一蹴し、吟味することを止める。乱暴に蓋をしたのは、いつかもう一度浮かび上がらせる余地を残したからだと、思いを至らせることもなく。排出するだけの新陳代謝を無理矢理に打ち切る。

――聖

傲慢な魂が肥大し体内の循環をそう呼吸までを圧迫するのは、止められぬまま。












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砕けた硝子の破片、触れた証明はただ赤く(とあるひとつのバッドエンド第3話)



気を失った蓉子を腕に抱える、私の呼吸ばかりが荒い。


深い紅のリボンをほどく。蓉子の汗で湿り色の変わったそれを、しごいてまっすぐにして、手櫛でおざなりに整えた蓉子の髪を縛ってやる。お菓子の包装に使われるようなものだから、伸縮性もなく、だからあまり動くとほどけてしまう、即席の飾り。解かないように気をつけながら、そっと、汗ばんだ黒髪を撫でる。

涙の跡がいく筋もついた蓉子の顔は血の気が失せて白い。優しい指先より甘い乳房よりなお白く見える寝顔は、溌剌とした健康さが抜け落ちていて。私が抱えこめるくらい小柄な蓉子の、細い身体つきを、目でなぞりながらためいきを吐く。感嘆の、自嘲の、悲哀の入り交じった、私にしてはとても複雑な。


いつからだろう。蓉子が、不安そうな表情を浮かべるようになったのは。

私のあげたもの、或いは私のもの、で自由を奪うと、あどけない喜びを浮かべるようになったのは。


初めはちょっと面白がっていた。いわゆる軽いSM、みたいなノリで、蓉子をぐるぐる巻きにして、ひどい言葉を囁いた。恥ずかしがる蓉子に、それでもひくひくと反応する蓉子に、満たされる征服欲に酔っていた。勿論布団の中限定で、普段にそのことを揶揄するとグーで殴られるくらいにはそれは一種のお遊びだった。蓉子がしてみたがったのも強い好奇心からだって、私は何の疑問も無しにそう思い込んでいた。

違和感を覚えたのは、蓉子が独りで眠る夜に帰ってきたときのこと。
予定外、というか予定の狂い、に集約されるその偶然は結局私たちの関係を大きく変えた。綺麗な瞳を真ん丸にして私を見上げた蓉子は、何故かとても幼く見えた。絶句する私に、倒れかかるように抱きつかれた時、私の何かも、ぷちり、と切れた。


――嗚呼、私も、ということは。蓉子の糸は。


多分あの日、私は「水野蓉子」を手にいれたのだ。

親友でも腐れ縁でも、恋人、でもなく。どれほど純粋で、どんなにか歪な関係。愛しても愛でても慈しんで可愛がったって良い。汚し屠り飼い殺しにすることすら許されたひとつの魂。私の手中にある、無防備な。


――手放すことだけは、けして、許されない存在。


細い赤いリボン。私のもの、その黒髪も呼吸も存在意義も。嬉しかった。嬉しいよ。幸せだよ。

ぽたりと私の所有物に涙が落ちる。そこに溶けた感情に、私は気づかない振りをした。










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夢魔の求愛(似非中世パロ)



懐にはナイフ、垂らす蜂蜜、つま先立ちのあなたにはキスを。

前時代的な装備をしのばせ、ドレス姿のあなたの前に。優しく触れるのは捕らえるため、牙を隠すのは噛みつくため。人間どうしの獣の交わりを、できるだけ華やかに見せようと凝らされた趣向。シャンデリアは遠く、あなたの瞳は硬質の光。見据えた漆黒に、私が映る。

空洞を埋めたがる心が彼女の頬を鷲掴みにした。繊細と称された指が顎筋の線を滑る。その白磁に似つかわしからぬ健康的な弾力が、極上の舌触りのようで漏れかける笑みは自嘲の容貌を表した。この人にこの場所は相応しくない。気づいたら後は引き摺り込むだけだ。

豪勢な食事も調度も装いも、かしずかれる不快も目の前の双眸で溶けた。ワインレッドに手をかける、無礼を咎めない真意を知りたくて、唇を奪う。赤に触れ染められる戦慄を恍惚が彩った。

毒の代わりに流し込んだつもりの液体が破滅をもたらすならば、それも一興と約束と未来を同時に消し去って低く囁く。ひと夜限りの夢を、暗闇の中で永遠にしようと銀を返した。











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銃声はスカーレット
(似非中世パロ)



蕩けたのはどちらだったのか。

押し倒したベッドは腹立たしいほどの柔らかさを有していた。裾から差し込んだ手が、気遣いも準備ももたなかったことに見開かれた瞳は、彼女が今までどのように扱われてきたかを雄弁に見せていた。手袋を脱がせれば金属片の束縛。爪に塗られた赤が、冷たいままで私の背を這った。

汚れ破れた衣服を取り払う過程で、互いの唇は真紅に濡れた。舌を噛む躊躇はみせないくせ殺す気配は感じられないと来ては、一段上の返答をしないわけにはいかない。くわえ、吸い上げるとお決まりに背筋が伸びた。睥睨未満の示威を黙殺する。

会食はいつにも増して退屈だった。限定と虚構で装飾され尽くした特権を見せびらかすさえずりは、聞くに耐え難く無視するには喧しすぎた。知りたくもない空虚に埋められた身はそれでも飼われた一羽に過ぎない。一枚剥げば悪意に塗れた談笑が、いくつも耳元にまとわりつく。限界の三歩手前で扉へと向かう。夜風は生ぬるくとも腐臭より百倍ましだった。

踊り場に設えられたこの屋敷で唯一気に入りのバルコニーに、動かない影を見つけたのは階段を殆ど下ってしまってからだった。瞬時に踵を返そうとした私の方を向いた影の持ち主は、弾丸より鋭い眼光で初対面の相手を射抜いた。撃たれ返すのを待ち受けるかのように呼吸を止める。

突き立てるものしか持たない私に呼応して、鈍い刃が胸元で騒いだ。










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髪飾り



「……あ」


偶然見つけた、雑貨屋の装飾品コーナー。普段なら気にもとめない一角で、ぱっと目に飛び込んできた銀色の髪飾り。

吸い寄せられるように手に取った。控えめな色使いであしらわれた花と葉、柔らかな曲線、蓉子の黒髪にはとても良く似合いそうな。
どこに挿そうかな。ふたつ並べた方が綺麗だろうか。じっと見入ったまま、頭の中で蓉子の髪を弄ぶ。恥ずかしがる照れた表情、ああこの記憶はこの間のお花見の時のものだ。手を繋ぐよりもう少しくっついて、ゆっくりと私を見上げた、あの時。そうかこっち側から覗かれるなら右側を飾った方がよく見えて良いな。すぐに紅くなる耳は隠したままのかたちでとめて。


「…あの、」

「……え?」


うーんと考えこんでいた私を引き戻したのは、店のエプロンをかけた女の子だった。祐巳ちゃんくらいの背丈で、髪は染めてるけど素直そうな童顔の少女。


「何か、お探しですか?」


マニュアル通りのことばだろうに、押しつけがましさの何もないすっきりとした伺い。良い子だなあ、と、思わず頬が緩む。ぱっと朱が入った顔に手をやった彼女に噴き出しそうになるのをなんとか堪える。


「ああ、いえ、大丈夫です」


断っちゃうのは残念かな、と少しだけ思ったけれど。プレゼントなんです、なんて言って、蓉子を誰かと共有したくなんかない。
蓉子、腐れ縁の親友だった、真面目でしっかり者で可愛い恋人。ふわ、とあの夜の思い出が蘇る。





あなたにこうされるのが、好きなの

こうって?


髪を手櫛で梳られ目を細める蓉子は私に寄りかかって身を委ねている。重たくなんかない、細い身体は白く、所々紅く。懐かしい薔薇の呼称、思い出してくすりと笑う。ついでに一際色づいた箇所をひと撫で。びくん、と揺れた、蓉子は私を慌ててとめる。

弱いからたくさん散らされている、私が蓉子を愛した証。汗でも指でも落とせない彩りだけで蓉子の反応が蘇る。まるで地図だね、なんて軽口を叩いたら多分殴られる。


……髪が


気持ち良いの、と呟いた蓉子に、私は勿論煽られて組み敷いてもっと蓉子を紅くした。





「すみません」


かちゃ、と置く音は店内の音楽に紛れ私にしか聞こえなかったに違いない。縛ったり纏めたら難しくなるでしょう? と恥ずかしそうに告白した蓉子を思い浮かべられるのは私だけだというのと同じ。綺麗だけど、きっと蓉子によく似合うけど、でも蓉子には必要ない。


「いえ!
 またいらしてくださいね」


やっぱり可愛い、多分気立ても良い、少女には会釈と笑顔で返して。素敵な子に会ったよ、なんて言ったら蓉子は拗ねるかもしれないけど、こんな風に世界を楽しめるようになったのは蓉子のおかげ。そこまで伝えたらきっと紅くなってくれる。そっぽを向くのが照れ隠しだからになる。
そしたら何も飾られてない蓉子の黒髪をかき回す勢いで抱きしめよっか、と相変わらず馬鹿な妄想を頭に浮かべてにやけながら。私は早足で集合場所を目指す。もう遅刻の時間だからまた怒られるかな、なんて、それすら楽しみにしながらも。


















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