ラフスケッチ 2



春の陽気は桜を散らす。
良い感じに降ってきてはくれるもののいちいち反映させるのは面倒くさい。最後にまとめてにしよう、とモデルに焦点を絞り手を動かす。
はたはたと風が吹くようになってから蓉子は時折身動ぎをし出した。


「動いちゃ駄目だってば」

「そんなこと言われても、…きゃあっ」


わー、お。
桜の枝に伸ばしてた手は、勿論ガードには使えない。折ってしまうかも、という彼女の逡巡が私に嬉しいサプライズをくれる。


「白レース、ごちそうさま」

「江利子っ」

「なあに?」


意図的にでなくても笑えてくるんだからすごいものだ。全く、赤くなった恋人は非常に可愛い。
涙目になりそうでならないのはプライドからか外だという意識が頑張っているのか。文句で誤魔化したい気持ちは分かるが残念ながらこれは私のせいじゃない。春の風に感謝してることを責められたらどうしてやろうかしら。


「だっ、大体、知ってたくせにっ」

「あなたが昨日何穿いてたかなら知ってるけど今日何を穿いてるかなんて知らないわよ。
 ああ、知らなかった、かしら?」

「っ……!」


その気になればいつでも見られるって意味では蓉子の言い分も間違ってはいないけれど。希少性があるのはシチュエーションの方。この手の幸運はたまにだからこそ良いとも言える。つまり、さっきのごちそうさま、に戻るわけだ。


「だいたい今更、だし。私以外誰もいないし。」


むしろ誰かいたら大いに問題だし。


「それはそうかもしれないけど……!」

「あーはいはい。じゃあ次はスカート押さえたポーズで良いわよ」


はい? と疑問符を浮かべる蓉子に告げる。


「一枚書けたから。」

「…やけに早くない?」

「ラフでやめたもの。」

「……何かまずかった?」


おずおずと訊ねる蓉子。不安げな様が私の嗜虐心を懲りもせずに呼び覚まし、さあどう出たら良いかと頭を回転させる。蓉子と付き合うと良い頭の体操になるのよね。一方的に心理戦をふっかける私は身勝手に思いながら。


「作品にするにはさっきの蓉子が強烈すぎてちょっと、ねえ」

「!!」


まあ、今回はストレートで良いかしら。
赤面の上に赤を重ねる蓉子は見事に固まっていて。その表情なら脳内映像だけで克明に描けるわよ、なんてからかおうかとも思ったけれどその前にもう一枚さっさと描いてしまうことにする。
さっきの一瞬と混ぜた全身絵にしたら、どんな反応をしてくれるだろうか。














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ヒトの玩具には鱗粉を差す



あなたは平気で約束を反古にする気がして。一方で当たり前の顔をして待っている気もして。待ち合わせには少し遅れて行く。他の誰相手にでもしない、だから多分私の愛情表現のひとつ。
いや、あなたの挙動、愛の所在に怯える私の自衛手段。

あなたは遅刻はしないから。不慮にして遅れる時は、きちんと連絡を寄越す、から。噴水を抱えたコンコース、駅前の喫茶店、あなたが降りるバス停の前。見慣れた姿に、息を呑み、次いで安堵する。やわらかな髪質が、風に乗ってその存在を際立たせて。


「蓉子」


ああ、あなたに呼ばれると、それだけで舞い上がる私の心。愚かで単純で情けない、恋をしてしまった全身が、血を集めることで愛情を示す。


「ごきげんよう、江利子」


捕まえられない、ふわりふわりと舞う蝶の鱗粉。それは毒だと、分かっているのに。


「遅れてしまって、ごめんなさい」

「これくらい、構わないわよ」


真面目ねえ、と茶化すあなた。真面目じゃない方が好きなら、優等生なんてやめてあげる。そんな告白は、できないけれどどこまでも本音。
あなたの価値基準は独特で、けして読めないから不安になり安心する。まだ気に入られているのかといつも思い。誰にもわからないなら大丈夫と言い聞かせる。どうか、使い捨てないで。彼女の玩具なのだと自覚しているかのような願い。


「行きましょうか」

「ええ」


当たり前のように腕を取られ、歩き出す江利子。ただの気紛れ、わかっている。声が小さくなった私は、きっと恥ずかしがっていると思われてるだろうことも、わかっている。いつか平気な顔でこの手を離されるのだ。わかって、いる。


「空いてると良いわね」

「そうね」


あなたの毒を廻されて、熱を帯びる私の緒器官。もうこれで良いのかもしれない。熱に浮かされるまま、江利子の歓心を買うためだけに行動して。使い潰された後は全て壊してしまえたら。
幸せだろうな、と自分から腕を絡めた。ひょいと眉をあげた江利子が、呆れたように見えて慌てて離す。


「良いわよ、このままで」

「……本当?」

「ええ。」


珍しいから、驚いただけよ、と。
平坦な声音で甘いことばを吐くあなたに、私は何も返せずに。
たださっきより強く江利子の腕に腕を。あなたの舞う欠片を肌に染み込ませようと、強く、ひたむきにと。










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アクアリウム



どうして私はこの少女に甘えてしまうのだろう?
同い年の、性格が良いとはとても言えない、面白いものが好きなだけの鳥居江利子という親友に。


「…江利子なんか、嫌い」

「そう、嬉しいわ」


……変態。
呟く私に彼女はそれはもう良い笑顔を見せる。くっくと笑う声も隠さない、性悪と言って差し支えない。
だけれど私をこうして抱きしめてくれるのは、馬鹿ねって揶揄しながら昏い部分まで水野蓉子として認めてくれるのは、江利子だけなのだ。


「あなたはすぐに人を受け入れるけど」


鼻歌でも歌うように。春風を作りながらそっと私の身体を揺らす。私を慰めるなんて意図はきっと無い。本当の理由はわからないけれど。


「誰かを嫌うことは、めったにないでしょう?」


嫌いな人、はいくら考えてもひとりしか出てこなかった。なるほど江利子は実に正しい。ふらふらと遊び回りながら、好奇心に身を任せながら。個を持ちしっかと立つ彼女は眩しい。
……私が本当に嫌いなのは、彼女ではない。


「泣いていいわよ」

「……いやよ」


嫌いな人のためになんか、泣きたくない。涙は絶対に、流したくない。

江利子が私を抱き寄せる。細くなった気がする気道が音を立て、食道が本来とは逆の方向へ何かを押し出そうとする。
酷くお腹を空かせた時のような気持ち悪さ。首を絞められる息苦しさ。


「強情なんだから」

「悪かったわね」


強がる私を江利子は笑う。その響きが身体に染み入ると私は何故か安心する。ちくちくと刺さる真実は、江利子が告げれば私を救う。けして癒やしにはならないけれど確実に私を生かす。掬われる。

面白いものに目がないだけのくせに。どうせ優等生が崩れる姿が物珍しいだけなんでしょう? 親友なんてあなたにとっては大して価値のあるものじゃないって、知ってるんだから。

苦し紛れに罵倒する私は江利子の胸に顔を押しつける。唯一愛する人が、私の一番嫌う人に心音を聞かれている。腹が立ってたまらないのに、心地よさに身を委ねてしまう。

春の終わりを私は江利子の髪の匂いで知った。








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理解不理解



はあ、と鏡の前で溜息をひとつ。お揃いのコップと歯ブラシがふたつ並ぶ洗面所は、朝の清潔さを反射させている。異物のように映る自分の姿に、肩にずっしりと砂袋を乗せられた気分になる。
近所迷惑を考慮して江利子の方にきっちり向かって。なんとなくこれからの展開を予想してる眠たげな表情には絆されない、と自分に渇を入れる。


「ちょっと、江利子!」

「朝から元気ねえ」


大丈夫、やる気のない返事は想定内というかむしろ普通なんだから。付き合いだして、彼女の裏を読み取ることは多少なりともうまくなったと自負している。少なくとも他の人よりは。負けないし負けたくない。


「これ、どういうつもりよ!!」

「あら、何か問題でも?」

「あ、当たり前じゃない!」

「いいじゃない、そのまま学校行けば」

「……ふざけないで」


のらりくらりとかわされる。交わされる会話に羽でも生えていそうで砂袋はますます重くなっていく。


「恋人につけられましたって言っておいたら?」

「……恋人、なんて」


……言える訳ないじゃない。
江利子が好きとか嫌いとか、そういう次元の話じゃないのだ。私は江利子と恋人でいたいから、そのための道を選んでいるだけ。


「強姦魔でも良いわよ?」

「……良くないわよ。
 そんなこと、言わないで」

「あら、どっちも本当じゃない。
 親友って言われる方がきついわ」


彼女の思考回路の帰結がわからない私は、こういう時に途方にくれる。

他人に知らしめたって何にもならないのに。むしろ江利子の方が他人の評価を気にしたりなどしないだろうに。
反論を持てず俯いて指先で昨夜の痕に触れる。鮮やかな紅がぼやけるにつれ私の全身を染めて行くように見え、ますます途方にくれた。これ以上江利子に支配されて一体私はどうすればいいのか、わからなかった。








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前回が江利子視点ばかりだったので蓉子サイド多目を目指して。
実は各題色々リスペクトしてます。












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