日射病




眩しい、なんて、彼女は双眸を目蓋に隠す。嘘つきな恒星。自分が月だと信じている青白い頬はアシンメトリー。笑うのに失敗した聖の前で、怒るのに失敗した私の影が、ゆらゆらと熱される。木陰は遠い。真夏の昼の夢。

じわじわとざわめく蝉の音もさざめく血潮も頭蓋にかじりつく警鐘も、等しい距離と重さで私を穿った。柔らかい地表が、粘着した日差しが、湯掻いては掻き混ぜてうつつを無くす。聖までの空白が、埋められないのは、ふたりをごく小さな影法師に纏めて張り付ける、太陽のせい。

あつい、と呟く聖の喉はひりついていた。もうしばらく水分を口に含んでいない掠れ声は、私を粟立たせるに充分の濃度で迫る。閉ざしたら負け、逸らしたら最後。向けたままの瞳の奥はからからに乾いている。

無益なことを、と愚問に愚答する回路は白く焼ききれた。不対称な繋がりを、双方が抱えた過ちを、詰問されないから反省もしないままで、私たちは。

苦しめられることを望んでいた。水打ちの残滓が蒸発していく足元はもう随分前から揺らいでいた。幸せを欲しがる煌めきは、自然の光の下で萎れている。

天に遠い粒になぞらえずとも、矮小な意識は、身の程に合った幸せしか与えられはしない。巡る軌道の不確定さに定まった直径の端を合わせて、私は聖に。緩く笑って、酸っぱささえ携えた苦味を飲み下す。

私の聖は、勘違いしたまま、私の周りをいつまでも回っている。














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いとぐるま



ぽろぽろと、辛そうに涙をこぼすから。
宥めたくなった。苛めたくなった。組み敷いた蓉子に敷かれた腕が痙攣めいた震えを直接的に伝える。沈んだ指の進退ひとつで、私は蓉子の根幹を揺さぶることもほどける弛緩を与えることもできる。

どうせどちらに動かしても紡がれるのは否定のことばだ。度を越した快楽への怯えとみたされぬ可能性への恐怖。どろどろの蓉子の中で、どろどろの蓉子の声で、私が何を思わされるのなんか彼女は知らないに決まっている。教えたくもない。蓉子に対してさえ独り占めしていたい私の中指は、結局緩くその筒の断面図を作るかのように円を描き。薄く開いた唇は咄嗟に噛み締めるはずのものを逃して私に無防備に与えた。捩る背中には指の腹が滑る。

焦点をふらつかせ、虹彩を潤ませては私のまわりをかき回す。必死というよりは虚ろな蓉子の所作が、確かに私の与えた快楽からきていることに私は安堵の息を漏らす。頭の芯が冷静な夜は、殊更に甘えたがる酔態を装おって、じわりじわりと彼女を追いつめて行く。もう私しか逃げ場がないように。絡む腕が、首もとを抜ける吐息が、私を縛りつけてくれるように。

割り切るには未熟で、諦めるには遅すぎた。タイミングを逃し不格好に凝固した告白が気道を埋めて息を乱した。同居と同棲の合間で、憐憫と愛情の狭間で、良くできた皮肉が骨格を持つ。剥き出しの欲望に不甲斐なさを嘲笑われて、私はまた充足感を渇望に変えた。










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あみだくじの縺れ




「本当は、蓉子のことを、愛したくなんてなかった」

「……そう」

嗚呼、私には、他にどんな返答が出来るというのだろう。


「ねえ、蓉子も、そうだったでしょう?」

お願い、肯定してよ、と、縋るのは腕より目より実のところごく間近の吐息。あなたを否定したくない。けれど自分を偽りたくもない。あなたに嘘はつきたくない。あなたを苦しめる言葉は吐けない。どの答えが正しいのか判別がつかない私。


「……聖」

下腹部にかかる重みが吐瀉の気配を呼ぶ。正解に辿り着けず竦む私を聖は潰しながら助けを求める。
過日に付き合っていた少女を思う。聖の手を取った時、私はあの子を捨てたのだろうか。何を捨て何を得て今があるのだろうか。


「ねぇ、頷いてよ」

強制される、縛られる心。愛を選べなかった私とあなた。


「……そうね」

嘘をついた対象を、私は、知らない。











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きれぎれ




ああ、その黒に、吸い込まれそうで――


「抉っても良い?」

「……何でそうなるのよ」


とりつくしまもなく切って捨てられる私の狂気。ちらつかせる刃に、躊躇を覚えてすらくれない。


「だって好きだから」


手元に置いておきたくなるでしょう?


「今だって手元にあるじゃない」


あなたのものだわ、何が不満なの?


尋ね返す応答が続く。頭ごなしに怒らなくなった、心配してくれなくなった。だから気を引くためにネジを飛ばすことはなくなったけどたまにこうして確かめたくなる。あしらう言葉の指先が、私の頭を掠め髪を撫でる。


「夢見がちなのも大概にしなさい」

「んー」


命令形を使うのは照れからか呆れからか。まっすぐに射ぬかれる眼光の強さに、思い出す潤みきったぬばたまの水面に、押さえ込まれた衝動がころりと転がって崩れて溶けた。












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おもちゃばこのあとしまつ



「それ、どうしたの?」


目敏い蓉子を誤魔化しきれるとは勿論思ってはいないから、釘にひっかけちゃって、みたいな下手な言い訳は端からしない。それにしても音速の指摘だな、と心中で諸手をあげる。


「ああ、カッターで」

「カッター?」

「そ、カッターナイフ」


玩具みたいなちゃちな奴、確か100円もしなかった、と余計な情報は付け加えないことにする。腕を組むのも早すぎますよ蓉子さん。まだ玄関なのに。靴脱いだばっかりでたたきからは1メートルと離れちゃいない。


「ちょっと切ってみようかなーと思ったんだけど」

「ちょっと」

「なんか、ばかばかしくなって来ちゃってね」


掛け値なしの本音。もうそういう方向に勢いづける情熱はないんだ。プラス方向にはあるのかと聞かれるとちょっと困る。あったら良いなあ。むしろ欲しい。


「やめなさいよ」

「だからやってないよ」

「絶対に、だめ」

「ん、わかってる」

「……本当かしら」

「蓉子にそんな顔、させたくないもの」

「私はどうでも」

「よくない。
 蓉子は怒ってくれるでしょ。悲しんでくれるでしょう?」

「それが、望み?」

「私は、蓉子のそういうところ、好きだから」

「そういうところは?」

「ん。
 ぜーんぶ大好きなんてのはもうきついのですよ」

「……そう」


蓉子を傷つけるのも本当はもうとっくに辛いんだけど。
ホントはぜーんぶ愛してるよ。愛したかったよ。蓉子に隠してること、全部捨ててしまいたかった。
蓉子のチャイムで、来訪の気配で、瞬時にまっさらになったはずの私の心は、自己保身の分厚い壁をまだ捨てられない。捨て身になれない代償に、中途半端な恋心を育てる。


「ま、あがって」

「…そうね。
 聖は着替えたら?」

「そーする」


シャツ一枚駄目にするだけで蓉子との距離が縮まるなら、いくらでも切り刻むのになあと裂けた袖から伸ばす腕が触れない相手に、届かない告白をひとつ投げた。




















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