XX 1



私たちの間に性差は存在しない。
あるのは体格差と体勢の優劣、どちらも不利な私はけれどその気になれば容易くひっくり返せる。
つまり抵抗しないのは私の意思。薄目を開けても聖とは目が合わない。縛られたかのように動かない手足は、固定されているわけではない。
まったく何をしているのだか。つきかけた溜め息を唾とともに飲み込む。投げ出された手は肩から手先までが冷たい。だって動かすと聖は怒るのだ。抱かれる相手を抱きしめるくらい、いいではないか。
愛情の介在を認めない聖は、抱く、などという言葉は知らぬふりをする。


「……蓉子、犯すよ」


瞳の奥に絶望が見える。
今から聖の方がひどいことをされるかのよう。

間抜けな強姦の宣言も、怯える気配もない醒めた心情も、何もかもが滑稽だった。
目を伏せた聖。私の胸に手を当て、強気を見せようとして震えを伝えてしまう、みっともない聖。
拒絶なんて、抵抗のひとつも要らないほど易しい。

呼吸の延長にある息を漏らす。ひくりと揺れる聖が、ぎゅうと目を瞑って、押し倒した私を貪ろうとする。拒絶も受容も、きっちり同じだけ聖を傷つけることを、私は知っている。

後に得る満足と後悔がどちらも大きくなる選択をした私は、細い女の腕に縫い止められた。
噛むことも出来ないくせに爪だけは立てる弱い少女は、私よりもあたたかい。










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XX 2



点々とついた赤い線が、浸した湯の中でぴりぴりと沁みる。線、というほど長くはない。聖の爪が、食い込んだだけの痕。見た目より深く、手を使う作業の度に 存在を主張し、幾つかには血が滲んでいたけれど。揉み合った訳ではないし無体を強いられてはいないのだ。さびしいことに。
私が抵抗しないのを、聖 は知っている。抵抗して欲しがっている。そのくせ拒絶はされたくなくて、縋る瞳で私の上にのしかかろうとして失敗する。ばかな聖。キスマークをたくさん残 せば征服したことになると思っていて、受け入れる私に苛立ちを隠せない矛盾した聖。ばかな私は、あなたに安息をあげられていないことに絶望するの。
追 い焚きをする短くはない時間にくだらない追想をする。改める気のない反省会。あの時の私と今の私は途方もなく解離していて、愚かな選択を笑う私は左腕の傷 口に触れる。もっともあの時も思考する自分は遠くにいて、見えない傷口を広げて聖と対等になった気でいた。触れる、を越えて摘まんだ肌が、突き刺す刺激で 小さく震える。痛い。詰めた息が吐かれた瞬間が心地よくて、私は対象となる爪痕を変えては痛覚を反応させていく。聖よりずっと短い爪を重ねて押し当てた頃 にじわり、血の気配。
だいぶあつくなった湯船の中で、伸びをした状態の両腕を並べる。同じようにつかまれたのに左の方がひどい、のはさっき弄った からだけではない。キスをするときに両手を拘束しあまつさえ体重をかけるのはどうなのか。そもそもあれはキスと呼べる代物なのか。自答しない自問は、気泡 となり弾けないままいずこかへ消えていく。首を振ると髪から滴がしたたった。もう出た方がいい。理性に従えるなら、私の全身を覆うこの聖の痕跡は何だろ う。
聖に爪を切らせなければならない。冷えた首筋を湯に沈めながら、小言をうっかり忘れていたことを思い出した。












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ユアベイビィ





一緒に入りたいけど入りたくない。

この理不尽な要求は何だ、と私は着替え一式を腕に抱えたままで盛大に呆れた。

曇りガラスのあちらとこちら、これでこちらまで全裸だったら喜劇もいいところである。この時期の脱衣所は寒くて洗濯をするのも辛い、から喜劇にすらならないかもしれない。とにかく土壇場で拒絶されて、お預けを食らわされている理由が日本語として破綻してるとあってはどうなんだ。法学部生のくせに。いやそれは関係ない。ナニをするわけじゃあるまいし。そういう問題でもない。

とにかくやっぱりだめ、ときっぱりとした口調で告げた蓉子は理路整然として(るように見え)て、いや生身は見えないんだけど、とにかく法学部の名に恥じない振る舞いであった。本当にどうでもいい。何で、ともう一度問いただせば「ごめんなさい」。拗ねてもいいでしょうか。

後で説明できたらするから、の一点張りな蓉子(できたら、がつく時点でする気はないということだ、)がのぼせるまで不毛な口論は続いた。のぼせた蓉子はもちろん裸だったが、既に恋人である相手に四六時中盛ってるわけでもないので至極まっとうな大人の対応で助け出して身体を拭いて服を着せて布団に押し込んだ。真っ赤になってるにはいろんなわけがあるのだろう。きっと。拗ねてるけど今追及はしない。コップに水汲んでもっていったところで今度は小さく「ごめんなさい」。
いろんな意味が含まれたその謝罪にため息をつけばますます縮こまる。蓉子らしくないけど、頑として口を割らないのはとても蓉子らしい。どうしようもない。駄々こねても困らせるだけだし、お手上げだ。首を振って降参の意。

「っは、……え?」

空のコップを置く手助けをした腕を捕らえられて、いきなり仕掛けられた口づけは色気がない割にずいぶんと高温だった。ふらついた手の方を先に心配してしまった私の間抜け声。申し訳なさそうな顔の蓉子が、うるんだ視線で見つめてきて、……えーと、誘われてる?

何度目かのごめんなさいは、もはや睦言と同じだった。
やっぱり後で問いただそう。後で、をつけた時点で悩むのを放棄した私は数瞬後には蓉子の布団の中にもぐりこんでいた。












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かの福音書の名は




観念した(ふりをしたことはきっとばれている、)しるしに目を瞑って喉元をさらす。
信頼が愛情に比例するわけではないことは、私は彼女とつきあう前からとうに知っていた。だから聖を信じてなんかいない。

「んっ」

鼻にかかった吐息。さっきまでの残り火がゆらゆらと立ち上り、気泡となって私の肌を粟立てる。客観的に俯瞰して、やりすごそうとする努力をせせら笑うかのように。

「は、……あ、…ぁ」

前にもこんなことがあった。ずっと昔にも、ついこの間も。視界を閉ざした従順に気をよくしたらしい聖は、手順を飛ばしては私の快楽をもてあそぶ。このままだと前準備なしでいれられるかもしれない。
痛がる蓉子は苦手、という癖に、目を見開く、とか、息を呑む、とか、そういう風に私を仕向けることを彼女はとてもよく好む。
満足気に笑うその顔を、何度張り飛ばしてやろうと思ったことだろうか。

「こら、」

またよけいなこと、かんがえてるでしょう。
バリトンにも近い低音。少なくとも声質は意識して作ったそれは、鼓膜ではなくもっと深い、脳髄か骨髄かどこかを震わせて。私を揺さぶるけれど、意味を伝える言語として捉えられるわけではない。喘ぎか、懇願か。聖の立場なら私のそんな声は、同様に伝わっているのではないのだろうか。

「……!!」

ただの願望が、自嘲を呼びかける一歩手前で、貫かれた。
痛みではない衝撃。過剰に求める節のあった最近の、集大成だとでもいうように。
……ああ、もう。

「蓉子、こっちむいて、」

右手の動きは止めないままで顎に添えられる左手。思考することで紛らわせようとする私を責める熱。
その後のことは、理性を飛ばしてしまったので論理的にいいあらわすことはできない。
それを是とした自分を私はまだ持て余している。















例の続きあれの前話。









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