事後のエゴ



眠る彼女を見つめる私は、如何様な表情をしているのだろう。

夜目にわずか浮かぶ、蓉子のかんばせ。先刻までのように思うままに操れるわけでもない。無防備と手放しにいうには苦しげな素顔。

なにがだれがそうさせているのか。私でなければいいと願う反面、私以外のものに心を傾げているなんて許し難いと思う自分がいる。

つめたい素肌。巣食う悪夢について尋ねたら蓉子はこたえるのだろうか。
いつものように、理路整然と。

そんなのあまりにかわいそうだ。

現を離れてる間くらい、蓉子は楽に生きるべきだ。

私にとらわれないで。

もちろん自明のそれは身勝手な空想の中ですらいえない。

思うだけでも、現実にしみ出してきてしまうかもしれないじゃない。

明日起きたら蓉子はもう朝食を作っているのだろう。
ほどけた蓉子を見るために寝つかなかった私を、起こす声が呆れてるのはあと5分がもうさんかいめだからだ。

たまには蓉子を起こしたいな。
でも既得権益を手放さずにやるには、眠らないしかないからな。

現の蓉子だってできるなら怒らせたくないし、困らせたくない。
夢でまでごめんね。
それ、私だよね。

願いをかなえるおまじないのように額に口づけた。

願わくは今の表情が、優しいものでありますように。








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ぜろかいせん



「なにかんがえてる?」

「……べつに、なにも」

何も考えたくはないのだと、考えていた。
思っていたには少し遠い。ぐるぐるとむだなことを、掘り下げて、そうしてあなたに向き合いたいとむだな努力を、していた。
首を振った(けはいがした)聖は、私の肌をまるごと抱きしめようと、ぐるりと腕を回してくる。聖の胸が背中にあたる。とくとくと鼓動が聞こえる錯覚を覚える私の体温は、あがりつづけるのに表面にはなかなか反映されない。あたたかい聖の手。胸、呼気、意地の悪いことば。首元に押しつけられた鼻先だけがつめたい。

「しゅうちゅう」

「してる……ってば」

ひとつひとつあげていって、確認して、そうしてほんのりうっとりとさえしていた私を引き戻そうとする、余裕のない声。ふわふわとするこの前戯未満のようなふれ合いを、いつまででも続けていたいと思うのはきっと私だけなのだろう。
受動の気楽さに甘え、まどろみかけてさえいた私の不実を責める指先が、ちりりとした痛みを私に与える。もう少し安寧におぼれていたらうっ血が散るだろう。ずっと触れられ続けている首筋は困る。聖との日々をつなげるために。私の欲はありふれた女のそれで、聖のものと融合してしまったら一足とびに昇華されてしまうにちがいない。
破滅したいわけじゃない。
そういう形も、羨んではいるけれど。

「壊されたいの?」

「ん……」

換言すればそうなのかもしれない。
すきにされたい。女同士の欲を、私ばかりが貪っている気はするけれど。

「っ」

「……ぁ、…ふ」

横を向けばあらわれる、聖の喉元。唇を寄せれば、慌てた反撃がある。内腿を好きにさ迷っていた右手が、勢いよく引き上げられて、割りひらかれる。わざと脱がしかけで留めたのは聖だから、拗ねたようにちびちびと刺激される。呆れたので声なんか漏らしてあげない。

「ね、」

耳にふきこまれた息はじとりと欲情していて、そして今晩はようやくはじまる。












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トーラス_s



さかのぼるのを、嫌わなくてもいいのに。
彼女の傷口を広げておいて、ひどい言い草。
抱き合ったまま、背中をなぞりあげる。汗でしっとりとした肌を感じる指先は、爪を立てる勇気を持たずにそのまま無為に再落下した。拗ねた風情の聖がさわるから。
そこが可愛く愛しいのだとは、口に出さないがおそらく伝わっている。これ以上機嫌を損ねるのは御免こうむりたいところだが、沸き上がってしまう感情はどうしようもない。
こんなときくらい、素直でいたいのだ。ゆるゆると気が向くままに聖の汗を掬いとっていると口の端をあげかえした彼女がキスを仕掛ける。唇の切れ端同士を擦りつけるものから、やがて、噛みつくように。
逆らわず応え、目を閉じる。とたん色濃くなる嗅覚と触覚。
戯れに塞いだのだろう両耳のせいで、くぐもった水音がすべてを支配する。

薄目で確認した聖は滲みながらも満足そうだった。
今はそれだけでいい。











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トーラス_b



私を傷つけるだろうことをあえて口に出すときの蓉子は、決まって嫌味なくらいに泰然としている。言うと決めたのは自分だと自己主張して、そうして私を守ろうとする。それは一種の彼女の愛情表現の発露であるからして、不満がないわけではないがやめてくれと声高に叫ぶつもりもない。気遣いは私を傷つけ同時に幸せにする。幸福しかない愛など有り得ないのだと思い知らされ、かえって安心を覚えたりも、する。私の自己満足が、どこまで蓉子に伝わってるかは定かではないが。

一方で私を傷つけまいと口をつぐむ蓉子は、とても不安定だ。

はあっと息を漏らすのは、今の今まで息をつめていたことの反動で、瞼に落ちる影はもうずいぶん蓉子に無理をさせていることを表している。見なかったことにして私は、私を傷つけた彼女の快楽をしつこく細長く引き延ばそうとする。

数刻前に蓉子が何を飲み込んだか、私は知っているつもりなのだ。
舌も唾液も従順に受け入れるのに、ことばを吐き出すにはひどく頑なな口を、懲りずに塞いで蹂躙する。さっきから私の背中をしきりになぞっている蓉子の指が止まり、爪をたてるまいと堪えようとする。諦めさせようと、両耳を覆う。
わがままな私が今なにをして欲しいか、蓉子は知ってるでしょう?
だらしない喘ぎ声は、もう少し先でいいけれど。












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トーラス_r



ことりと落ちた音に、意識が浮上する。わあんと響く耳鳴りは、一挙に現実世界のそれも雑踏の中に帰ってきたことによるもので、私は固く握りしめていた拳を意識的にほどいて浅い深呼吸を繰り返した。
いつから力を籠めていたかもわからない右手はじっとりと汗をかいており、照りつける夏の日射しとは無関係の粘度に自分で嫌気がさしてジーンズへと乱暴に擦り付ける。軽い熱中症にでもなったのか、めまいがする。灰色を基とした通りのアスファルトを踏みつける自分がやけに重い。ばかだ。私は、ばかなのだ。

くだらない思考が消えない。いつも以上に愚かで、いつも以上に長く思念が糸を引く。
舌で唇を湿らせようと試みたが、うまくいかない。唾液線からの分泌が途絶えているのだから当然か。蓉子、と呟く。ささやき声になる。
いみをもたないことば。私はあんなにも愛されているのに。
じとじとと自己嫌悪は続く。自動販売機には見事に好みから外れた飲料ばかりが揃っていた。畜生。
毒づく私の手には携帯電話。汗を吸わないプラスチックに囲まれた液晶が、蓉子の名前を表示している。
「なんか飲み物買ってきて、」
ああ居場所を言ってないや、また怒られるな。
送信画面をぼんやりと眺めながら、愚考の螺旋に立ち返る。座り込んだ木のベンチは古ぼけて街路樹を全円に近い形で覆っている。
私はまだ蓉子に一度も好きと告げていない。












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戯言睦言(吸血鬼パロもどき)



――絶対に、嫌よ

蹲って丸まって、私を含む世界の全てを拒絶して。全身を痙攣に近い震えにおかされながら、蓉子は私を含む世界の全てをそうやって守ろうとするのだ。虚ろな瞳。見えはしないけれど。心から見られたくないと思っていると知っているけれど。
でも私は見たい。

右の手で顎を持ち上げると驚きに見開かれるその黒曜。一拍置いて激しく沸き上がる抵抗に、今の私はあっさりと突き飛ばされる。まだ蓉子の力は人智を越えた強大さを維持している。いつもより尖った犬歯が、汗と唾液でぐしゃぐしゃになった口元が、一瞬しか見られなかったからこそ私の脳裏に焼きつけられる。ばか。かすかに涙声。

衰弱しきるまで私に見守らせることを結局は強要している蓉子。荒い息。愛しいから腹立たしい。はやく諦めてしまえ。私を貪ることを。求めることを、理性を飛ばしきるまで許さないなんて、愚の骨頂でしかない。
あいつにはもっと素直だったくせにと私がうっかり口にしてしまう前に、はやく。












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「くだらないこと考えてるふたり」まとめになった感。











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