年中無休 2



飽きるほど降らされるのにいつも慣れないのは、順応を拒む弱い心のせいだ。
目を瞑り口元を引き結び。眉を顰めているかもしれない、かたく握り締めた手の5指は江利子に気づかれているだろう。閉じ篭もる口内のまま、喉を鳴らすと、可笑しげな空気。
わかっていても対処できないなら、無知であった方が幸せだったろうに。
江利子だけが知っていればよかったのに。私に見せ付けて教え込んで、ふふふと笑う彼女は間近で私に相対している。

逃げられない。

それが錯覚だと、ただの願望だと気づかずにいられたなら、私はもっと貪欲に江利子を求めることができたかもしれないのに。
もう風呂桶にお湯はたまってしまっただろう。このあとどちらが先に入るのか読めないのが真実であることが少し嬉しいと思いながら、私は江利子の口付けをついに受け入れる。
上顎を舐る執拗さに拳の形に縮こまった手が縋るものを求めた。でもすべてをそんなに一気に明け渡すわけにはいかない。
べたべたと舐められた皮膚がすうすうとする。江利子が先にひとりで入るという選択肢はないかもしれない。








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カテゴライズ(いまは聖蓉)



であったひとを時折枠にはめる。

高校よりは格段に広がった生活のひとシーンに、かつてであったひとたちの姿を重ね合わせてそっとカテゴライズする。

懐かしく思うこと、既知のものに当てはめて把握の助けとすること。
それは裏を返せば、思い出にすがっているということになるのだろうか。

不意の隙に脳裏をかすめる違和感をもてあまして、江利子に吐露してみれば、蓉子らしいわね、とかえされる。
半分くらいは耳から耳へと流された、証拠に江利子の手と口はティーカップと紅茶から離れていない。

 聖には言わないの?

 言いたくないの

恋人には隠しておきたい、私の弱さ。

 恋人だから?

 そうよ

江利子とは隠し事をしない、できないことが恋人の証のようなものであったというのに。

聖に知られたらと思うと、ただ気まずい。
この間ゼミで発表していたひとは、少しだけ志摩子に似ていた。

 江利子にこうやって話しちゃうのって、浮気だと思う?

ごくごく僅かだけ心配を滲ませた軽口に、江利子はこれ以上ないくらい爆笑してくれた。

いろいろなひととであって、それなのにさらに聖が好きだと実感する私を、笑い飛ばしてもらった日のこと。












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レム睡眠



茫漠たる荒野に涙を零すことの、益はどれほどあるというのだろう。
傷つくのは素足で踏み込むから。防寒の及ばない肌身に噴きつく冷気。苦しいのは自己のエゴのせい。
所詮精神世界の飯事を、形而の上で捏ね回してはよそよそしい夜をひとり、送る。
やさしくない夢を見るのはとても容易い。悪夢を呼びたければあの敬虔な立ち姿を聖の隣に置くだけでよく。夢さえ見たくなければ江利子に縋れば良い。
聖に会いたかった。

「呼んであげましょうか」

「やめて」

愉悦を口元にだけ残した笑み。間髪を入れず飛んだ否定。
自家中毒を起こすエゴを、他人になすりつければ良いと気づいてしまった私が、現実を見たくなくて顔を覆う。ふうん、と江利子は軽く笑って、耳元を這った息でそのまま腕を絡みとり、口を塞いだ。

キスは好きだ。何もしゃべらなくていいから。目を閉じて、江利子のにおいと水音しかしない世界に浸っていればいい。没頭を許された行為は、苦しいから優しい。

いつか飽きられ放り出されるのではないかと怯えている。そのくせこの哀れみは永遠に与えられるものだと信じている。高利貸しから返す当ての無い借金を重ねる気分を知った気になれるという自重は孤独な夜になってからの後悔の中にしかない。

「んっ……」

キスは好きだ。でも、ちっとも甘くない。
想像の中で、聖はいつも違う相手とキスをしている。
それは江利子のときさえあったというのに、私自身をその枠に入れることは、私の無意識は、夢の中でさえ許してくれないのだ。

「あら、余裕じゃない」

「……江利子」

恋愛の土壌に蒔くはずだった涙が、乾いた跡を舐め取られきってから、渋々視界を開放する。
諦めた目つきを、自分でもしていると思った。












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ノンレム睡眠




ずるり、と崩れ落ちる肢体に肌が引き攣れた。
力なく投げ出された細い身体は、この期に及んで未だ小さくまとまったままで。
抱え込んだ物の重量に耐え切れずに、落ちたかに見える蓉子を見つめ、誰にも聞かれない息を殊更態とらしく、深く吐く。
手がちょうど触れたからということにして、目許にべったりついた髪を払う。ついでに眉間に寄った皺をほぐしてやる。声は漏れないまま、浅かった呼吸が少しずつ平温に戻っていく。

好きで抱え込んでいるのだから、放っておけばいい、といつも同じ結論に達するのに。
そこに至るまでのルートを幾重にも作り出しては織り込んで、蓉子の愚かさを嘲笑った気になっている。
抱えきれない情を、背負おうとする、ばかな蓉子。
抱えきれなくなると私の下にやってくる、ばかな蓉子。
その愚かさに救われる私の歪みを、罵ることで自己を保つ彼女は疲労困憊して私の布団に埋もれている。

ばか、の行方は皮肉に過ぎた。袋小路を笑う現実は、箱庭よりも随分と遠く隔たったところまで来てしまった。
来てしまった。思い出すときに混ざる憧憬はもういい加減若くない証左だと、自嘲したりする私を、あの子たちは、らしくないと称してもするのだろうか。
して、くれるだろうか。

久しぶりに第三者のことを考えた思考回路が軋む。冗談じゃない、と首を振って追い払う。
幻聴は蓉子の嗚咽だけで充分だ。












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様式美は貪られる




江利子の方が私よりも夜目が利くのか、私が泣きすぎて視界をぼやけさせているのがいけないのか。
時折気を引き戻されては冷房の唸り声を聞かされる、光源の無い密室。寸分の違いなく塗り重ねられていくキスマーク。刺激がより強いのは残る鬱血のせいか、無為に感情的な物なのか。江利子の吸う強さは聖より優しいのに、針を刺される感覚がいちいち脳髄まで突き抜ける。性感帯、のはず、なのに、ほんの僅かだけ求めているところとは違う場所に、鋭く刺さる江利子の針。冷たいから、身体の熱さが余計、びりびりと揺さぶられる。

「は、……あぁっ!」

空気を求めてようやく開けた口に、差し込まれる江利子の指。逆らわず舌を絡める。私がしたいからそうする、のは、江利子だからであって、江利子のためであって、結局は江利子に甘えていることになる、のだろう。諦めは何度自覚したところで馬鹿みたいに甘いままで、その倒錯的な心地良さは、フィジカルな反応よりよほど悦楽と呼ぶに相応しい。
だからといって、この快楽を手放せる気も全くしないのだけれど。

「すごい、」

何に対する賛辞なのか(あるいは、嘲りなのか)わからない呟き。一昨日噛まれた瘡蓋を、なぞられるむず痒さに引き攣った、悲鳴は喉元で潰された。丁寧、なのが優しさではけして無い事は疾うに分かっていた。けれどこの執拗さこそが江利子の優しさで、私は縋ることを許されて、憐憫をかけられる度に泣きじゃくって歓喜に身を震わせて。
たいせつなひとの背中に、爪を立てる。聖にはできない。彼女の身体を傷つけるなど、考えたくもない。

「ん……」

僅かな引っかかりを覚えると共に江利子が眉根を寄せたのを、至近距離でぼやけた映像で見る。キスの最中、私が離したがらないから、舌を噛まれて、反応したら鼻で笑われる。
ずくりと疼くのは、こういう時だと、知っているくせに。
この滑らかな肌には、誰かの爪痕が残っているのだろうか。
もしそうなら、私が知らないひとであればいい。












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パラレル軸多目。
つまり佐藤の影だらけ。











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