トリックオアトリート(江志→乃志)



来年は、あなたがお菓子をあげなさい。
あなたが大切なひとに。

声をたてずに笑いながら囁く、あの密着をまだ覚えている。私はもちろん食って掛かって、幼いわがままを振りかざして、聖みたいね、とおかしそうに言われて物の見事に沈黙した。おふたりの距離も私との年の差も、あの頃の私には晴れた空と同じぐらい遠かった。曇る葛藤をするすると解きほぐす手をもつ江利子さまは気まぐれで、蓉子さまとはお互い遠慮があった。お姉さまは無論、

……ああ、また重たい方向に考えている。
チョコレートは制服のポケットにいれておいたら溶けてしまう、というのをちょうど1年前に身をもって知ったのは私のせいではなく、ハロウィンの呪文を唱えた側のくせに溶けかけのそれを私の口内に押し入れて心底嬉しそうに笑った江利子さまは包み紙にこびりついた残骸を至近距離でぺろりと舐めて。なぜあのときはふたりきりだったのか、それはもちろん、江利子さまが人気のない場所に呼び出したからだ。
あの死角にはもう行かない。忘れないけど、江利子さまを大切なひと、から追い落とすつもりもないけれど、去年の私の意地を引き摺るつもりもない。あの場所は思い出になり、メッセージカードじゃなく電話を使って、棒チョコは一口チョコになった。たった一年でたどり着いた空のはて。
トリックオアトリート。予行練習に呪文を転がす。乃梨子はきっとお菓子なんて用意してないだろう。お菓子でも悪戯でも貰えれば嬉しいけれど、幸せを待つだけに甘んじるつもりはない。私のトリックとトリートを乃梨子にプレゼントするのはもう決めているのだ。

やわらかいチョコレートをふたりで食べるおいしさと気恥ずかしさを教えてくれた人との約束は、気まぐれに守るくらいでちょうどいい。












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感傷は埒内にして(聖蓉+江志)



聖が好きって言ってくれない

思わず漏らしたら、志摩子が敬語をやめてくれない、と返された。
レスポンスまでの凍結した沈黙をなかったことにできるくらいには、私たちはまだ近しかったらしい。凪いだ静寂が部屋を覆い、私は心の中でひっそり笑う。江利子も同じに違いない、と夢想しながら。それは正しく夢想なのだと、理解もした身の内がひそやかに焼けつく。

本当に付き合ってるの?

吃驚することにね

……なによそれ

だって吃驚じゃない、私と志摩子とか

呆れて嘆息してやればくくっと笑われる。半眼、ついでの横目で見た江利子は口調とは裏腹の優しさをたたえていたから、まあ幸せなのだろう。本当に。それが幾年か前には非常に見慣れていた種の表情な辺り、ぞっとしないものがあるが。ざわざわとする肉体を意思の力で押さえ込む。

大丈夫、好きとは言ってくれてるわ

そう、よかったわね

どっちかって言うと愛してます、の方が多いかしら?

志摩子の声真似が気持ち悪い程上手くて、今度こそ全身が総毛立った。
だん、と机を叩く。目の前にいるのが江利子じゃなかったら絶対やらない。この種の甘えを捨てられないから、私は結局、江利子に愚痴を言いに来てしまうのだ。

うらやましいなら聖に聞いてみれば?

……できるなら来てないわよ

あっそう、とこれまた軽い切り返し。
けして言うまい、と決めていたはずのことばたちは、呆気なく転がって江利子に届いてしまった。僅かなりとも動揺の気配があればいいのに、昔の恋人はただの他人で、そうなればよかったのに。親友という繋がりは居心地がよく、決死の覚悟は肩をすかし、彼女の返答で私の安定は欠けていく。

なあに、浮気したいの?

絶対嫌。

そうね、ともし応えたら江利子は。もしかしたら。
どのみち後で傷つくのは自分だから、試したりなんてしない。












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てのひらの先に(江志)



後悔、は、

してるわよ?

聞いておきながら思い切り傷ついた顔をする。
腿の上の重みが静止して、それから雪崩れる。歪んだ表情は崩れる途中で私の服に埋まった。
泣かれるかしら、とは頭の片隅で思いながら、さらさらと髪を梳り続ける。そういえば私とこうなる子は皆、髪の手触りが良い。短すぎることもなく、括られたり縛られたりもしていない。無意識の価値基準は、おそらく、髪の手入れを疎かにしない性格が影響しているのだろう。先々に気を遣う、細々しく気を遣ってしまう、見ていて痛々しいくらいに。手を伸ばしたくなる、のかもしれない。
その手は気紛れだと、私がいちばんわかっているというのに。

ぎゅ、と握り込められた指は、確かに私を非難はする。だがしかし、そんな僅かな痛みにもならない突っ張りでの抗議など、無きに等しい抵抗でしかない。いっそ無い方が良い、とさえ言える。
苦しむ姿を見たくないというのは、最後に残された良心の砦であり、確かに私の本心だったはずなのだが。

いつかこの手は離れる。諦めるのは志摩子で、放つのは私だ。
だったら後悔くらい今のうちにしておかねば、無情が過ぎるではないか。












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江志が好き過ぎて辛い。











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