電車の中で










コトンコトンと私は運ばれていた。あくまで受動的に、小さな切符を握りしめて。



貰ったのは偶然、だと思う。あげると言われて何と無く手を差し出したら降ってきたのはこの紙片だった。気まぐれで切符を買う人を目にするのも二日間の有効期限が役に立つのも初めてのことだった。そして私は今、その切符を使って電車に揺られている。

三つ目の駅で空いた隙間に腰かけた後も、持ってきた文庫本は開かれないままになっていた。区間分の料金は私の手の平から結局受け取って貰えないままで、財布の底に沈んでいる。畦道に看板。いつ訴えられたかも忘れられていそうな文句が通り過ぎる。橋を渡って高架で湾曲し。小さくキイと悲鳴をあげて止まった駅は無人駅に限りなく近かった。
慌てて降りようとした目の前でドアは滑るように閉まった。ゆっくりと加速する箱の中に閉じこめられる。

ひとつ先の駅まで5分、次の電車で引き返すことが出来るまでには12分が経過していた。急く気持ちを笑うかのように線路に沿ってコトコトと進む箱の内部で。私は切符をもう一度透かすように見た。

それはやっぱりただの切符でしか無かったけれど。






ホームに降りるとまた電車は滑るように去っていく。軋む声も遠慮するかのようで私はその二両編成を見送る。人件費と自動改札、どう基準にしたかは分からないが前者が選ばれている改札を通り抜けた。少しだけどきどきしたけれど、無論誰に誰何されることも無い。色褪せたペンキ、くたびれた制帽。時刻表だけが妙に新しくダイヤグラムの改正を知らせていた。

皆ひとまとめにしてくぐり抜け、聖の元へと向かう。




「遅かったじゃない」


此方を見もせずに、話しかけられる。奇妙に懐かしい。昨日も散々聞いた声であるはずというのに。

……いや、違う。今の声が、懐かしさを含んでいるのだ。多分それは詩的にいうなら春の野とか風とか、或いは紋白蝶だとか、そんな懐かしさ。少しだけ過去に還ったような心地。


私がそんなことを考えていることなど知る由もなく、聖は立っている。スニーカーにいつものショルダーをひっかけて。


「……そうでも無いんじゃないかしら」


まだ日は昇り始めたばかりだ。青白い空気がやっと消えていったくらいの時間。暖められるにはまだ早い。狭間の刻。私が降りたのとは反対の電車がゴトンと止まって、何も吐き出すことなしに動き出す。振動は二重奏の様相を醸し出した後直ぐに消えていった。
私も、聖も、ただ立っているだけ。



「降りたホーム、反対だった」


時間は聖が動かした。誤魔化すように振り向くと確かに良く広がる駅の色。細長い灰色の浮島はどこか空の上にでも立っているように見えた。


「……偶然、よ」


ぽつりと出てしまった言葉は聖を一瞬だけ止める。
そう、全部偶然。いくつか存在する同料金の停車駅の中でここに降り立ったのも。今ここに聖がいるのも電車に一度降り損ねたのも。いつもより少しだけ張り切って服を選んだのだって。それは気まぐれに限りなく似ているかもしれないけれど。
偶然、なのよ。



その一瞬も過ぎ、聖は私の腕を取って。
何処に行く?聞く言葉とは裏腹に目的地は明らかに、僅かに見え隠れしている白い建物。
乗るつもりでいたバス停を抜けてしまうともう後は歩くしか無かった。
何も話すことなしに成立する会話は、なんと楽しいのだろう。




握られた手も無性に懐かしい気がして、自分からも絡めた。
鞄の中で昨日のお金がチャリンと鳴った気がして。


これで二人分、何か買うのも悪くないな。



そう思うと応えるようにまた、電車の響きが後ろから聞こえてきた。
箱の中で揺られるようにふたり、歩いていく。























inserted by FC2 system