やさしいあなた








ようこ、と呟くだけで反応してくれる、その暖かさが好きだ。どうしたの? 微かに首を傾げ、顔を覗きこまれ。これが他の人なら余計なお世話だと切って捨てる私を包み込む。もう嫌になるくらい傷ついただろうに、ずたずたに切り裂いた記憶を私はいくらでも持っているのに、それでも諦めなかった彼女。白い手を自らの血に染めながら、平然と、毅然と私に対峙する。一度知ってしまったぬくもりは手放せるものではなかった。愛してるよ、と可愛い女の子には気軽に言えるリップサービスは、固まってしまって出てこない。サービスじゃない睦言なんて、言えない。



言葉もなく引き寄せられ一瞬強張る身体は、私を捕らえた途端弛緩する。まるで、私だからいいのだ、と主張するように。絡んだ視線をほどくのは私。右手を添えるだけで目を閉じるのは彼女。



「……んっ!」



身を捩るのはきっと、慣れていないから。私に触れる肌が労りをもたなかったことなどないのに、私に優しく触られることに戸惑う神経は脳を揺さぶる。快感と混乱、与えているのはどちらが大きいのか分からないまま私は蓉子の肌に吸いついている。仕上げに舐めあげるとびくんと震える、縋るためにか伸ばされた手をとりその爪の間にも舌を這わせて。



「あ……」



潤んだ瞳に映る私は、随分と必死な表情。

人差し指をくわえたまま見下ろす肢体は、ほんのりと朱を掃き色づいている。その中にひときわ目立つ、さっきの痕。いつものことなのに、ずきりとする。
もう一度、強く。鎖骨が浮いた華奢な部分は、吐息だけでも刺激になる場所。軽く反った喉元に手をかけてしまいたいという欲求を必死で押し留めて、私は噛みつくようにキスをする。浮かび上がる毛細血管の破裂。
まるで、血の、ように。



「……ぅこ、よ、うこ」



……うわ言だ。

セックスはふたりでするもの、なんて先日見たキャッチコピーが頭をちらりと横切り、これはそんな綺麗な現実じゃないと思う。どんどん熱をあげる私は、あがった呼吸をもて余す。ごまかしのキスはいつも長い。酸欠に蓉子がもがいても、簡単に離してはあげられない。唇を離すと、もう大抵ぐったりさせてしまっているのに、ぞく、と粟立つ感触に駆り立てられ更に彼女の身体を荒らす。吐かれた息が熱い。私と、同じくらいに。



「ふっ、く……あぁ!」



何度も、何度も。鬱血の周りに更に自分の痕跡を刻む行為。怯えてしまうのだ、自分がまた彼女を傷つけたのではないかと。蓉子はまた血を流したままで、笑っているのではないかと。
傷つけたくない。そんな風に、笑って欲しくない。



「…やぁ…あ……っ!」



しつこいのよ、と後で言われる程長く。私は蓉子の肌に執着する。泣き声の方が喘ぎより耳慣れてるんじゃ、と思うほどに。ますます広がる濃い紅に、慌ててしまう自分。舐めて消える訳じゃない。それが取り返しのつかない傷に思えて、たまに、本当に傷つけてしまうこともある。
噛みついた歯形からとろりと滲み出るものがあれば、もう、収拾はつかない。



「……い、…せぃっ!」



優しくしたいなんて傲慢だ。

優しくされたいくせに、優しくされて来たくせに、抱こうとする蓉子の腕に私は応えられない。人を抱きしめるとはどういうことなのか、幼い恋愛をしてた頃は分かったつもりでいた。それはただ抱きついていただけ。彼女に寄りかかることに、慣れてしまった。

視界が、赤い。



「好き、だよ」



おずおずと手を出そうとするだけで、少し目を見張って、それからとんでもなく幸せそうな笑顔をする蓉子を、もっと喜ばせてあげたい、と思うのに。
夢みたいな快楽の時間にしか素直になれない私。悦楽の大きさが愛の量、だなんて簡単に言えれば良かった。血を吸った石榴にも似た色に唇を寄せる。大腿に挟まれた頬が気持ち良い。



「ひゃあっ……」



耐える仕草が、私にはもう駄目なのだ。くらくらとする、頭にのぼった血液は代わりに私の末端から温度を奪う。きっと実際に冷たいのだろう、指先の侵入に首をすくめる蓉子。焼ききれそうな熱を感じもっともっと、とねだる私。他のやり方を知らない。一方的ではないと信じているけれど、愛の形はふたりの間ですら酷く異なっているような気がして。



「あ、…っや、あぁっ……!」



闇雲につくだけで、可愛くなく彼女に私は包まれている。好きなところは知っている、触れようとそろりと動くと、開かれ現れる黒曜。戸惑いがちに揺れる睫毛が、私の眼前で、
……あぁ、やっぱり私は彼女にこんな表情しかさせられない。



「……あいしてるよ」



どこかたどたどしくなった、何十回目かの告白。少しでも癒せたのかそれとも更に傷口を抉ったのか蓉子はすべてを私に委ねたかのように、微笑んだ。

すべてを蓉子に許されたまま、私も目を閉じる。


どろりと溢れる感情は、目蓋の裏で緋色に染まっていた。





















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