蝶をほどく




更衣室でサカるとか、普段どれだけ満たされてないのよ、と。
順の軽口に続く綾那の罵倒、そのあとの黒鉄さんのよくわからない叫び声。全部まとめて侮蔑してあげたら夕歩のため息と重なって空気が綺麗に凍った。
とたん挙動不審になる先輩を引きずるようにしてその場から離脱して。順が勢いよく土下座してたけど無視。器用にドレスの裾をたぐってたくらいにはいつものおふざけ、いつものばかだ。


引っ張っていたはずの手は、いつの間にか先輩が包むように繋ぎ、逆に引っ張られていて。
どうしたんですか、と訊ねても生返事と共に足が早まるだけ。撮影も挨拶の義理も果たしたから確かに問題は無いけれど、こういう場から進んで離れるのは、なんというか、先輩らしくない。
いつも損ばかりする優しさの持ち主だから。眩しいけれど心配になる、その優しさは影を潜めていて、代わりに纏っている気配はよく知ってはいても口に出して尋ねるのははばかられる類のもので。
落ち着いてください、とまずは宥めるつもりだったのに。足を止める前に唇を塞がれたのはそれでもぎりぎり更衣室の扉が閉まってからだったから、許容の枠外として跳ね除けることができなかった。


やめてください、とはもう何度言っただろうか。
聞く耳を持たない相手に、形ばかりの抵抗はむしろ逆効果で。それを分かっていながら本気で止めることもできないとか、いい加減、私もばかなのだと思い知らされる。


…も、はずして、いいですから

だめよ

じゃあ、さわらないで、ください、よ、


見慣れた端正な顔が、見慣れない髪型とメイクで彩られ眼前にある。
笑い方がまだ日常に近いから、錯覚しそうになるけれど。
この非日常を作り出したのは先輩で、先輩の意思ひとつで。動く度にしゃりしゃりと冷たい音を立てる蝶の飾りの間近で指先が一緒に踊る。手の平の底が時折こすれ、顔を背けるとむき出しのうなじまで指が滑る。
やり方までがいちいち、いつもとは違う。肩口や脇は普段露出させないからか、楽しそうに手が遊ぶ。触られ慣れていないから、定位置とは違う意味で刺激に弱い。これをどうしたら良いのか分からない身体が、戸惑うように受け止める、摩擦で生まれる快楽に似た何か。
振り払うには、否定してしまうには、同時に届くいつものところ、への触れられ方が心地良過ぎて。


どうして?

どうしてって、…や、

こんなにきれいなのに、

っ……んっ…

声、出していいのよ?

…いやですよ、


こんなところで、そんな趣味はありません。
視線に乗せて訴えても、わかってるわと頷かれても、やめてくれないなら正直意味は無い。
余裕の無い荒々しさが緩く溶けて行って、ただひたすらに意地悪になられると私にはもうどうすることもできない。
本気で押し戻せば、拒絶すれば。語気を強めて訴えるだけでやめてくれるとわかってるからこそ私はその手段を選べなくなる。


ほどくわよ、


頷く前に手が動く、その強引さは嫌いじゃない。
先輩の欲が垣間見える仕草は、貴重だからいつも心待ちにして、そして決まって泣きたくなるくらいの歓喜が息詰まる快楽を溶かす。
精神的なそれには、私はひどく弱い。いつだって。


…え?


見えない左目の上をはたはたと揺れ動いていた蝶を、さっきまで掌中に収めながらさんざん悪戯してきたのに。
目を覆う布地の端に沿ってすぅと撫で下ろされた指先は、首元の飾りに纏わりついて、そのまま細いリボンを解いた。
咄嗟に胸元で合わせた手で、ドレスが落ちるのを避けようとした私の耳元に吹き込まれる、喉の奥だけの笑い声。背中の蝶結びも流れるようにほどかれる。
ひんやりした指先はそこから動かず、楽しそうに曖昧な模様を描いている。


…ちょ、ちょっと、…せんぱいっ、


抗議が囁き声になったのは顔どうしの距離が近すぎるからだ。
先輩の指先以外は、そして背に伝う悪寒めいた快楽の他は何も無いから、余計に逃れられない。押しのけられない。
いつ誰が来るかしれないのに。使用中の個室をいきなり開け放つ不届き者は流石にいないだろうが、荒い息に怪しい音は更衣室の壁で隠し通せるような代物じゃない。
狭苦しい壁に、とすりと先輩が手をついて久しぶりに目が合った。
熱がこもり欲に揺らめくその瞳が、本当に私を欲しがってくれていると実感した途端、何故かすうと現実に引き戻された。


…脱ぐなら、着替えますから。
離れてください


予想以上に冷たく響いてしまって、吃驚したけれど同時に先輩が私以上にぎょっとした顔をしたから。
唇は触れ合わせるだけ、そっと、一度だけ。
両手は塞がっているから心配だったけれど何とかやりおおせて、漏れたのは安堵の息。
ついさっきまで翻弄されていた名残が溶けてしまって気恥ずかしい。ひと呼吸分目を瞑って、今度こそ本当に仕切り直す。


……あとで、


続きを。
…できたらはやめにお願いします、とは言わないけれど。
そのまま背を向ければ、まだ戸惑っている気配が後ろで揺らいでいて。
だけど手は伸びてこないし、間を詰め直されることもない。着替えるには足る空間だから、意図的にシャットアウトして作業を続行する。
飾り物だけを身に纏いながら、いつもの服に袖を通すのはなんだか変な感じがした。先輩だけが綺麗と褒めてくれた、左目の上の蝶に手をかける。昔は腹立たしかった周囲の気の使い方も、最近はもうなんとも思わない。金属の冷たさを想像して触れたのに、先輩の温もりが少しだけ残っていて小さく笑った。











--------------------------------------------------------------------------------------

17巻のUJプレス、をお裾分けな年賀絵に悶えて突貫。
ちなみに槙ゆかに次いでのお気に入りはナンシーと静久と久我父です。(基本、シンプルな装いに弱い…)










inserted by FC2 system