月と泥(ナン紗枝)




たすけてなんて、ほしくなかった。
ただ、笑わないで欲しかった。

未来を「切り開かない」ことを、決めたのです。
現実と妥協して、絵空事を握りつぶして。
無心になれない理性を露悪的に弄びながら、だけれど少しだけ、目を逸らしたくて。
心臓の代わりに止めた呼吸は、その後の嘔吐きまで含めての甘露。白い、空虚。
見たかった玲の笑顔も、紗季の言葉も、それからあなたの本気の本音、も。
これだけ抱えればもう、いっしょうぶんのしあわせだから。

だから、どうか。――どうか。
たいせつなひとをたいせつなままでいさせてください。
いとしいあなたは、わたしに構わずにしあわせになってください。

――バッカじゃねェの

笑わない声が、笑ってくれない斗南さんが、首を締めるよりずっとひどい手段で私の息を奪う。
ねえ、このまま奪って、奪い続けて、ください。
たすけてなんて、いいたくないの。だから、どうか、いわせないで。









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六花にかくれて(玲ひつ)




ただ、降り積もるばかりの愛を。
一体どこに向ければ良い?
(決まってる。だから、諾(うべな)えない。
 ……納得など、してやらない。)

こいつにしては静かなのが気味悪く、こいつなのに素直なのが腹立たしい。
阿呆みたいに跳ねる心臓、平静を装って仏頂面になる顔面、反動で荒々しくなる口付けに、愛撫。
全部まとめて見通して、受け入れて笑うこいつが嫌いだ。ああ、だいっきらいだ。
なんでこうなった。どうしてこんな風に、陳腐に無様に、理事室で押し倒されてるんだよ。
どうして、あたしで、あんただったんだ。
(どうして、神門で、天地だったんだ。)

(本当は、わかってるんだ。)
(そんな枷に囚われてるのは、鎖をブチ切られてるあたしの方だけだってことまで)

わかってる、わかってる。始める前から、思い知ってる。
降り積もる愛が、どこから来て、どこへ向かうのかというぐらい、最初っから気づいてんだ。
だから耳元で囁いてくんじゃねぇ。ばかやろう。








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しあわせにしてほしい(氷祈)




こうやって不安気に見上げてくる瞳も、そろそろ見飽きて来た。
彼女の堪える姿は、身も理性も震わせ、揺らしながら気丈とゆとりを取り繕うと足掻く姿は、未だそれなりに気に入ってはいるけれど。
壊れてしまうことを望んですらいるような最近の安堵は、気を失ったあとの満足そうなやすらかな顔は。
黒と赤で塗り潰してやりたいと思う程度に、時折首元に手をかけてしまうくらいには不愉快だ。

……だめですか?

否定から入る遠慮の理由を、鼻で笑えば一瞬だけ見える、傷ついた横顔。
廊下で立ち話は面倒臭い。他学年で、お互い高ランクで、おまけに最近妙な噂も立ち始めている。
中々妄想力の豊かなゴシップよりもよほど残酷な現実を、飲み込みきれなくなってきた少女が、いつもの謝罪も忘れて立ち去る昼休み。
さて、放課後のフォローはどうすべきかしら。
嫌なら来るなと言ったところで彼女はやって来るのだろうし、最早ルーチンに近い作業も、その後の余興も、戯れも。貪欲に欲する愚かさくらいはまだ、見る価値が無いと言えなくもない。
何より今夜の予定を書き直す方が面倒で、億劫だと思えるから。
日常の内にか非日常の隙間にか、いつの間にか彼女がいる不快感くらいは、我慢してあげましょう。







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鎖の斬手(槙ゆか)




それは絶望に似た悲鳴。
あなたには不釣り合いで、だからとても似つかわしい、痛々しい、労(いたわ)しい。

――ゆかり、

私の声で呼べば震えると知っていて、想像との差異に軋んで苦しむとわかっていて。
それでも口にしてしまうのは、無言で与えれば彼女は後でもっと傷つくと知っているから。
赤い糸、信頼の鎖。背を向けて影を落として、見つめあったままの視線。
その間に入ることなんて出来るはずが無いから、代わりにそっと彼女の腕を取る。
代わりだからまだ、大丈夫。まだ私は、彼女の重荷にはなっていない。

く、…ださい。――もっと、

強く、きつく、……私を認識さえできなくなるくらい?
そうねと呟く私を引き寄せる所作を、覚えていたいから目を逸らす。
こんなに細い腕で、私までを守ろうとする懸命さを無様だと笑えるはずもない。

何をしても傷つけるなら、いっそ思うままに振舞ってしまえば良いのに。
その絆を断ち切って、私を見なさいと命じて、閉じ込めて。
溺れて窒息してしまうくらいの愛を注いで、どろどろに溶かしてしまいたい。
開き直れないくせに、彼女を手放すことも(この関係から手を引いてしまうことも)できない自分の鈍(なまく)らはただ重いばかりで、彼女に圧をかける。






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大北紘子『月と泥』発売記念!
と称して一人祭やってました。好き過ぎてどうしようもなかったのです。
今年の百合漫画自己ベスト(のはず)。それぞれ各話タイトルをお借りしました。

以前も似たようなことしたので実は再犯。たぶんまたやります。











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