とりにかえって、さらわれて
「おはやいお帰りで」
「あはは、ごめんなさい」
吃驚した表情は一瞬のこと、すぐさま隠れてしまって不敵な笑い。
期待されてる軽口で返せば満足そうに唇の端が上がるから、だから嬉しくなって思わず引き寄せられてしまうんじゃない。
――んー、これ、誰に対する言い訳かしら。
「……っと、」
「ん……」
触れるだけのつもりが長くなるのは柊ちゃんのせい。
全体的に腫れぼったくてちょっとぴりぴりするのはさっきこの部屋を出るまでの柊ちゃんのせい。
今日はもう帰ってくるつもりなかったし、これ以上貰うつもりも、本当になかったんだけど。
苦笑の形を本能が作りたがったから、息の詰まる苦しさに逆らわずそのまま唇を引き離す。
しっかり糸ができるくらいくっついちゃってた辺り、もう何ていうか、ねえ。
「嫌なら抵抗しろっつーの、」なんて前に言ってたのは柊ちゃんだからそれを言質にさせてもらって、目の前のまだ不満足そうな唇にさよならを告げる。
お互い目は笑ってるから、合わせて見つめて、とか恥ずかしいし。
「うん、やっぱり一緒にはいりましょうよ」
「一日に二度も風呂入れってか」
「だって柊ちゃんと入りたいんだもの。それにシャワーだったんでしょ?」
「……なんともストレートなお誘いだコトで」
仕方ねーな、とあっさり諦めてくれる潔さはちょっと眩しいくらいで、好きなところ。
自覚してしまった照れ隠し(別名八つ当たり)にからかおうかどうしようか、思っているうちにてきぱきと支度は整えられ、その半分魔法じみた手際に思わず見惚れてしまっていた。
「ほら、忘れ物」
色んな意味での吃驚を抱えていた私の横、すっと立たれるのを警戒しなくていい気楽さを良しとしてしまうのが、恋愛してるってことかしら。
私のリンス(ずっと柊ちゃんが手の中にキープしてたのは賭けてもいい、確信犯だ)を当たり前の顔して投げてくるから、ありがと、は言ってあげないことにした。
柊ちゃんという大きな忘れ物ごと握りしめてお風呂場まで、とか。させてくれない手癖の悪さが悪いのよ。
「あーあ、よりによってなんでこれ忘れちゃうかなあ」
「柄にもなく慌ててたからじゃねーの? アンタ」
その呼び方がばかみたいに甘いの、気づいてるのかしら。
動揺を押し隠す横顔も近いし。……可愛い、し。
「化粧水とかなら風呂上がりに戻る口実になったのに」
「あー、そりゃ残念なことで」
軽く笑いながらの混ぜ返しで、あっさり切り返されるのも楽しい、から。
外だから柊ちゃんに対するガードを二段階くらい緩めてたら続く言葉に見事に撃沈させられる。
「じゃあ今度はそれ忘れろよ」
……う、わあ。
「……えー、そんなことするくらいなら柊ちゃんの部屋に私専用のを置くわよ」
「…おいコラ、」
外でそう呼ぶのヤメろ、って、嫌がるのがわかってるからのとっさの反撃。
とっておきの奥の手は最近乱発し過ぎてる気がして、効果が薄まるどころかそろそろ諦められそうで。
心置きなく柊ちゃん呼びとか、それも幸せだけど恥ずかしいなんて思っちゃうんだから、ホント、
「調子狂うなあ……」
「あァ?」
こっちの台詞だっての、なんて毒づきはとても平静では聞けない。
平静じゃないから触れさせちゃった手がじっとり汗ばんでいて、「早くお風呂入りたいな」とつぶやいたら「あっそ」と素っ気ない返答と共に早足になる。
柊ちゃんのコンパス長いのに、ついてくのが大変じゃない速さなのが愛されてる証拠だとか、
いい加減羞恥心と照れ隠しと自爆とでループしちゃいそうだから考えないように務めてる時点で調子は狂ってるどころの騒ぎじゃない。
「…忘れ物に置いてかれました、なんてのも面白そうだけど」
「はあ?」
しばし考え込んだ後、また何か言いかける唇を阻止するために指を絡める。
だからループさせるような発言は、もうしないでってば。
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そして墓穴を掘る祈さん。
某所の柊ちゃん呼びが本当に可愛かったので、こっそり便乗。ベタ甘。
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