たまには と いつも




「……あの、先輩?」

「んー……」


後ろから抱きしめられて、そのまま、アクションを起こされないでいると、困ってしまう。
暖かいし、心地良い……けれど、その、先輩の吐息が首筋に当たり続けていて、くすぐったいというか、……落ち着かないというか。


「…もったいないわね」

「な…にが、です、か」


身を捩ると楽しそうに追いかけて来る。こういう触れ合いはそういえばとても珍しい。
先輩といるときは大抵オープンな場所だから本当にふたりきりという状況にはならないし、
(美術室のような個室でもどこかの覗き魔のせいで厳密な密室状態には成り得ない)
どちらかの部屋、ルームメイト不在のときはやっぱり絵を描いてるか、……してるか、寝てるか、だから。(さすがに寮の部屋を窓から覗いたりしたら蹴り出してやる)
先輩とのゆったりした時間、四六時中密着されていたら身が持たないけど、珍しいとまで言えるくらいに少ないのは、うん、少しもったいない、かもしれない。


「ゆかりはかわいいから、」


こうやって抱きしめていたいけど、真正面から見たいなあ、とも思うし、見たらきっと描きたくなっちゃうだろうし、
つらつらと挙げていく度に、また、息がかかって、毛先が揺れて、
もうわざとやっているんじゃないかと思うけど、お腹に回された手を振り解いて逃れるより後ろに凭れてしまいたい、と思ってしまっている自分を持て余してる私には、思考回路を正常に稼働させることができない。
先輩が故意でも無意識でも、結局のところ、行き着く先は変わらないのだし……


「せ、んぱい、」


吃驚するくらい掠れてしまった声に驚いて、身じろぎの範疇を超えて震えてしまった私に。気配だけできょとんとして見せた先輩は、やっぱり無意識だったらしい。
だからなに、と自分に八つ当たりを始める意識はもう、青い理性から随分遠いところにいる。


「ん、」

「……ゆかり、」


いい? と必ず聞いてくるのは、先輩の優しさだけれど、
聞かないでください、と言ってしまえば先輩はそれも叶えてくれるのだろうけれど、
どちらにしろ恥ずかしいことに変わりはないわけで、それなら先輩の優しさに浸っていた方がいいと思う自分は、自覚するとその恥ずかしさをますます助長するばかりで、


「あ……」

「ね、」


先輩に体重を預けることで答えにしたつもりが、伝わらなくて、耳元で熱い声。吐息。
そのまま甘噛みしてくる時点で、今度こそ、わかってるんじゃないですか? と問い詰めたくなる。
そんな気力残されていないし、搾り出す気にもなれないけれど、頷くだけは悔しかったから。
思い切り身を捻ってキスで応えようとして、あと少しで届かなくて、結局絡んだ視線が、何よりも雄弁な答えになった。








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片寄った秤 1



「……ふあ、」


引き抜くと開けられる目蓋の、その奥の瞳が柔らかく潤んでいて、ぞくりとした。
制服を汚すつもりはないから、左手を皿にして、右手首からも伝うゆかりの唾液を一緒に掬い受ける。
少しずつ目に意思の力が戻ってくるのをちょっと残念に思いながら、熱い口腔から解放されてどんどん熱の逃げていく指を自分で舐る。もったいないし。
それでも落ちていく分は、私のエプロンの上で洗濯しても落ちきらない絵の具と混ざっていく。
あ、そうか、ゆかりにもエプロンしておいて貰えばよかったのかしら。
そしたらもうちょっと可愛がってあげられたかも。


「ん…っ!?」


自分でも口の周りを拭っているゆかりが完全に切り替えてしまう前に、今度はキスで口を塞ぐ。
反射的にきゅ、と引き結ばれた唇は、まだ潤っていた。擽るように舐めると、諦めた気配と共にほどかれ、受け入れてくれる。
二人分の負荷が偏った形でかかっているソファが音を立てる。寮のベッドより重々しくて内心冷や汗をかきながら、そうっと、ゆかりの左側に膝をつき直す。
顎に手を添えたのは逃がさないためじゃなくて、送り込んだ唾液が、零れてしまわないようにするため。
小さく喉が動いたのを感じて、なんだか唐突に嬉しくて泣きたくなって、慌てて唇を離す。


「はっ…」


今度は目を閉じたまま、息を整えようとするゆかりの髪を撫でる。
ゆかりの口内でふやけていた指は、もうだいぶ元に戻っていて、さらさらとゆかりの癖っ毛の合間を流れていく。
はあはあ、と間近で聞こえる呼吸音にすごく興奮している自分を宥めるつもりだったのだけれど……、逆効果というか、収まるわけがないというか。
無心に指を咥えてるゆかりもすごく可愛かったけど、さっきの嚥下が引き金になった熱は、自分でもちょっと戸惑うくらい大きくて。
ここで最後までするわけにはいかないのに。


「ゆかり、ごめんね」

「は、ぃ?」


膝頭を合わせて、震える身体を意志の力で押さえつけて。堪えるように手を堅く握りしめているのに、気づいてしまったから漏れた謝罪に返ってきたのは訝しげな声。
好きよ、と、日常の中でならいくらでも言えるのに。
こういうときは情けないことに、いつも喉に詰まってしまう。
誤魔化しでキスをするのは嫌なのに、その蕩けた表情を見るとふらふら吸い寄せられる私はちっとも懲りていない。
顔を近づける代わりに人差し指を差し出すと、本当に小さな声で、またですか、と呟かれた。













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片寄った秤 2



「っ…」


甘噛み、にしては強く噛まれ、反射的に手を引いた……腕ごと掴まれ、癒すように舐められる。


「…ゆかり?」

「……ここじゃ、いやです」


それはわかってるけれど。
放課後も遅い時間、もう鐘は鳴らないとはいえ、気まぐれな部員は立ち寄るかもしれないし。
もし誰も来なくても、着替えも何もないから寮までの道程が困ったことになってしまうし。
でも今晩はふたりきりにはなれないから、だから名残惜しくて。


「……でも、その、」

「ん?」

「……窓とドア、鍵かけてください」

「…え?」


真っ赤な顔を俯かせて、濡れた指の背に吸い付くのは、どうみても誤魔化すためで。


「……あついわよ?」

「……今更ですから。」

「帰り道、大丈夫?」

「…このまま帰る方がつらいです」


羞恥のために口調がぶっきらぼうになるから、だからこそ本音だとわかってしまう。
押し当てられた唇と吐息よりはさっきよりも更に熱を増しているような気がして、収まってから帰ったら?とは、流石に言えなかった。
僅かな沈黙が重くて、それは私がゆかりに無茶なことをしたせいで、私はゆかりを、本来は嫌な状況なのに妥協をさせてしまうほど、


「ゆかり、」


好きよ。
囁きが震えてしまったのは怖くなったから。
私の中で暴れる熱は、そのお誘いを、有り余る歓喜で受け止めていたから。
ゆかりを困らせたいわけでも、追い詰めたいわけでもないはずなのに。
それなのに、鍵をかけてしまう前に(二人きり、の安堵感にゆかりが包まれてしまう前に)もう一度だけあの蕩けた姿がどうしても見たくて、自分の欲求に逆らえずに結局深く深く口づけていた。













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片寄った秤 3



……今日はやけに強引だな……

顔の至るところに飽きるほど降らされた後、段々とくだっていく先輩の口付けは優しい。
それなのに軽い酩酊に甘んじた途端に戻っては塞がれるキスで、吐いた息全部を吸われる勢いで貪られる。
先輩が性急に求めてくるときは、何かに思いつめていることがほとんどで。
その原因は私からしたら些細でなかったことなどないのだけれど、先輩にとっては大事だったというのが嬉しくて。
欲深い私は結局いつも、「そんなことで」と言ってしまうことができない。


「…っ……」


唇を噛み締めると怒られる。
「綺麗なんだから」「勿体無い」などと口にされる理由はいつも、私にはやっぱりずれているように思える。
それならハンドタオル辺りを噛ませてくれれば良いのに、それにも「勿体無い」とか「ゆかりがよく見えないじゃない」とか、困った主張ばかりで反論される。
そして説き伏せられないことで好きを伝えた気になっている私はやっぱりずるくて、可愛くないのだ。
他の誰かに聞かれたく無いんです。先輩に聞かれるのは恥ずかしいけど、嫌なわけじゃ無いんです。
……こんな風に素直に好きを伝えられたらいいのに。


「っ…く……ん、」

「あ、…こら、」

「…!」


自分の手で覆うのは、先輩が塞ぐよりはずっと気楽だからつい油断しがちで。
恐らく歯型ができたのだろう指先を、先輩が引き剥がして労わるように舐めてくる。
ざらりとした感触はむず痒く、指の付け根を弄られると背にぞくりと快楽が走る。けれどそれ以上に、指先までもがぴりぴりと反応する私の身体でもっと切実なもどかしさを抱えている部分が、はしたなく震えてしまう。


「だめじゃない、」

「……は、い」


逃げるための余地も余裕も、無論そのつもりだって無いくせに、湧き出た羞恥心が顔を逸らさせる。意に反した距離は火照りを鎮めてはくれず、代わりと言わんばかりにわずかな寂しさが隙間風のように生じた。
引き戻すかのように、取られた右手全体を掲げるように抱かれ。唇がつけられる前に鼻先を擦りつけられるのはどこか儀式めいていて。
そんなことしなくていいです。気持ちいいから、苦しいです。もっとしっかりしたのがほしいです。
口から出るのは熱い吐息ばかりで、戦慄くのが精一杯の私の視線が、先輩に絡んだ瞬間にどこまで伝えてしまったのか。
くすりと笑う先輩が舌をちらつかせながら、手の甲から上になぞり上げてくるその絵面に追い詰められる。今度こそ視線を外せないまま、そのまま近づくお互いの顔。
強引なキスの合間に挟まる、好きよ、という囁きが私の熱を煽っては、幸福とそれを素直に返せない後ろめたさで私を窒息させようとする。


「ぁ……やっ!」

「いや?」

「……」


目の奥までちゃんと笑ってるのに安心して、ふ、と息をついて咄嗟に閉じた足の力を意識して緩める。
先輩が私の動きに合わせて指を進めるから。じわじわと先輩の指を受け入れていく様が、まるで私が自分でコントロールしているようにも見えて。認識してしまった恥ずかしさからまた、不本意な声が漏れる。
ここまでしっかり抱いてもらうつもりは無かったのに、もう、先輩に動いてもらわないとどうしようもない。


「は、…ぁ、……せんぱい」


私から求めたキスは、随分と甘ったるいものになってしまった。
ゆかり、と呼ばれた後に先輩に返されたのはそんな卑怯な遠慮は微塵も混入していなくて。
先輩が飲み込んだ言葉まで流し込まれる心地に、先輩の気持ちを一瞬でもわかった気になってしまって、通じ合えた錯覚で飛んでしまう自分はずるいどころか裏切り者なのかもしれない。













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