鍵盤の上を歩くような



「目を閉じて?」

やさしい断定。
ごく間近まで迫られてしまえば、脇の壁に手をつかれ囲われてしまえば、
そう客観的に逃げ場を無くしてしまえれば、私は私を許すことができるけれど。
その安寧には至らないまどろっこしい展開に、羞恥の過ぎる待ちの間に。あがる熱に煽られるよりも結果的に苦しくなるのはわかっているのに。
そのまま従ってしまう原因を、本能と呼ぶには明瞭な思考回路に阻害されるから。自覚したくない私は知らんふりをしている。
血が上って熱い顔を逸らすことすら許さない先輩のまっすぐな目に射抜かれ、縫い止められる心地良さは胸の奥を絞られる息苦しさ。
目蓋を落とす。ふ、とすぐさま暗くなったのは先輩が更に近づいてきたから。
もう息がかかる距離。嬲られる、気配。
生ぬるい熱を孕んだそれが私の顔にかかるのを、ただ堪える、という行為は、ひどく精神力を磨り減らす。
意地を張りたがる私の弱さを、削り取る指、唇。研磨の丁寧さが過ぎるから苦しくて甘くて溶かされていく。
ちう、と吸われる不意討ちも、まだ痕が付く強さには遠い。靄がかってきた頭は次第に重くはなってくるけれど、これから、を受け止める土台を組み始めたばかり。

「いいこね」

さらりと言い放たれたはずが、僅かなざらつきをもって肌の上を滑り落ちていった。
削られきれていない首筋の根元がぞくりと震え、漏れかけた声を慌てて堪える。
くすり、笑う漣が同じところを揺らぎ、そしてまた口の端、頬の窪み、耳を掠めて、こめかみは舐められて、
先輩が楽しそうで嬉しそうだから、まあいいか、と思える戯れ。
その甘い妥協をさせてくれる先輩の優しさを、貪る私の欲がのたうつ。
素直に強請ることを自分に許せる領域は遥か果てにしか無いから、先輩に注がれた要求が私の糸を弾き、躍らせる。









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走馬灯の中で散りゆく



――私も、好きです

脳が溶け、歯が浮くような甘さが滴り落ちる。
こんな自分を知らない。


言い訳をさせてもらうなら、綾那への愛は、呼吸と同じレベルの存在だったのだ。

(一体誰に対しての言い訳? と幻聴が囁く。もちろん声の持ち主にです、と私はまた自分を誤魔化す)

生まれて初めて自覚した恋愛感情、は、私を馬鹿みたいに振り回した。馬鹿に、させた。
だったらこれが初恋じゃないの? とからかう声は黙殺する。

(だってあれが愛じゃないとは、自分でも思えない。)

先輩含め周りが気にしすぎ引きずりすぎ、とは思うけど。その的を外した気遣いが腹立たしくて、けれどばっさりと拒絶してしまうには皆、優しすぎて。
本当は違う人に向けている、違うかたちの、愛情、を口に出すこともおおっぴらにすることもできない。

(しがらみから解放されたところでどうせ、おおっぴらに、なんかできないくせに)
(うるさいのよ、さっきから)

ゆらりふらりと振り子は往復し、私の臆病、卑怯を浚う。綾那に許さない、と言ったその口が、素直から遠いところにいる様を嘲笑う。


その閉塞感にいい加減窒息死させられそうだったのは確かだけれど。
でも、だからって。こんな風に、
先輩に見守られる身のままで、先輩に、こんな風に、なんて、


こちらがたじろぐくらいまっすぐだった先輩の張り詰めた表情が急に崩れ、澄んだ瞳にみるみる涙が盛り上がる。
思考の泥沼にはまりこんでいた私は咄嗟に反応ができず、ただ呆然と、知らない自分が零した告白の波紋を見つめていた。













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「あいして、」



無防備にふわりと笑われると、どうしたらいいかわからなくなる。

さっきまでぐしゃぐしゃに縺れ合っていた相手は、すうすうと可愛い寝息を立てている。
汗とか唾液とかその他諸々……とか、を順に拭っている途中で思い出したのは、その縺れ合ってる最中のことではなくもっと日常に近いひとコマ。
腕を上げさせてもひっくり返しても起きないどころか身動ぎすらしないと、ちょっと心配になるけど。前回もその前も似たような状況だったから、流石に慌てて揺り起こすような真似は最近しなくなった。
まあ、いつもやり過ぎる自覚はある(けど、反省する気はない)し。
……だって、手を抜くとか失礼だし、勿体無いじゃない。

……なんて、ゆかりに言ったらまた、呆れられるんだろうなあ。
でも、照れ隠しの不機嫌や怒る素振りは、すごく可愛いから。
むしろ楽しみなくらい、という本音がバレたら今度は間違いなく拗ねられるけれど。
意外に不器用な彼女の愛情表現は、きちんと掬い上げればそのあとで驚くくらい素直になってくれる。
それは例えば星獲りの後、授業に戻る前にこっそりキスをした木陰で花が咲くように笑った、あのあたたかさと同じくらい――

つきり、胸が痛む。ゆかりからの愛情をもらえる、なんて、思ってなかった時に封じ込めていた自分の感情が。未だに折に触れては困った自己主張をして、私はその度に意味もなく泣きたくなってしまう。
泣かないでください、と手を伸ばしてくれるゆかりがうつつから遠ざかっているときばかり、私は彼女の優しさを持て余す。

拭き終わった細い身体にそうっと布団をかけて、額にキスを贈る。ゆかり、呟いても彼女は深い眠りの中。
それにひどく安心して、けれど同時にどうしようもない衝動に襲われて、くらくらする頭が冷えたままで煮え滾る。
喩えるなら、このまま死んでしまいたい、と思うような。愛してる、と囁き続けて、ゆかりを埋もれさせてしまいたいとでもいうような。
ばかな願望が渦を巻いて、脳裏にゆかりの笑顔がちらついて、そして全てを持っていかれる。













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reflected(from密室の混線



ひぐっ、……んぅっ、……っ…

身を捩っても肝心なところは全く動かせない。
背後からのしかかられ、先輩の大きな手で口を覆われて。しっかりと固定された下肢は過ぎた快楽をなんとかやり過ごそうとのたうっていたけれども先輩の足が絡められてなかったらもうとっくに崩折れてしまっていたに違いなくて。
あとから思い返すと、顔から火を噴きそうなくらい恥ずかしい格好。服を脱いでいるのは私だけで、周囲に気を遣う余裕もなく暴れていたせいで結局先輩の服は一枚駄目になってしまって、気を失っていた間に替えられていたシーツはどんな状態だったのかわからない。……あまり、知りたくもない。
突き刺さる刺激を逃すために首を振るのはいつものこと、だから。それだけで先輩がやめてくれるはずもなくて、けれど先輩の手に噛みつく気にはなれなくて。
結局この状況を受け入れてしまっている自分は、素直に溺れてしまう勇気がないだけの臆病者に過ぎなかった。

達しても達してもまたすぐに次の波が見える絶望さえ、次第に溶けていく。どろどろの思考は、感覚は、先輩によってもたらされるものだから。だから、もう、全てを委ねてしまえば楽になれるのだと。気づいていながら消えてくれない、強がる虚栄心はこの状況を生み出した元凶で。無論今私を苦しめている理由でもある。
指が踊る。くわえ込んでいるのが何本なのか、身体ではわかっているけれど理性で数える余裕はない。先輩が耳元で尋ねるから、無理を訴えて振った首は、小刻みにしか揺れなかったせいでそのときの快楽を散らしきれず喉元まで悲鳴がせり上がった。

っは、…あ……っふ、あ、…ぁう、…んっ…

終わらない。止まらない。引き攣るように跳ねた身を、もっと高みに放り投げられて息を詰めて、精一杯取り込んだその空気を吐き出した時にはもうぐちゅり、と新たな上塗りが始まっている。
先輩、なんで、もう、壊れちゃいます、いや壊れてます、怖い、苦しい、やだ、せんぱ、たすけ、て、も、ゆるして――
言葉としては吐き出せないけれど、気づいてないわけないのに、わかっているだろうに。
この苦痛に近い快楽に、煮詰め過ぎた熱情に、私がどう感じているのかすら見通されているから、先輩は結局私が意識を飛ばしても解放してくれなかった。
……無理やり現に引き戻されるときの世界の揺れ方を思い出すと、正直今でも内蔵が冷える。













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「鍵盤の上を歩くような」「走馬灯の中で散りゆく」「あいして、」はふたりへのお題ったーよりお借りしました。










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