いともかんたんに(謎設定・死ネタ注意)





ばしゃり、水をかける。
掃除などする余地もないくらい清められていたから、いっそ嫌がらせのつもりで撒いたそれは、
いつものようにつるりするりと、すべて素っ気なく流れ落ちた。
まだらに変色した苗字、小さく刻まれたあなたの名前を視界の端に収めていたいがために今日も手を合わせずに話しかける。
昨日と同じ愚痴をつぶやく。


ばか。
――ずるいわよ。

死んでしまったら、もう、怒れないじゃない。


いやなことも、きらいなところも、うんとたくさんあったのに。
ぜんぶきれいなものに、なっていくの。
きれいなだけのひとに、なってしまうの。


ねえ、私。
まだ、静馬姓なのよ。


指輪も持ってる。まだあの部屋に住んでいる。遺産相続はつっぱねた。
そんなものが欲しくて、あなたと一緒になったわけじゃない。
もうとっくに始まっていた、だれもかれもが知っていた、
こんどこそ最後のカウントダウンを、せめて、なんてやさしい考えがあったわけじゃない。
こんなにきれいなばかりの思い出を、つくりたかったわけでは、
あなたの笑顔で埋め尽くされた世界に、変質させてしまいたかったわけでは、


――そーめや、


かたくなに、私の名を、
あなたとの苗字でも下の名前でも呼ばないこの人と一緒に、
あなたのいない世界を、
あなたの笑顔しか思い出せない世界を、
生きていきたかったわけでは、なかったのに。


ずるいわよ。
――ばか。


ばしゃり、言葉と一緒に水をかけたら順があげた悲鳴は、純粋だった分、
その後の年甲斐ない半泣きの顔まで含めて余計に、まるでつくりものめいていた。
いやな仲違いも、きらいあった挙句のひどいことも、たくさん、たくさんあったはずなのに。
仲直りしたあとのあなたの泣き顔を、日常で遭遇したかわいらしい悲鳴を。
私はもう思い出せない。






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天国の涙(祈氷)




ぱたぱたと、落ちる。

どうして、泣いているのが私なのか、
火照った身体を持て余しては身を捩っているのが、私なのか、
あついのも、必死なのも、無様なのも、全部私で、
それなのに氷室さんは冷笑も無関心をも装ってはいなくて、
無関心とは違う茫漠、ざらつく微風が吹くばかりの砂漠に爪を立てる私は、
養分にも癒しにもなりはしない水を、落とすばかり。

鎖骨の根元に口をつけたら、恐る恐る沈めた指がかすかに動いて、
私の額のあたりで、小さく、眉をしかめた気配がする。
けして。気持ち良さそうなわけじゃないのに、痛がられている風でもない。
拒絶、されてはいないはずだけれど、
(だって、この人のそれはとてもよく思い知っている)
受け入れてもらえている実感はちっともなくて、
(そんなもの、あった試しがないから比較も考量もしようがなくて、)
自信も安心も得られなくて、そのくせ人肌の柔らかさに平熱の残酷さに、溺れて行く。

ふ、と。頭付近で今度こそ、ためいき。
びくり、震える私はあなたの瞳すら見つめられず、それなのに代わりに見ているのが裸の胸なのだから、
(わずかに上下するその膨らみに口をつけることすら、できないくせに)
……ひどいはなし。


「――代わりましょうか、」

「……いやです」


泣いて火照って、身勝手に溺れている私が、
あなたの指で高められて鎮められてしまうなんて、熱も滴も吸い尽くされてしまうなんて、
ひどすぎて、実現したらきっと私は悔悟と歓喜で死んでしまう。
この人に殺されるのは、きっと、すごく、簡単だから。
だから、いやです。












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片編みの白詰草(夕恵/2期#3のあれ)




けーちゃん、

…ん……んっ

…けいちゃん、

…っ、ふ!

……あ、

……大丈夫だから、続けて?


そう、おねがいする方が、ずっと恥ずかしい。
夕歩はわかってくれないから、真剣な顔で一生懸命で、
きれいな眼をほたるみたいにひからせている、夕歩が好きだから。
口元に当てていた右手を彼女の頭に乗せて、夜目でもわかるきれいなはちみつ色をなでる。
ますます大きくなった瞳が、急にうんと細められて、すごい勢いで近づいて、って、わ。


ありがと、恵ちゃん

うん、……うん?


え、お礼言われるよーなこと、したかなあ。
不安になって小声でたずねると、今度はあっという間に膨れ顔。
やっぱり可愛いけど、さっきみたいに手を伸ばしたら怒られる気がしたから、気まずいままで夕歩を見つめる。
(そもそもぶつりてき、に伸ばせないんだけど。左手は固定されちゃってるし、右手は夕歩がさっき掴んでから、ずっとそのまま。腕の内側に爪が食い込んでて、実はちょっと痛い。)


ぶすいっていうんだよ、そーゆーの。

…そっか、ごめん。

ごめんも、いらない。


もっと他のものが欲しい。
つぶやかれたことばは、耳元でいつもされるおねだりより強烈で、いやいつものもすんごい破壊力なんだけど、って、そうじゃなくて!


右手だけになっちゃうけど、がんばろっか?

――だめ。
今日は私がするの。


今度こそいつもみたいに耳の近くに落ちたささやき、やっぱりとんでもない威力で私を撃ち落として、
そのままちゅーされちゃったしいつもみたいに両手でぎゅっととかできないから、なんだか思ったより、されるがまま、に、なっちゃって。


ゆーほ、


いいよ、って言うのは、はずかしいから。
目をつぶって、動いて、したおねだりに。
ごくりと鳴った夕歩の喉が本当に近くにあって、彼女の跳ね上がった息が頬とか首筋にかかったのが。
なんだかすごくどきどきして、熱くなった。










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「いともかんたんに」はふたりへのお題ったーよりお借りしました。










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