明日の2時間前






だ、…め、ですってば!


ばちり。
突き放されたのは本気の拒絶で、甘い雰囲気自体を拒絶していたわけではないようなのに、真剣な瞳はこちらを捉えてはいるけれど怒っているわけではなさそうで、つまりゆかりが拒否する理由がわからない。


…先輩。

……はい。


年下の恋人にこうやって反射で従ってしまうのは、彼女は。私が望めばきちんとした答えをくれると、わかっているから。
私が疑問に思っていると気づかれているという確信は、さっきついばんでいたゆかりの胸元くらいには甘い。
ちらりと視線を落とす。水滴に混ざって私の舐めていた跡が、確かにきらきらと見えるのは、なんだかすごく、いやらしく見えて、
わざとらしいためいきでその両胸もきらめきも上下したところで我に返る。マズい。ここで本気で怒らせると長い。



その、ですね。
のぼせたり、風邪ひいたり。
したくないし、させたくないんです。

え、……あー、はい。


勢いが強制的に中断されると、確かに肩や脚は冷たい、かもしれない。
目の前の上気した頬にしたたる滴、しっとりした肌もまた、この狭いシャワールームのせいだけではないから。
仕方ないわね、と告げようとしたところでちょんと可愛らしいキス。


ですから。
先輩の部屋、行きましょう?

私の部屋なの?

…その方が近いじゃないですか。

ふふ、そう。
じゃあ、そういうことにしておきましょうか


いつもしっかりした子だから。状況判断も静止のタイミングも、進言の仕方までがしっかりしていたのに不意討ちの、こんな仕草ひとつで。
一瞬で舞い上がる自分に苦笑しながら、その嬉しさをも伝える承諾を。
落としたら屈託なく笑ってくれたから、安心して身を離したらちょうど吹いた風に、思わず震えてしまって彼女はあっという間に半眼になる。
あー、うん、約束破って押しかけたのも一緒のところ入っちゃったのも、悪いとは思ってるのよ?
……斜め前であっさりと部屋着に袖を通してゆくゆかりを見ながら、今日の脱がせ方を考えてるのがバレたら拗ねられるどころでは済まないだろうなー……。
思考が漏れたのかゆかりが勢いよく振り向いて睨んでくる。あ、それ、よく久我さんとかに浮かべてる……まあそうね、今の私は似たようなものよね……。


……風邪ひいて欲しくないって、言ったじゃないですか。
先輩もはやく、服着てくださいよ

え?
……はい。

……それに、

…それに?

さっきまであんなにがっついていたのに、もう収まったんですか?


そんなわけないじゃない。
……さっきまでの私の視線を、どうやら認識してなかったらしいゆかりは可愛らしく首を傾げているけれど、(これは故意の方。小悪魔みたいで可愛いと思うけどほかの人からの同意はあまり得られない。)素直に伝えてしまうにはちょっと場所とタイミングが悪い。
部屋についたあとで、教えてあげよう。忘れないようにしないと、と思うことで煩悩を押しやろうとして失敗。
(教えてあげるとき、を考えていたら肌色の想像で頭の中が埋まってしまった。)
それでもいつもの流れで身体を拭いて、下着に右足を通したところでゆかりの視線を痛いくらい感じたから、あえて視線は合わせないままで軽口。


そんなに見られてると着替えにくいわ。

…さっきまでの先輩には言われたくありません。


あら、やっぱり気づかれてた?







そしてやっぱり我慢できずに、更衣室の角で抱きしめていた。
ここで、この先に。進むことはしないけれど、だからここでこうしていればしているだけあの続きは伸びてしまうのだけれど。それでもいいと思うくらい、髪に温風を当てられてうっかり微睡みかけるゆかりは可愛かった。
鏡越しの表情と、淡く甘いシャンプーの香りだけじゃ、とても耐えられないくらい。


…っ、きゃあ!

あらかわいい。

は、なしてください!

夜分に騒ぐと迷惑よー、

せんぱい!!

おっと、……こら、

…ん! ……っや!

強情ねえ

先輩は、強引すぎるんです!

うん、そうね

これ、いやです!


一昨日もどこかで聞いた台詞。
嫌なら嫌と言って? と告げた頃はお互いそれを実行するのに、相当な覚悟を必要としていた。
手探りで、おずおずと。相手のこころの輪郭をなぞっては、触れる肌の柔らかさと暖かさに怯え、震え、最後には泣いてしまっていた。
なんで先輩が泣くんですか。いつもより少しかすれ、鼻にかかった声で。呆れながら心配そうに手を伸ばしてくれていたゆかりも今や私の扱いには随分と慣れてしまって、ただ。嬉しそうな笑顔を浮かべては私の涙をぬぐうばかり、指だけで繋がり合うときの最後はいつも、ゆかりの右手は私の頬にある。
あと少し経てばまたそうなるかもしれない、記憶をたどりながら一度だけ遠慮なしに頬ずり。予想の外にあったのか固まって、まんまるの目が可愛かったから、そうね、そろそろ解放してあげましょうか。


はいはい。

…っ、はあ……もうっ、

ゆかり、行くわよ、

…っ、


流石にお姫様抱っこは非現実的、だと言われたので、代わりに教わった抱き上げ方で。
結構うまくできて自画自賛していたのに腕の中のぬくもりは控えめに暴れ続けて。
それでも私が手放すまでは無理やり落ちようとはしないのだから、そういうところが心から可愛いから。
開錠したドアを開けて、廊下の冷たさと暗さに先に身を浸す。
ほら、はやく。しないと本当に、湯冷めしちゃう。


自分の足で歩けるんでしょー?

あたりまえです!

さわがない、

……っ


さっきから言葉を詰まらせてばかりのゆかりは、私の半歩後ろを歩いてるのにとてもわかりやすい感情表現で、私を煽る。
中途半端に高ぶって浮ついたままの頭は、この子の今とこの子とのこれからのためばかりに稼働している。


おこらないの、

…むりですよ、

あらあら。
じゃあ、手、繋ぐ?

じゃあ、の意味がわかりません。

怒らないで

……わかりましたから。
手は、良いです。

ん? どうして?

……いま、不用意に触らないでくださいますか

…っ!


やけのような告白に思わず固まった私を、ゆかりがどんと押す。
あれ、言った端から思いっきり接触、でもゆかりの方からならいいのかしら、じゃなくて、ゆかり?


止まらないでください

…ゆかり?

…なんですか


ついに私を追い抜いてすたすたと歩く、彼女の耳はさっきより赤かった。




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