まわりみち
あー、染谷、ストップ!
…はい?
自販機のボタンを押すところで勢いよくかけられた声に、うっかりそのまま勢い余ってしまわなかったのは、自分でもなかなかによくやった方ではないだろうか。
…じゅん、
やほ。
おつかれさまぁ
どうしたのよ、
するりと右隣に立った順の手によって、あっと思う間もなくお釣りレバーが回される。
(普段は普通にすればいいのに、とは思うし気が向けば苦言もいうけれど、習性なんだよねぇと笑いながら言われるばかりで。
この人は結局日常でも、気配を消したり変なところを歩いたりしてばかりいる。)
さっき入れた100円玉を2枚、私の手に握らせるために触れた指先は、思ったより冷たかった。
(これもその気になれば受け渡しくらい一切の接触なしでできるはずなのに、そうしない順は、怒らない代わりに褒めてもあげない。そう決めることで受け入れる、ちいさなしあわせ。)
どーせ珈琲飲むならさ、あたしの部屋来ない?
…残念だけど。
いまから、部活に顔出し
しないでしょ?
この道通るってことは、
……どうしてそうなるのよ
気づかれているかもな、とは薄々思っていた。
寮の部屋を引っ越してこの白い制服に袖を通すようになってからの習い性を、いともあっさりと看破して指摘した順は、それを誇るでもなく、至極当たり前の顔をして私の進行方向に立つ。
気遣いも、それが根本にある通せんぼも、彼女は無自覚でやっているから。
そういうところに、実はいちばん弱いのかもしれないと、もう何十回目かの諦めが過(よ)ぎる。
ここ通って帰るのはずいぶんお疲れのときでしょ?
だからちょっと遠回りのお誘い。
わざとらしく手を差し出して、(たぶんホストか執事かのつもり、)小さく笑っている姿の方は、実はもなにも、正直あまり心を動かされたりはしないのだけれど。
あたしの部屋で、珈琲ブレイク、しませんか?
そんな甘ったるい缶コーヒーじゃなくてさ、
糖分はもっといいもので補ってあげる。
ああ、でも、こうやってストレートに告げてくる愛情は割と好き。
今日は確かに疲れているし、夕飯とお風呂までの時間も充分には無いし、
下手をしたら彼女の部屋でうとうとしてしまうかもしれないと思ったから、彼女の部屋を訪うときに使う道は選ばなかった。
そんな私を責めることも拗ねてみせることもない、彼女の優しさがあふれんばかりの、日常をかすかにはみ出したお誘いは。耳を通るだけで、とても心地良い。
……その台詞だけで充分砂が吐けそうだわ
あれ、なんで砂なんだろうね?
さあ?
それで? あなたの糖分補給は、どんなスペシャルメニューなの?
ん?
順ちゃんお手製の珈琲と、こないだのチーズケーキですが
……そう
んー?
紅茶やタルトの方がいー?
……あなたのことだから、あなたかと思ってた。
言うのは癪だからしかめた顔を、覗き込んできた順が慌て出すからためいき。
今日は忙しかったし残り時間もあまり無い、という前提は最初から共通認識だと、ちゃんと、わかっていたくせに。
知らず知らずのうちに期待してしまっていた、自分に対してついた吐息のかたまりは、あなたと私の間で無残にわだかまった。
ケーキでいいわよ
あ、生徒会でお菓子とかけっこー食べてきた?
明日までならギリギリで保つと思うよ?
明日は買い出しだから、いつ会えるかわからないの
そー? でも無理して食べることないよ?
だから、食べたいわよ。
珈琲も、
……ん。
語気を強めることでようやく、口を噤んでくれた恋人に、もう一度ためいきをついてしまうのは追い打ちだから。
手は繋がないし荷物を渡したりもしないけれど、辺りに誰もいないからいつもよりはやや近い距離のまま、私の部屋へ繋がる階段を通り過ぎて彼女の部屋に向かう。
部屋に着く前に、少しでいいからあなたも欲しいということは、どう頑張ってもできそうにはないから。
珈琲とケーキを味わってから、どう行動して落とそうかという方向に切り替えた頭は、フル稼働してはいるけれど先ほどまでよりはずっとゆるく、おだやかに落ち着いている。
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