dreamin'
(槙ナン→槙ゆか)





夢にみて、
しあわせな気持ちで目覚められるほど、良い思い出ならば良かった。


夢に出てきた相手は、自分に会いたいのだと教わったのは、ある午後の古典の授業だった。
それを知った日はもう端から星獲りが無いことが確定していて、かといって眠たい気持ちと戦わなければならないほど疲れていたわけでもなく、
むしろ元気はありすぎ、体力は有り余りすぎていたくらいで、今日はすこし激しめのトレーニングでもしてみようか、そんな展望を、ぼんやり思い描いていたくらいにはけれど集中力は持ち合わせていなかった、
つまりは平穏といっていい春の日の情景だった。
あの頃は柄にもなく(なんていうとゆかりには怒られるけれど)、桜をモチーフに、華やかというよりは艶(あで)やかな水彩に取り組んでいて。
その意匠にはいっそお似合いなのに、随分とロマンチックで少女の我が儘すら垣間見える平安時代の言い習わしは、その日の私には完全に不意討ちだった。

刃友との絆も、寮制度も、袖を通す制服すら変わる目まぐるしい時期にあって。
その少し前に名前の変わった関係は、お付き合いするようになった斗南さん、とは、逆に、ようやく、平穏な日々を愛(いと)おしめるくらいには安定してきた頃のこと。
私は、あの頃、彼女の夢に私が毎日のように出てきてしまうのではないかと、そんな心配ばかりしていた。


ん……


鼻にかかった声を寝言にして、(どきりと跳ねた私の心臓をひとつ、置き去りにして、)ゆかりが寝返りを打とうとするのを、そうっと、やり過ごす。
彼女を刃友として、あるいは可愛い後輩として部活の仲間としてただの不器用な女の子として、接していれば良かった、そう接することになんの疑問も抱(い だ)かなかった頃の私が、ばかみたいに斗南さんとの日々を大切にしていた、千年以上も前の言い訳を嬉しそうに彼女の腕の中で話してしまっていた私のことを 思い出すと、正直、今でも、悲しくなる。さびしく、なる。
しあわせであることを疑いもしなかった、次第にずれて、軋んで、そうして駄目になってしまった歯車がまだ綺麗に噛み合っていた頃の私が、夢の話すら無邪気に、夢物語を指でなぞって彼女の肌に染み込ませていた私が、


……ぅ、


夢の中で登場した彼女は笑っていた。
その視線の先にいる私が、もっと、無邪気でバカでどうしようもないことをこれでもかと見せつけるくらい、やさしく、やわらかく。
覚めてから、ああ、良い夢だった、なんて、口が裂けても言えないくらいあたたかな笑顔を、浮かべていた。

そういえばあの桜の絵は結局完成させられなかった。
私にしては大胆な色遣い、筆使い(と称したのはゆかりだった)、褒めたのもゆかりだけで(「嫌いじゃないです」、なんて表現だったけれど)でも見せたかったのはあなただけだった、
あなただけなのよ、なんて、てらいも無く言えるときには、所詮、見せるに値しなかったのだろうロマンチックな夢の形を、
そういえば、私は、どう処分したのだったか。
思い出せないから、代わりと言わんばかりに、最近。――夢物語よりも甘かった時分の、彼女の夢ばかりを見る。











――好きです。


けして言うつもりの無かったそのことばを、言ってしまったのは。
もちろん、だれのせいにも、……なにを言い訳にもできやしない。

ほかの誰かに恋していたなら、あるいはこの人があの人を好きでなかったら、
――そんな、私自身の面倒な性格とは関わりの無い要因で、もっと、楽になれたのだろうかと、毎日真剣に思い悩むくらいにはあの頃はひどく――飢えていた。
近くにいるのに届かない思いを抱え続けるのは、近くにいることを手放した相手に長い間未練を抱えていた愚か者には、過ぎた試練だった。
あまいにおい、むじゃきなえがお。やわらかなまなざし。つよい、しせん、あざやかなきっさき。
私のために向けられるそれらに、舞い上がりながら。私以外の人に向けられる愛情が、それらを、あっさりと凌駕してゆくのに。
根を上げるのに、実際は、たいした時間は必要としなかった。
(体感的には、とても、……とても、長かったのだれけれど、それでも、)


……斗南さん。


そうつぶやいて、恋文より情熱的な桜の絵を前にして、ただ立ち尽くしていた姿を知っている。
ああ、ふたりきりのときに、名前で呼び合ったりしてたわけではないんですか。そんなことで、ちっぽけなしあわせを、――それに見合うだけの疼痛を、抱えた私は、その観客に徹しきることすらできずにいた。

……どうして。
どうしてあの人だったんですか。
(知ってたくせに。)
どうしてあの人と、うまくいってないんですか。
(知ってる、くせに。)
どうして。……私じゃ、駄目なんですか?
(知りたくない。だって、……このままなら、)
少なくとも、
(少なくとも、)
ねえ、
(……もしかしたら、なんて、)
先輩、
(まき、)


――好きです。なんて。
本当に、あの頃。告げるつもりなんて、さらさら無かったのだ。
……なにしろ、私は。まったく同じ言葉を、まったく違う心持ちで、
心にもない相手に、少し前に。言い放ったばかりだったのだから。









……どうしようもないなあ。というのが、あの頃、真っ先に抱いた感情。
染谷の不器用と、あの人の器用さが、嫌なくらいに噛み合ってしまって、同じくらい器用貧乏なあの人にはいかなかったその片棒を担ぐ役割がよりによって回ってきたのは、……もう、運命とやらはあたしにばかり貧乏くじを引かせたがってるに違いない。
……なにせ、あの人は、槙さんは、あたしとは違って、最後には大事なもの、ちゃんと掴んでいってしまうのだから。
……あたしと違って。


……貧乏神で悪かったわね

誰もそうは言ってないじゃん



つか、染谷が霊的なモンになるなら呪縛霊か何かな気がする。執着心的な意味で。


……何か失礼なこと考えてない?

ん? んー、


否定も怯えもしなかったのは、この子に対するちょっとした意地悪。
これくらいはさせてもらってもさ。罰(ばち)は当たらないと思うんだよねえ。
この人が、LoveじゃなくってLikeな人に告白して、ありがとうという了承がそこに落ちて、
染谷が誰のことを好きなのか、当事者はみぃんな知ってたのに、(そしてあたしが関わってんのに!)
最後まで事に及びはしなかったらしいまやかしの付き合いは、そもそもその存在を知ってる人が恐ろしく少なかった。
……当の槙さん達だって知らなかったっていうんだから、相当だ。ていうか、それに何の意味があったの、って言いたい。
まあ……んなこと、あたしに言われるまでもなくとっくに思い知ってるこの人にあんな表情(かお)されたら、言えるわけ、ないんだけどさぁ……


キューピッドになれなくてごめんね

…やめてよ、そういうの


ロマンチストなのはあの人たちだけで充分。
きっちり、しっかり、それはもう嫌そうな顔をして。
そして、ここにはいない人たちに、同じくらい甘い顔をひそり、浮かべた染谷は、とてもきれいに、笑った。


私のゆめは叶ったのよ。


そうでしょう?
頑張れば、頑張り続ければいつか。望むものは手に入るのだと。公言などしない信条に掲げてやまないこの人のような強いひとが。
とてもきれいにわらうときの真意とか、そんなことばかり詳しくなっていくのだから、あたしの手に残るのは結局いつだって貧乏くじなのだ。
まがい物の告白ひとつできないあたしに、お似合いの。



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