「たりない。」




染谷、
……さびしい。


言うつもりなんて無かったのに、染谷だって我慢してるのがいやってくらいわかるからこそ絶対に伝えない、つもりだったのに。
おやすみなさい、のあとに落ちた沈黙、先に切って欲しいけれど切らないで欲しい、切らなきゃいけないけれど切りたくない電話線がジジジと微かに音を漏らすだけの、せつなさに耐え切れなくなって。
ぽろりと転がり出た言葉に、息を呑んだのはどっちが先だっただろうか。
別に長期間会えないわけじゃない、遠距離恋愛になったわけでもない。ましては今生の別れなはずもない。
長期休暇でもっと会えないことも連絡取り合わないこともあったのに、恋人であることを許されてると(こういう言い方すると染谷は怒るけど、でも)、途端さびしくてたまらなくなる、彼女の不在。


やっばぁ……

…なによ

あんたのこと考えてたら、こう、……

…こう?

……ムラっと来たといいますか、ええと、その……

……あなたねぇ。


本当ならこの発言自体に怒るのが筋なんだろうけど。
そこは流石あたしというか、染谷が理解力のある恋人というか。


そういう軽口を躊躇するなんて、あなたらしくないじゃない

……だって、

はいはい、淋しいのね?

ん。
……ねえ、染谷

……ん。
もう少しなら、いいわよ

……あんたが欲しい

っ!?

染谷に触りたい。
生で声が聞きたい。

……息、荒いけど

ん、……ああ。
今、触ってたから

……ちょっと、順。

…ごめん、
無意識だった


……本当、何やってんだろ。
エロいおねーさんの写真も動画も、綾那たちへのちょっかいもただ楽しいだけなのに。
間違ってもこんな風に直情的に興奮したりなんかしない。相手の反応込みで娯楽だから、我を失って想定外の迷惑かけることまでは、してない、つもりでいる。のに。
あんたのこと、思うだけで苦しい。


……本当に、やってるの?

ねぇ、
……あんたの、熱が欲しい。

…じゅん、

あ、……あぁ、
残念ながら。
……すっごく、本気。……みたい。


熱っぽくて浮かされた頭でも、染谷の声音が変わったのがわかったから。
囁く声になけなしの優しさを籠めて、願いを籠めて、もう一度だけおねだりを試みる。
なんで電波越しなんだろうね。なんであんたがいないのに、こんなに欲しがって震えてるんだろうね。
布団蹴飛ばして、あんたに触りたい指を、代わりのように自分に這わせて。
あんたのぬくもりが得られない口元を誤魔化すように、饒舌になろうとして、でもあんたの声を聞く機会を逃すかと思うとそれすらもできずに、
ただ早口になるだけの本音を、つっかえながら吐き出す、夏の夜。


……もう。
順。……切らないでね?

……っ


ついさっき、さよならの後に本当は、欲しくてたまらなかった言葉。
言ってくれたら、とっても喜んで、それからありったけの勇気を振り絞って、だめだよって言おうと思ってた、ズルいあたしにかけられる、さっきよりずっと甘い声。
その響きだけで、伝わる熱の錯覚だけでイケるかと思った。
事実、目の前が一瞬白くなって、ケータイ、落っことしそうになって。
慌てて掴み直すあたしにかけられる提案に、夢かも知れないとちょっとだけ疑った。
こんな素敵な夢を見られるなら遠恋も悪く無いな、なんて思いはすぐさま撤回したくらいには、染谷に飢えてる身体が、性懲りもなく更に熱くなる。







……ん、

声、我慢しないでよ

……無理よ

んじゃ、どこがどーなってんのか、言って欲しい

…そ、んな、

染谷が足りない

…じゅん、
……ごめんなさい、


でも、やっぱり、無理。
浅い呼吸の合間に囁かれる、苦しげな声。ほんの少し聞こえる気がする、衣擦れの音。
まだ、脱いでないよね? だから、たぶん、布越しだよね?
もどかしいだろうな、と思いながら、でも簡単にその先をあげてしまうことはしない。
欲しがる言葉を吐かない染谷の強がりを溶かしていく方が、結局は、より気持ち良いだろうから。


じゃあ、代わる?

……っ

あんたの言うこと、なんでもやったげるよ?

じゅ、…じゅんっ

…そめや、

はぁ、……は、…


何を想像したのやら、びくりと揺れた染谷の葛藤をほぐすつもりで。
軽い口調で、本音しかない提案を。
それでも承諾はされなかったから。つまり抱かれたがってる染谷に最後の確認をするために、(一押しで、突き落とすために)もう一度だけ。


ねえ?

……や、じゅ、…ん、


何度も何度も呼ばれるあたしの名前。
呼ばれる度に頭を揺さぶられる。あたしの頭なんてどうせロクなもの入っちゃいないけど、染谷に全部見て貰えるなら、それであたしの気持ちが伝わるならこの熱が収まるならかち割ってしまって構わない。
バカな被虐を妄想するくらいには、あんたの声だけで、想像上のあんたの姿だけですっかり、壊されてる。


…さ、わって、

……うん、いいよ、
右手の指、揃えて?

や……

だいじょうぶ、あたしがいるから。

うそつき……っ


うん、そうだね。嘘だし、錯覚だね。
あんたがあたしを恋しがって泣いてんのも、あたしの指が唇が、全身があんたを恋しがって震えてんのも、それと同じだけあんたが蕩けてんのも。
お互いわかってるけど、知ってるけど、届かないね。


足、ひらいて、

やだ…っ

服で擦るより、ずっと気持ちいいよ?

そんなこと……っ

…うそつき、

ば、かぁ…っ


もう、完全に涙声。
声、いつもより抑えて無いのはこの状況に気を使ってるから?
それとも、気を遣う余裕も無いから、かな?


ひらけた?

ん……んっ、う、…ぁ、

そーめや、
…おしえて?

や、じゅっ、……も、
…は、やく……

……ん。
でも、もーちょっとがまん、ね


通話口が離れないよう気を付けながら、ずりずりと横向きに体勢を変える。
歯も泣き言も食いしばってた染谷がほっとした声を漏らしたのに、背筋掻き撫でられて。
充電のコードを差し込む手先が震えた。はやる心を押さえつけて、あたしに言われるがまま堪えてしまってる染谷の一挙動も逃すまいと耳をそばだてるために、息を殺しっぱなしだからよけいに手元が定まらない。


…つ、……ぁ、

それともいっかい、なぞってみる?

っ……ひゃあ!

…うっわ。

やっ、だ……も…じゅん!

いっかいじゃ、足りなかった?

あ……あっ……


物足りなさそうな声、しちゃって。
こちらをみつめるとけた目つきが、確かに感じられて思わず、身震い。


あ……んっ、……く、…あ……

そんなに押さえても、足りないでしょ?

だ、って…っ

脱げそう?

ん、……は、…ん、ん……


たぶん首を振った、のだと思う。
もちろん横向きに。はさはさとかすかに伝わる乾いた音が、嬌声を殺し切れずに一緒に届いて、耳を打つ。
指、止めた気配がないのが可愛くて、いとしい。
あたしの名前を呼びながら、あたしを求めながら、
でもあたしの声はもうほとんど届いていないような、浮かされた染谷。


じゅっ、……もう、や、だぁ……

…うん、いいよ?
めくって、

ちが……っ
これ、も、……や、……


我を忘れてるはずの染谷が、必死で訴えてくる原因が分からなくて冷や水浴びせられた心地になった。
何が足りなかったのか不安になって、何かだめなことしちゃったのかと慌てて、
なんとか染谷を気持ちよくさせられているという自信が一瞬で消え失せる。


……どーしたの?

ねが……、
手、…かえ、させて、

……へ?

ばか!


単調な、染谷らしくない罵倒の繰り返しに気が抜けて。
身体は熱いままだけど、急冷された頭が再び沸かされる息苦しさをごまかそうと、こっちからは何回も名前を呼ぶ。
ああ、本当、ばかみたいだね。お互い、苦しいよね。


左手のが、いい?

順がいい…っ

そっか


実際あたしもかなりヤバいんだけど。
染谷のトーンがもう相当終盤に近いから、
(いやまあいつもはこっからだいぶ焦らすけど、そういうのは対面じゃないとやだ。
 今日は、染谷がただ気持ちいいばかりじゃないと、いやだ。)


……いっしょにイケるかな。


自分のつぶやきが怖いくらいに真剣味を帯びていて、あぁこれが今のあたしの願望なのかと、遅まきながらに納得する。
あんたが、欲しい。
あんたの声で、気持ちよさそうなあんたで、いきたい。


そめや、指、変えれる?

ん、……ん、

じゃあまずはケータイ持ち替えて、……そう、上手。


おままごとみたいなやさしさを、冗談みたいなささやきを。
どこまでも本気でそそぎ続けて、ふらせて、とどけて。


足の力ゆるめて、…だいじょーぶ、すぐにあげるから、……ね?

…っ、く……ふ……

染谷、

…ん、…じゅ……


ちょくせつ、なぞって、

あ、あ……っ、…ぁっ、……ぃ、

ん、いいよ、


あたしに届けることに気を遣ってないから、だからあたしのことでいっぱいだと信じられる染谷の喘ぎ声が、近くなったり遠くなったりして、ざらついた呼吸音がたくさん、耳元で反響して。
待ち望んでた最後が近く、理性ごと押し流す波に歓喜の声を漏らしながら、寂しがる染谷を抱きしめたくてたまらないから。荒っぽく揺さぶる自分の中心、染谷に合わせるためになんとかコントロールして、名前と大丈夫と愛の言葉をただ、繰り返して。


ありがと、
……おやすみ、


――愛してる。
切らないで、と告げることも告げられることも今度こそ耐えられそうになかったからそっと、電源ボタンに手をかけた。
この火照りも寂しさも消せないから代わりに、彼女が落ち着く前にはメールを送って、明日の朝イチで会いに行くからと伝えて、支度して。
始発までは後4時間。染谷を抱きしめられるまでは、それから2時間。
回らない頭で考えながら、まずは彼女への思いばかりが染み付いたこの身体を冷やすためにシャワーを浴びようと起き上がったところで、ケータイが震える。

彼女の声に本気で罵倒されるのはこの数十秒後の話で、再会が(抱擁が)かなったのは予想よりも随分と近い未来のことだった。







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タイトルはふたりへのお題ったーよりお借りしました。
続き











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