蛇と林檎




迷いなく伸ばされる小さな手を前にすると、時折笑い出したくなってしまう。
こみ上げる衝動は自嘲としての笑みの形。彼女には内緒だし、間違っても形に出しなどしない感情の漣が、胸の裡を揺らめかせては擽ってさざめく。
両の手の暖かさ、太陽の温もりと熱量、まっすぐ注がれる真夏の日差し。
卑怯な大人の、仮面も鎧も持たないからこそ強烈なそれらを、いつしか心待ちにする自分をおかしくも無様にも思う反面。呆れる程の歓喜がひたりと胸を満たす。
事実、一人になれば呆れもするし反省もする。しかもその頻度は近頃更なる高まりを見せている。
けれど、でその行動を、やよいとの日々を無意識は繋げてしまおうとするのだから。もう、意地を張ったとて意地を張ることそれ自体しか目的には成り得ない。
長い言い訳は蛇のようにとぐろを巻く。低音の欲がずるりと蠢き、渦を為してやよいに迫ろうとする。

けれど、我を忘れるようなのめり方をするつもりはないのです。それが私の役割ですから。
……やよいが真っ直ぐさの過ぎる愛を向けてくれる分を、それで返せているなどと思い上がるつもりもありませんが。

今度の逆接は、自己のための戒め。
……だってこの太陽を陰らせてしまうのは、余りに惜しいでは無いですか。
いつかは薄まって、離れて行く純度だと覚悟しているからこそ余計に身に沁みる、まだ実際には失っていない喪失の空虚。
笑顔も大好きも、愛の言葉に背伸びした口付けも。あまりに簡単に手に入るからこそ、大人の卑怯がつい保身を形作ろうとして。やよいを傷つけてしまいそうになるのを慌てて止める自分は、思うようには仮面も鎧も被りきれなくて。

ただ、自分の卑怯を厭い、無様を呪う私の闇に向かって。まだ何も知らない手が、まっすぐ飛び込んで来るから、笑い出したくなってしまうのです。
仕方ないでは、ありませんか。






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鬼が笑う




「いやー、今年の塵も積もったねえ」

「割とマメに掃除はしてるはずなのにねえ」

「イッチーは偉大だったのだ…」

「一番散らかす人が何言ってるんですか」

「えー、一番はかんなですよー」

「ふたりセットで汚すんだから、一緒でしょう」

「むしろ団長じゃないの?」

「あはは、そうかも」

「よし、じゃあそれで!」

「胸を張れるほど大差ないどころか、むしろ3人セットじゃないですか、あなたたち」

「そこまで入れるならソラちゃんも入れてー」

「ソラちゃんは片付け上手掃除上手じゃない」

「正論ですわね」

「もー、しー様、誰の味方なんですか」

「少なくとも今からの大掃除が大変になった原因を作った人の味方ではありませんね」

「けちー」

「こういうのをケチとは言いません」

「はは、まあまあ。
 4人なんだからすぐ終わるって」

「それじゃ来年が気持ちよく迎えられるよう、がんばりましょ」

「おー!」


「やよいちゃん、今年は楽しかった?」

「もちろんですよ! 
 ラクロスもですけど、しー様にも出会えましたし、しあわせですし」

「おー、お熱いねー。
 それじゃ来年の目標は?」

「んー、もっとしー様とラブラブになりたいです」

「は?」

「おおう!?」

「…これ以上をシホちゃんに望むのは無茶じゃないかなあ…」

「あれ、ラクロス的な話でしたか?」

「いや別にどっちでも……
 あーでもそっちは来年頭に聞かれるだろうし、用意しといた方がいいかもねー」

「他人事みたいに言わないでよ。
 冬休みのメニューの責任は、ハチにもあるんですからね」

「へいへい。
 ところでシホ?」

「……」

「いいじゃないですか、夢は大きく、ですよ!
 やよいだって愛されたいお年頃なんです!」

「……今度は誰に何を吹き込まれたんですか」

「いやっ、うちじゃないよ!?」

「…私でもないわよ?」

「こないだ改めて思ったんです。
 忘れないうちに言っておかないと、幸せは前髪しかないんですよ!」

「なんだそりゃ」


「……いったい何が不満なんですか」

「もっとラブラブしたいんです!」

「…いったい何が不満なんですか?」

「だってしー様、私が二次性徴終わるまでおあずけって!
 お年頃なのに! 両思いなのに!!
 だから、」

「やよい、それ以上言うと二度と触らせませんよ?」

「や、いやです!! ごめんなさいしー様!」


「……まあ、本人たちが幸せならいいけどさ…」

「……シホちゃんのあの表情を前に、言えるのがやよいちゃんのすごいところよね…」

「照れ隠しってレベルじゃないよなー」

「……聞こえてますよ、ふたりとも」

「私たちがいるところで話し出すシホちゃんたちが悪いと思う」

「右に同じ」

「そもそもハチのせいでこんな話になったんでしょうが」

「来年の抱負を聞いただけじゃんかー。
 世間話の範囲内でしょーが?」

「…やよいに言ってくれませんか」

「うー、ハチロクがいるからおぶらーとに包んだのにー」

「どこがオブラートなんだか……いい加減に離れなさい、やよい」


「……さて、おふたりさん、そろそろ掃除始めません?」

「やよいちゃんは帰ってもいいのよ?」


「…このバカップルが、などとどうせ思ってるのでしょうが」

「ふたりには言われたくないもんねーだっ」


「……いやそんなことないだろー」

「……ねえ」







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ハチロクの絡めやすさは異常。











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