春はもう散ろうとしていた(大和着任ネタ)





いらっしゃい


ひどく大きな建物は、乱雑だけれど白く、光の多い場所で。
そのまぶしさに、はじめて持った「瞳」がまだ慣れないまま、突き動かされるように立ち上がった先。
人の形をした器にはじめてもらった心地よさは、聴覚からのものだった。


さすがに大きいわねえ


あ、これ、46cm砲かしら。さすがじゃない。
ぽすりと手を当てたのだろう感触は、もちろん艤装越しには伝わらないけれど軽く揺れた振動が腰に来た。
何か言わなければ。ありがとうございます、で、いいのかしら? それとも、もっとふさわしい言葉があったり、します?
小さな混乱を抱えている私に、あら、ごめんなさい、いきなり悪かったわね。――つぶやきのような謝罪と、半歩分離された距離、白く硬い壁と床に増える影。
あ、タメ口も、嫌だったら変えるけど。その言葉には慌てて首を横に振る。


そう。よかった。


久しぶりの秘書艦だったから心配だったのだけれど。
でも、大成功じゃない。
あ、私の名前、わかる?


……陸奥、…姉さん、


矢継ぎ早に繰り出される言葉の洪水は、今の私にはついていくだけで精一杯。
だけれどどうにか全部受け取って、咀嚼して、尋ねられたら今度は間を置かず返したくて。
思ったままをぽぉんと放(ほう)ってしまったら、きょとんとした彼女に、また、どきりと胸が鳴った。
……ああ、こういう風に、人間(このからだ)は感じるのだなあ、なんて。


順番なんてどうでもいいし、あなたと姉妹艦なわけじゃないけれど、
……でも、あなたは、私を姉と呼んでくれるのね。


ありがと、とても嬉しい。
やさしく笑う陸奥姉さんは、びしりと、それはもうまっすぐに、立っていて。
その自信に裏付けされた立ち姿は、ただやわらかいばかりなのにひどく似合いのその笑顔は、
私には、ただ、眩しいばかりだったのです。







ひとりが寂しいなら、誰かと一緒になっていいのよ


まあその人がいいっていうならだけどね。
ちょっとだけ意地悪そうに呟いたその人は、大井さんは、穏やかに笑いながら部屋を案内してくれました。
さっきの陸奥姉さんとはちょっと違う種類の笑顔。どうしてだろうと考えていたところで、するりと、左手の障子が、音も立たずに開けられて。
来客用の部屋かと思っていたから、そこで立ち止まるとは思っていなかった私は、ただ、ぽかんとすることしかできなかったのです。


……随分、立派なのですね

今は大きくなったから。


手狭だった昔は、ひどいものだったわよ。
ころころと笑う彼女は立ち止まったまま、埃ひとつ見当たらない部屋の一歩手前で、たぶん私を待っている。
本来の案内者として申し出ていたらしい長門姉さんを目線ひとつで黙らせたときとも、じゃあわたしがやりたい、と、彼女の後ろからそっと顔を出した能代を、遠征に追いやったときとも違う、あれらよりずっと、……そう、試しているかのような気配。


どうする?
まあ気にいらなかったからとか、あとからでも、たぶん許可してもらえるけれど。

……随分、ゆるいのですね

…まぁ、色々あったのよ。


いろいろ、ね。
わざとらしく含みをつけて、もったいぶったためいきをついて、私に向き直った大井さんは、やっぱり、この部屋の設(しつら)えにもこの鎮守府の雰囲気にもとてもよく馴染んでいた。
平たく言えば、軍人とは思えないくらい、すごくきれい、だった。


……ここで、やってみます

そう。


なら次は、特別棟を案内するわね。
閉められるときも軋みひとつ上げなかった障子戸の木枠を撫でる目つきは、一瞬だけ、そう、本当に一瞬だけ、…だからきっと、私の見間違いだったのでしょう。まだ慣れない私の眼球が見誤った、あるいは脳が処理エラーを吐いた、その手の初期不良、他愛ない錯覚のような、ものだったのでしょう。
陸奥姉さんよりは少しだけ丸い背中を追いながら、さっき見た、彼女の爪が桃色に塗られていてとても綺麗だったことを考える。
それ、どこで手に入りますか。着任初日に、大先輩に、不躾に頼んでもきっと嫌な顔ひとつせずに教えてくれるだろう大井さんは、気づけばさっき比叡さんに髪をやや乱暴に撫でられた、あの廊下を曲がろうとしている。







…なんだか、嬉しいですねぇ


にこにこと笑う彼女は、本当に他意がなさそうで、少しどきりとする。
さっき陸奥姉さんに抱いたのとはとても近くて、でも、ほんの少しだけ、違う揺れ方。
けれどなにがどう違うのかは、まだ、生まれたばかりの、未熟な私には、ちっともわかりませんでした。


……なんだか、なんですか

ええ、それくらいが丁度いいでしょう?


眼を細めると、ますます柔和になった鳳翔さんは、きっと走ってきてくれたのだろう、まだ汗と埃にまみれている戦闘服を照れくさそうに整えて、すうと縁側に腰をかけた。
私の隣。同じように座っているのに私の方がばっちり見下ろす形になってしまう。


最初に私の名前を、呼んでくれたのですって?

……えっ、違います。


私が最初に思ったのは武蔵の名だ。
それから、矢矧。いとしいあの子たちは、もう、艦娘、というあらたなうつわをもって再びこの世に、誕生しているのでしょうか。


ああ、ごめんなさい。
まだいない子は、自動的に除かれることになっているそうなの

…そう、ですか


じゃあ、初めて呼んだのは、鳳翔さんなのかもしれません。
少しだけがっかりしながら、けれどあなたに会いたかったのも本当です、と、うまく伝えたいのに、やっぱり、どうにも、上手にできない私を。
わずかに首を傾げるだけで、まるごと全部受け止めてしまったこの方は、あの頃の佇まいに、とても似つかわしい身体と雰囲気をもっている。


本当は、私が行けたら良かったのですが


ちょうど演習任務が入ってしまっていたので。ごめんなさいね。
でも陸奥さんがいらしてくれてよかった。戦艦として、また秘書艦として、いっとう長い経歴をお持ちの方ですから。
するすると耳に滑っていくことばたちも、ぜんぶ、ぜんぶ、あたたかくて。
ここは本当に戦場なのだろうか。この人は、陸奥さんや大井さんは、……この、私は、どんな風に、どんな顔で敵を倒すのだろうか。どんな気持ちで、向かえば、いいのだろうか。
考えてみてもちっとも見えなくて、今ここでそれを尋ねる気には全くなれなくて、
そんな私をさっきから持て余し続けた結果、こぼれ出てしまったのは、とんでもない提案。


あの、お風呂、入りませんか

え?


あ、……ごめんなさい。こんな格好で。
途端恐縮した顔を見せる人に、慌てたせいで、うっかり、
この、ひとに、手を、伸ばしてしまう、ところでした。


違います!
ほう、しょうさん、…お、つかれでしょうし、
私、お風呂もはじめてなので、


その、よかったら、おしえてください。
ああ恥ずかしい、消えてしまいたい。
体を思い切り丸めても、この人より小さくすらなれない大きな図体が、あつくてたまらない。


ええ、私でよければ


……その笑顔ひとつで、もっと熱くなってしまったのだから。
この身体は、一体、どうなっているのでしょう。







ほてほてと、湯上りの暖かい身を戦艦の皆様がくださった部屋着に包みながら、いつの間にか黄昏を通り越して薄闇が広がる廊下を歩く。
あちこちに小さくつけられた灯りは、戦時というには明るすぎる気もするけれど、うっかりひとつ消えてしまっているところは足早に歩かなければ何か出てきそう、と思わされる程度には控えめだ。
からり、自室の障子を開ける。大井さんは音を立てなかったのに、と思って、それから、正しい入り口ではなくひとつ奥のものを開けてしまったのだと気がついた。
夜は思ったより怖くない。と、思う。
昼間のみんなは優しかった。

この鎮守府は、みんな優しくて、少しだけ怖い。







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XX14.06.04  建造にて、大和着任。
       秘書艦は陸奥(94)。











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