紫煙の果て(皐月と叢雲)






……それ、やめたら?

んー?


振り返ってみせる彼女の手……ではなく口に銜えられているのは、古今東西、普遍的に愛されている嗜好品。


カラダに悪いって?

身体はどうでもいいけれど。


財布に悪いでしょう。あなたの場合。
皮肉気に口の端をあげることすらしてみせた彼女に、当てこするように言ってやればあっさり黙りこくる。
爽快とさえ、いつもなら思うかもしれないというのに。
こういうときにばかり、反論の牙を形だけでも作ってみせない彼女は、ひどく卑怯だ。


うるさいなあ

今更ね。

んー。


そだねえ。
咥え煙草のまま、へたりと仰向けになって空を仰ぐ、皐月の髪はさっきまで西日に反射されて馬鹿みたいに煌めいていたのに。
それが呆気なく消えてしまったことが妙に寂しく思えて、いっそ髪ごと踏みつけてやろうかと近づけばどう称すればいいのか定かではない不抜けた笑み。


いーことなんかないって、わかってんだけど


これ、教えてくれた奴も、もういないしね。
掲げられた箱は、さっきの髪のように照り映えたりなどはしない。
大事そうに抱えていたマルボロライトは、確かも何も戦前にはありもしなかった代物だ。


勝手に殺さないの。

死んだようなモンじゃんか。


ふてくされた彼女は、さすがに年相応の幼さが覗く。
それに安心する自分も、外見年齢はそう変わらない設定を与えられているというのに。


もう一度言ったら潰すわよ


何を、と言わない私が、遠征を終えた後、きっちり3回に1度だけ、この子とあの子の様子を見に、わざわざ足を運んでいることも。


叢雲、怖いなぁ、


さすが最古参。
けらけらと笑う皐月が、それを見越して、このときだけ、一本だけ、慣れない煙に噎せていることも。


とうとう如月にも抜かれたそうじゃない

同じ睦月型なんだからいーの

言ってなさい

へへっ


言わなくてもわかっているのだから、この胸の痛みも、伺いなどたてる必要もなくお互いに共有されている、
いわゆる、――仕様のない、ただの感傷という奴だ。






よ、……っと、


叢雲がいなくなったのを確かめてから、うーんと伸びをする。
立ち上がるときにほんの少し、立ちくらんで思わず苦笑い。気配、確認してからで良かった。
索敵能力は叶わないし、口でも実績でも、いっつもやりこめられるばっかりで、たぶんずーっと追いつけない。精一杯の努力はするけど、こういう軍属だと、自分の頑張りでどうにかなることなんて、外から見たらびっくりするくらい少ないんだ。
余暇にできることの制限も、塀の外の人たちから見たら、ドン引きされるレベルでかかってる。慣れちゃえばなんてことないんだけど。わざわざボクにマイク向けられて、聞かれたから答えただけなのに、あとで叢雲にはあんたが答えなくてもってお説教を頂いた。誰が答えたって一緒ならボクだっていいじゃんか。

そう、誰が吸ったって一緒だから、ボクらがやるって決めたんだ。
残り3本になって、もういい加減握りつぶしたくもなってきた煙草の箱を、そうっと内ポケットにしまい込む。喫煙は禁じられてはいないけど、依存すると呼び出しがかかるらしい。こんなもんどこが良いのかわからない。それでも空になった箱を持っていけば天龍さんが面倒くさそうに新品を投げ渡してくるから、ボクのポケットには、いつも中身の入った煙草がひと箱だけ、しまってある。
(どう頑張ってもボクには支払わせてくれないから、必然的にお金は天龍さん持ちだ。……ボクの方がお給金高いのに。)
龍田さんの分は不知火が持ってる。メンソールとか、さらに輪をかけてどこがいいのかさっぱりわかんないってぼやいたボクに、全くだわ、なんて真顔で頷いたくせ、主力艦隊の一員として出撃してきた後は、やっぱりここで一服していくんだから、ボクには不知火のことも、よくわかんない。

如月が眉をひそめて、よくそんなもの吸えますわね、と言い放つ姿の方が、ずっと好ましいし、親近感沸くし、
結構長い間主力艦隊の最先鋒を勤めてたボクの役割を、雪風に譲り渡してからは、いつの間にか一緒に出撃することが増えた彼女の隣は、まあまあ、周りが思うよりはずっと、居心地がいい。
帰る場所は彼女のもとなんかじゃないけど。不知火や、五十鈴さんと同じ武器持って突撃する中で、背中のひとつくらいはあいつになら預けられる。
たぶん、叢雲も、おんなじ思いで今の第二艦隊を編成したんだと思う。
艦娘に編成を任せるなんて。まだ鎮守府にぱらぱらとしか人員がいなかった頃、もういない那智や千代田までが一線級だった頃からいたボクが知る限り、あとにもさきにもあの一回きりだ。
あいつが、如月の代わりに対潜部隊を外された三日月を真っ先に呼び寄せたのも、キス島でトラウマ抱えた霰を引きずり込んだのも、旗艦に長良姉さんを指名したのも、やんなるくらいよくわかる。


……きもちわるぅ


ぐるぐる腕を回して、ついでにぴょんぴょん飛び跳ねて、
それでもべったり残って離れてはくれないこの感触は、さっきまでの煙草のせいにしておくことにした。
遠征が終わった後、数度に一度は律儀にここを通って、執務室に向かう叢雲はきっちり10回に1回の割合で、ボクの煙草を咎めて、いつも似たような問答をふたりで繰り返す。
もうしばらく日の目を見ていない、かつての戦友たちの弔いみたいだねっていったら、彼女だって、否定しなかったくせに。






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XX13.08.10   鎮守府着任。初期艦は叢雲。












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