ふたりめの赤城さんのはなし。
百合SSというよりはプレイメモの側面が強いので、他SSを読んでからじゃないと訳がわからないかもしれません。










白塗りの夢幻








# 赤城(1)




目を開けた。
目に痛いくらいに白い部屋で、自分が、赤城として、覚醒してゆくのがわかった。

肌、というものが、ずいぶんべたついた感触をのせているのは建造過程で一度液体の中をくぐるからだと、いうのは、あとから知ったけれど。
着心地の良い、とてもしっくりくる服はそれなら誰に着せられたものなのか、あるいは誰の手によって、乾かされたものなのか。
知らない方がいいこともたくさんあるといまは知っている。

まだなにも知らなかったわたしが、目覚めたとき。
ゆっくりと、部屋の彩度に慣れていった頃、ばたりと開けられた扉の向こうからあらわれたひとは。自分とよく似た格好を、していて。
――加賀さん。その名前すら、すんなり、心に浮かんで、そのまま唇からこぼれすらしたというのに。

ただ、感情の赴くまま、手を伸ばしたら。
彼女はひどくびっくりした顔をして、そうして。

わたしのその手は、空をきった。











# 鈴谷(59)・熊野(13)




……! ……っ、…………!!


近くて遠い布団の中。
鈴谷は今日もまたうなされている。


っはぁ!!
……はあ、…ぁ、……はあっ、


飛び起きた彼女が、息を整えるのを。息を潜めて待つことにすら、私はもう慣れてしまった。
少し前までは、あのひとも同じことをしたのかと考えては気を紛らわせていたけれど。正規空母のあのおふたりは、当時は同じ部屋ではなかったと聞いて以来、私の新たな空想の翼はもっぱら彼女に作ってあげたい翌朝の朝食メニューとなっている。
いつだって喜んでもらいたいと思うけれど、毎日同じものを出せばいいわけではないし、それが、叶うわけでもないから。食材の都合、司厨方の都合。台所事情を勘案しながら、最近出撃続きでとても疲れている彼女にいっとう良いものを。
明日の味噌汁の具はジャガイモとシメジだったはずだから、思い切って鮭を焼くのもいいかもしれない。少し塩辛いくらいのタンパク質をがつんと取った方がいっそ――
――そろそろでしょうか。


……熊野、起きてる?

…すずや。


へんじはなまえがいい。
もう先々月も前になる、彼女が、ひどく、ひどくうなされていたとき、抱きしめたらぽろりとこぼれでた彼女の願望を。私は、もちろん覚えている。


ありがと、熊野

…いえ


どうやら幸運にも、今日は抱き枕にならずとも済みそうだった。
悪いと思っているひとに、おそるおそる触れられるのは、本当はそんなタイプじゃないでしょうあなた、と、言えもしない私が彼女の安楽の一助になってしまうのは、胸が苦しい。


……航巡になんて、ならなくていいよ


きっと私の方に手が伸ばされて――そうしてぱたりと落ちた、音だけが暗闇には静かに響きました。
私は彼女の方を向いてはいたけれど、彼女の様子をじっと窺ってはいたけれど、彼女を、みようと思っていたわけではなかったので。
鈴谷の穏やかな横顔より汗ばんでいるのだろう、その手の温度ばかりがひどく生々しく、私には想像されたのでした。
まっくらやみなことば。
わたしをめしいにする、てのひらはひどくあたたかい。
私ではない熊野さんが、ミッドウェーの海の底から正しく甦って、夢枕に立ってくださればいいのに、と思う。
……これは、のろいです。











# 加賀(117)




演習で、何十人もの赤城さんと会ってきたのに。
ミッドウェーの洋上で、真っ白になった姿を見たときも、ここまで、動揺はしなかったのに。


やってしまった。私に向けられたに決まっている手を、……赤城さんの、弓を引く腕を、避けて、しまった。
頭が追いついていないのだろう、棒立ちとなった赤城さんを前にして、彼女と同じくらい呆然としている私は、何を、どうすることもできなかった。
“……はじめまして、や、いらっしゃい、を。本当は、言って欲しかったです。”
着任して何年も経って――隣に並び立つのにも、同じ寝所で眠ることすら当たり前になってからようやく、翔鶴がこぼした告白を、私は、確かに覚えていたのに。


我に返……れなど全くしていなかったが、頭では混乱したままでも、与えられた任務をこなすべく身体は勝手に動いた。軍属が長いというのは得だ。何も考えずにいられる時は貴重だと、重々知っているからこそ余計にそう思う。
ついて来てください。と、まるで相手が赤城さんではないかのように短く口にして。私が先導しなければならないことはわかっていたから、彼女より少し前を歩いた。
執務室まで連れて行って、出迎えた翔鶴に顔を歪めて――彼女が自己紹介をするまではなんとかまっすぐに立っていることが出来た。
たぶんその後、ソファに崩れ落ちたのだろう私をどうにかしてくれたのは翔鶴には違い無いし、赤城さんに、その様(ざま)を見せることはなかったはずだ。
彼女の目に映る私が如何程みっともなかったのか。面と向かって聞けない時点で、真偽を知る術(すべ)は今のところないのだが。


執務室でひっくり返っている時、本当に久しぶりに10年前のあの戦さ場の夢を見た。
アルフォンシーノの海。赤城さんが振り絞った最期の言葉を、うまく咀嚼することもできないまま棒立ちになった私を、庇ったのは古鷹だったし、同時に私と赤城さんの間の障害物となってくれていたのも彼女だった。
今となってはそれに感謝すらしているが――もっとも当時はひどく恨んだものだけれど――雷撃処分を担当した雪風ともども、謝罪も感謝も、もちろん恨み節も、伝えたことはない。
それからのわたしが、まるで役に立たなかったから勝利すら持ち帰れなかったのだと、罵ってもらったことも、同じように、無い。
静かに共有されている、死の記憶はささくれて、掠れて、それでも消えてはくれない。
当事者たちの間で口にして、楽になろうと思うことにすら罪悪感を覚えずにはいられないくらいには、僚艦はやさしいひとばかりだった。


一周忌は、ちょうど新海域進出を祝う宴会と重なってしまった。
わざわざ出席して場を悪くする必要も無し、最初の乾杯から辞退する旨、鳳翔さんと隼鷹に告げてひとり佇む岸壁は、あの戦いで、出撃するときにも帰還するときにも使ったもの。
今だって現役なのだから、殊更にその思い出ばかりがあるわけでも無いが、同時に私が赤城さんを悼むためにのみ使えるわけでも無い。その意味で、宴が重なったのは好都合ではあった。
蒼龍も翔鶴も、あのときの僚艦も来ることは無いだろう。満潮の近い真っ暗な海を覗き込んで、兵装無しで飛び込む気力は無いことを確認して、後はただ泣くに任せた。
あとを追えるものなら、あのとき、とっくに追っていた。

二周忌は事前に近しいひとたちに告げた。ひとりにして欲しいといえば、誰も追って来ない。
昼日中の、空っぽの岸は、ひとりでいるには随分とさびしかった。もしかしたら夜よりも。
次の年は翔鶴の方から先回りして気を使われて、そうなってしまえばもうあそこで悼むのは嫌だと駄々を捏ねるわけにもまさかいかず、仕方無いかと言い訳をした矢先に遠出の哨戒任務が入って、結局洋上で赤城さんの命日を迎えることになった。
隣にいる翔鶴の方がひどく怒っていたのをよく覚えている翌年、彼女と正式に(というのもおかしな表現だが)付き合うか付き合わないかのさなかだった4年目は、どう言葉を選んでも赤城さんを口実に翔鶴との仲を詰めているようにしかなりそうに無かったから彼女を誘うのは諦めた。
だから私と翔鶴が、ふたりで赤城さんの命日を迎えるようになったのは5年目からだ。それからもまた同じだけの歳月が過ぎた。
10年は長い。


私にとって、赤城さんは。
いつの間にか、すっかり過去のひととなっていたのだ。











# 翔鶴(120)




勝手に過去のひとにしてしまって、ごめんなさい。



昨年はちょうど南方に出ていたから、一年ぶりに泊地で弔う命日となった。
台風も来ず、今のところはスコールの気配も無い。程よく風すら吹いている9月の快晴は、似合いすぎていていっそ滑稽だ。

1年目はまだ、そんなことを考える余裕もなかった。
ちょうど北方の海域を手中に収めたところで、赤城さんの穴を埋めるに足るとようやく認められたばかりの私が、ただ、前しか向いていられなかった裏で、加賀さんはちゃんと、静かに悼んでいたのだと、その翌年、二周忌の前日にようやく告げられた。
ひとりにして欲しいと、同時に言われたから私は表立ったことは何もしていない。古鷹さんや榛名さんが出撃し続けていたから、陸奥さんと交代で務めていた秘書艦の隙間時間に、少しばかり、思いを馳せただけだ。
3年目は加賀さんに言わせるより先に邪魔はしないし誰にも邪魔はさせませんと宣言しておいたし、4年目もあまり変わらなかった。そこそこにゆるやかだった日々にあって、瑞鶴の幻聴が聞こえなかった日だった、というのは、ある意味でとても珍しくはあったかもしれない。
ちゃんとほかのひとに思いを傾けられてはいたのだろう。……私の場合、その対象は赤城さんではなく、ほとんど全て加賀さんであったわけだけれど。

5年目。今年からはあなたも一緒に来て欲しい、と言われた。
あのひとのお墓は無い。装備の欠片も持ち帰れなかったそうだから、よすがとするものも遺されてはいない。
返納した貸与品を除く遺品は加賀さんが全部燃(も)してしまった。言ってくれれば手伝いましたのに、と、告げることができたのは6年目よりはあとのはずだ。

花を撒くのは、感傷的になりすぎるから、いやなのだそうだ。
喪儀というものは、生者のためにあるのだから好きにさせてやればいいと――長門さんが言ったから、きっと、私は、反発してしまったのだろう。
わたしたちが、このかたちを、いただいてから。うしなったひとたちをもつひとは、ここには、たくさんいるのに。どうして、そうでないあなたがそれをいうのですか。
もちろんそういう非難を受ける事自体、織り込み済で言ったに違いない長門さんに、正論に見せかけた感情論で噛み付くのは。みっともない以外の何者でもなかったけれど。
それを敢行したのは、加賀さんのためでなく、正真正銘、私のためであったから。
だからという言い訳を、みんなゆるしてくれるから、こんなことになってしまったのだ。

10年目の追悼を、ふたりで、密やかに終えて。
来年からは流石に少し、やり方を考えようかしら。
呟いた加賀さんに、一年かけてゆっくり考えてください、なんて返した私の声も、ひどく穏やかで。
こうなることを誰が予測しただろう。戦いの波は、次第にゆるやかになろうとしていて、それは、前世で直面していた戦局よりはるかに良いものだったから、私たちは、赤城さんを正しく送ることが、できてしまった。
ここより遥か先、最前線まで行けば激戦区が無いわけではない。そもそも数カ月前にはひとつ大きな、決戦にも参加した部隊に所属していたものが、とんだ錯覚を抱いていたものだ。
代わりましょうかと。一応の伺いを立ててきた陸奥さんに、いえ、やらせてくださいと言ったからその日は午後から私が秘書艦だった。
大鳳さんを迎えるための配分となった書類の決済印を確かめ、工廠に回したときも、ほかの正規空母が来るなんて可能性は全く考えてはいなかった。


正直なところを言ってしまえば。
私たちは。赤城さんや瑞鶴に再び会える未来というものは、とっくの昔に、諦めていたのだ。











# 蒼龍(85)・飛龍(85)・加賀(117)・赤城(1)




死んでもやり遂げろ、なんて、うちの提督は言わないのだ。
――だからうちの泊地ではよくひとが死ぬ。
ひととして葬ってくれると、悼んでくれると知っているから、兵器として、死んでゆく。



練度も出撃の頻度もいつだってそこそこ、一軍とは言わずとも主力部隊の一員であり続けて来て。
僚艦の轟沈を、ごく最近まで知らなかったのはとほうもない僥倖なのだと、最近ようやく知った、熊野をなくすことで思い知らされた矢先。
私が配属されてすぐに沈んでしまった、大先輩と同じかたちをもつひとが、やってきた。

ようやく南雲艦隊として揃ったんだし、お前らまとめて挨拶にいかせるからな。
そんな伝言を、よりによって翔鶴に届けさせるんだから、提督はなかなか艦娘から素直に信望を向けられないのだ。いくらちょうど秘書艦だったからって。そもそもなんで秘書艦にしたままなのよ。こういうときは代えてあげるのが、暗黙の了解じゃなかったの。古鷹さんも木曾さんも代わってもらってたじゃない。
準一軍の古参として、文句のひとつくらい進言してこようか。
そんなことを思うことで、彼女に、声をかけるのを後回しにしていたのは、……悪かったと思っている。本当に。
ただ私たちの出方を待つほかどうしようもない赤城さんを前にして、彼女以上に混乱している加賀さんをよく見通せる位置にいた、ふたりともをちゃんと知っている私が、動くべきだったのに。


……いいよ、私が行く。
――“はじめまして”、赤城さん。


この姿でもお会いできて嬉しいです。
ああ、そういえば飛龍も艦娘としての赤城さんと同席するのははじめてとなるのね。
あの頃は何もかもがめまぐるしくて――赤城さんの抜けたところを補いながら、きっと正しい後継となるのだろう翔鶴の指導をして、底なし沼のようにずんどこ落ち込んでいく加賀さんをそれとなく、うまくなんてできないまでもなんとか引っ張りあげようとして――そうこうしている矢先にやってきたのが飛龍だから、すっごく嬉しかったけれど、正直嬉しかった以外の感情は曖昧だ。飛龍に再会できたのを喜んでいたのか、はたまた正規空母が増えてくれたことを歓迎したのかも、実は、あんまり、自信が無い。
挨拶は無事――かはわからないが、少なくとも失敗とはいわずに済むかたちには収まった。
赤城さんが隣に立つだけでびくりと震えた加賀さんが、そうされた赤城さんの方がもっと苦しそうな表情をしていたことに、気づけなかったのは仕方が無いとは思う。
配属歴ばかりが長い古株はその期間にかこつけて、思う、けれど。
激昂の仕方までがどこか幼くみえる、このひとの方がわざわざ私と飛龍の部屋にやってくるのだから、もうちょっと当事者の自覚をもってなんとかしてくださいよ、と、少しばかり恨みたくなるのは、どうしようもないとも、同じくらい思う。


もう知りません、あんなひと!!

……どうしたんですか、赤城さん。

――赤城「さん」、ね。

あなたもわたしを遠ざけるのですね。
そう言われてはいないのに、まるでそうにしか見えない目つきが私を射抜く。
それから気まずそうな影が落ちる。途方に暮れたこどものような顔。


…けんかしてきました。
……いいえ、本当は、けんかなどではありません。
だってあのひとたちは、言い返してすら、くれないのですもの


ひとをなんだと思っているのですか。
静かに憤る彼女はこんなにもかなしみで溢れていて、
わたしたちがそういうものであると、もしかしたらわたしよりもずっと知っているはずの加賀さんと翔鶴は、だけれどここにいないし、目の前の彼女をてひどく傷つけたのだ。


わたしが赤城だというだけで、
あのひとたちは、わたしを、うやまうのです


――遠ざけるのです。
おそらく正当な権利をもらえなかった、悲鳴は、こんな風に私に吐き出されるべきものではないはずなのだ。


私の知らない艦載機をたくさん操り、
私の知らない海域をたくさん経験した、あのひとたちが。


加賀さんも、翔鶴も、たぶん、あのひとなんて呼ばれるべきじゃない。
だって赤城さんだって、そう、呼びたいはずではないに決まっているのだ。
息をつく暇も無いくらい、正規空母が忙しかったときならまだよかった。否応なく戦場に駆り出される日のために、容赦なくいろいろなことを詰め込んで、先輩とか後輩とか前世とか因縁とか、そういうあれこれなんか全部押しやらなきゃいけないあの頃なら、良かったのに――
自分が翔鶴にしたことを、もう一度、繰り返したいと思うことが、既に、私の情けなさをどうしようもなく浮かび上がらせていた。
飛龍にはあとですごく怒られた。すごく安心すると共に、彼女が新しい赤城さんしか知らないことを、何年かぶりに、少しだけ、恨めしく思った。





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To be continued...?











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