ゆめのかたち(赤城×翔鶴)






暇を持て余せるほど、忙しくなくなったわけではないのに。
ふとした折に、こころにぽかりと滲むこの感情に名を付けるなら間違いなく寂寥だった。
人寂しくなったと言っても良い。
翔鶴が、わたしよりも忙しくなった、ただ、それだけで。

一応、わたしの誇りをかけて、わたしの立場を述べておけば。彼女によって、わたしが主力から引きずり降ろされたわけではない。わたしは相変わらず加賀さんとふたりで第一艦隊に所属していたし、空母主席という立場で秘書艦の任もそれなりに回ってきていた。
けれど新しい海域の攻略はひと段落し、制圧した列島を他所から来た部隊に引き渡したばかりでは。戦闘班の主な役目は目下のところしばしの休息とコンディションの回復というしかないもので。その中でも辛うじて、単発的に寄せられる救援依頼に、恩を売るために派遣されるのは嫌とまでは言わずともあまり張り合いのあるものではない。
一方、翔鶴の方はと言えば。第三艦隊旗艦として遠方への定時哨戒任務を解かれないまま、立て続けにやってきた後輩の指導を命じられて。瑞鶴さんと一緒に毎日てんてこ舞いなようだった。
出撃もろくに無いのでは、支度を手伝ってもらうこともできないし。しかも数少ないそれが突発的な依頼ばかりでは、恒常的に忙しい彼女の手を煩わせるわけにもいかない。
果たして恋人と呼んでもいいのかどうか、自分でも首を傾げてしまうような睦事に、どちらかというと主従のような日常の些事。亭主関白じゃないですか、と、蒼龍に苦笑されたのは、実は割と気に入っているけれど。同じことを言われたとして、翔鶴は果たして喜んでくれるのだろうか。
わからないところが、その表現通りの関係なのか否かを如実に表している。


……どうかしましたか

え、……いえ。


気づいたら心配そうな顔をした加賀さんがすぐ真横にいた。
……本当に真横過ぎてちょっと怖い。でも、それより、湯呑を持ったまま完全にかたまっていた自分が怖い。
本当にひと口分だけ、残っていた緑茶を啜る。……びっくりするくらい冷たくて、思わず目が丸くなった。
これではさすがに加賀さんのことを非難できない。
(いつもなら、加賀さんの心配性! と八つ当たり……いえ、叱ってるところです。)


…なんでもないのよ。

……そう……ですか。


もちろん、「そう」なんて思ってない加賀さんは、けれど追加の心配をするのはやめにしたようだった。
(追求というには、加賀さんのこれは、どうにも優しすぎる。臆病と言い換えてもいいけれど。)
そんな加賀さんが唯一素直に全力で物を言える彼女は、……そういえば。
柱に掛けられた時計をちらりと見れば、ちょうどもうすぐ、翔鶴と瑞鶴さんの主導する新人鍛錬が終わる時間。
そのあとにはふたりだけでの反省会をするはずで、わたしも加賀さんもあまり迎えにはいかないけれど、翔鶴は大抵それから翔鶴型の二人部屋に帰って、更に次回のことを考えたりするはずだけど。
終わったあと。瑞鶴さんはよっぽどのことがない限りほぼ間違いなく、加賀さんに会いにこの部屋にやってくる。
よっぽどのこと、つまり教え方を失敗してしまったとか、翔鶴と意見が合わなくて口論になったとか。そんなときは自分たちが教わる側だった頃によく泣きながら悔しがっていたあの一角に逃げ込んで膝を抱えている(らしい)。そうしたら必ず、思い切り心配そうな顔をした加賀さんが(その顔が、この部屋の框を乗り越えた瞬間にびしっといつもの無表情に切り替わるのを見るとわたしはいまだに表情筋との戦いを強いられる、)瑞鶴さんを迎えに行くのだ。
羨ましい、のは、それと同じことがしたいのではなく。その真っ直ぐさが、ただ、眩しいから。

(……いいなあ)

でも、じゃあ、どうすれば良かったというのだろう?
彼女を手に入れたかった。手に入れたら、それで、終わりかと思っていた。
初夜というものはまさしくはじまりでしかなくて、翔鶴を手に入れたという実感もないまま、好きにできる権利ばかりが膨れ上がって、気がついたら歪みきった非日常がぱくりと口を開けて。
真っ黒に塗りつぶされた部屋の中で、こうこうと煌やく彼女の髪ばかりが白い。
赤を煮詰めても黒にしかならないし、白を燃やしたら、灰になってしまう。


そろそろ行きますね

…っ、ええ。


ありがとうございます、と、頭を下げる加賀さんに、下手な言い訳をしなくなったわたしは大人だと、加賀さん辺りは思っていてくれているのだろう。きっと。
僥倖でもあり、絶望でもある、相棒の信頼は相変わらず盲目に近くて、同じくらい重いはずの翔鶴とかたちが違いすぎて、こうして自覚するときはきまって気分が悪くなる。
障子を閉めるのに音を立ててしまうほど動揺してはいない。だから大丈夫。まだ、加賀さんと瑞鶴さんを羨むだけでいられているから、負の感情を彼女たちに向けてはいないから、大丈夫。
呟きに乗せないのはわたしの意地。飲み下すそれはどこか酸っぱく、口直しに翔鶴を訪おうとしてしまう自分がまるごと、ぬめって溶けていく錯覚すら覚えた。





正直なところ。疲れきっていたのは、確かだった。
大鳳さん、雲龍さん。天城さんまでやってきて、瑞鶴と共に二航戦のお二方と膝を割って話し合って。
本格的な技術力の向上を目指すまでの基礎の部分を教えるのは、わたしたちの役割と決まった後は、文字通り、目が回るような忙しさだった。
それからそう時間を置かずに、敵地深くに切り込むような進撃の仕方をしていた主力部隊が最終的な勝利を持ち帰ってくれたのは、本当に感謝している。わたしが勝手にしてしまう心配をせずともよくなって、赤城さんの手間を増やしてしまうと申し訳なく思う必要が薄れて――自分の、いつもの哨戒任務と後輩指導にだけ注力すればいいというのは、とても助かった。
わたしたちが教わってきたことは全部伝えたい。できるなら、よりよいかたちで。もっと効率よく、負担にならないように、……そして、機動部隊としての記憶を殆ど持たない彼女たちが、臆することのないように。
思ったより厳しいわね。そう苦笑した赤城さんも。
翔鶴姉は気を砕き過ぎ! 考えても駄目なことだってあるんだから、絶対こっちが良いって! なんて、時に突っかかってくる瑞鶴も。
好きなようにしなさいとだけ言ってくれた加賀さんも、あんまりわたしたちがやりにくいようにはしないでよ? なんて脅してくれた飛龍さんも。飛龍も張り切り過ぎだって、なんて茶化して珍しく本気で飛龍さんを拗ねさせてしまって慌てていた蒼龍さんも。
みんな大切だから、誇れる同志だから。いつか、彼女たちも彼女たちの誇りを持って、肩を並べてもらえるように。
走って、走って、走り抜けて――そんな彼女たちに、自分たちだって並走するかたちになるのは、もちろん、当たり前でしょう?
今日も瑞鶴とふたりで笑いあった。まるで「あの頃」みたい。そんな、少し気恥ずかしくて、どこか面映い疲労感と達成感。
そのどちらをも引きずりながら、自室に帰るのがわたしだけなのは。あの頃とは大きく変わった点で、ふわりと思考に乗せるだけで妹が掴み取ったしあわせがきらきらと舞っている気すらする、喜ばしいことなのに。
障子戸を閉めた途端、かくりと膝が折れた。
張り詰めていた気が緩んで、ただ教官の任を終えて部屋に帰るだけのことにどれだけ力を入れていたのだと、ふっと漏れた自嘲の笑みすらこわばっていた。
湧き出た疲労感に抗うのも馬鹿馬鹿しくなって、誰にも見せられないほど乱暴に引っ張り出した布団に倒れこむ。こういうところが、瑞鶴とは完全に違う道を歩んでいることをとてもよく表していると思う。
いま、赤城さんに会ったって。疲れが回復するわけでも、やさしい気分になるわけでもない。
自棄のように思って、自業自得のくせに、そんな可哀想な自分に酔いかけすら、して。
これ以上嫌な女になる前に微睡みを。
そう思って落ちた先、ひどく幸福な――だからこそ醒めたときの気分は最悪だと夢の中ですらわかっていた――赤城さんと睦み合う夢を見た。





これは、ゆめだ。
夢だから、どんな風になったっていい。

現実から離れたところでひどく冷静に回る頭で言い訳をして、そっと手を伸ばす。
目の前の、赤城さんの幻に、まっすぐに。
両腕の重量感はどうにもおかしくって、くしゃりと顔を歪めた赤城さんの表情の方がもっとおかしくて。
ああ、心の奥底では、わたし。こんな顔をして欲しいって思ってたのでしょうか。
ざらり、触れた頬も、やはり夢現らしく、不思議な温度をしていた。
いつだって、ねつをはらむのはわたしばかり。わたしが喘ぐ。跳ねる。わたしが悶えて、叫んで、そうして、果てて。
赤城さんの顔はいつだって涙越しだった。その膜は、生理的なものだから、だから安心して流すことができた。甘くにじむ欲の紛れ込んだ液体。
その向こう側で少しばかり息を弾ませている、だから少なくとも興奮くらいは多少感じていてくれているらしい赤城さんに、差し出せない恋慕の蟠りは、もう、とっくに全身を巣食っていて。
だから。
こんな、しあわせなゆめのなかでくらいしか。あなたの顔をしっかりと、みることができない。
だから。
こんな、ここちよいまぼろしのまどろみにいてさえ、あなたは、非現実的なかたちをしている。


……あかぎさん、

なあに?





好きです。


なんて、睦言。
今まで、さんざん、言い合ってきた、もしかしたら口づけより軽いかもしれない戯言なのに。
息が止まるかと思った。
やわらかく微笑う、彼女に。
こんな顔は、瑞鶴さんの前でしか、妹を慈しむ姉としてしか、持ち得ないものだと思っていた。
わたしは、欲張りな女だから。加賀さんばかりでなく、瑞鶴さんだって羨ましい。
加賀さんのことをぎゅっと抱きしめている時も、翔鶴と笑いあっている時も。無いものは欲しい、わたしだって手に入れたい。加賀さんと言いたいことを言い合える姿も、翔鶴に、がんばろうねと拳を合わせている姿も。もらえないものは、余計に欲しくなる。
欲しいものは、沢山、たくさんあるけれど。でも、いちばん、欲しかったのは。
翔鶴の、この笑顔かもしれないなんて、思ってしまった。
まるで、――まるで。
わたしのことが好きでたまらないという笑顔で、わたしに手を伸ばされるなんて。







ぁ、……あ、


自分が喉を鳴らす音までが、遠いのはゆめだからだ。
むずかる声がじんじんと響く。下半身の震えはとっくにとまらないけれど、赤城さんをしっかり捕まえてしまったら、彼女はかすみみたいに消えてしまいそうだから。
だから開いたままの脚。その間に入り込んだ赤城さんは、さっきから、焦れったくわたしの淵をなぞるばかり。
それなのにこんなにもやさしい。いつもの苦しさは、目の前のかすみがかったもやの代わりに消えてしまった。指の腹全部と、かたい胝のあるてのひら、少しだけ骨ばっている手首、まるごと使って、やわらかくさすられている。


…っ、ん!

……あ、


蕾を一瞬だけ掠めたのは、どうやらわざとでは無さそうで。
ごめんなさいといわんばかりに少しだけ的確になった刺激。
とろとろと濡れたところが、焦れきって叫びたくなっているのを、宥めるように触れられたのは胸の飾り。
思わず息を詰めたら、ゆっくり、ゆっくり。感触を覚え込ませるように反復して触れてくる、右手はもうすっかりわたしのそこと同じ温度。
同時に舌先でころころと転がされるのは初めてじゃないのに、初めてのやさしさだから、ひくひく、跳ね回り方もわからなくて。
それでも揺れるからだが恨めしい。
だって、こんなの、――こんな風に感じきってしまったら。
醒めたらどれだけひどい後悔をするのだろう。
遠くで警鐘を鳴らす理性は、何の役にも立ちはしなかった。





あ……ぅ?
…ん、…ん……


ちいさく首を振ることで快楽を逃がす翔鶴は、泣きたくなるくらいに可愛かった。
本当に、いつも抱いてる翔鶴と同一人物なのか、心が怯えるくらい。
どうして。
……どうして。
寝惚けているから? 疲れて、いるから? 
わたし以外の理由によって。余裕が無くなれば、彼女は。こんな顔を見せるのか。
……それならば、わたし以外のひとは、彼女のこんな姿を知っているのだろうか。
流石にほかのひとに抱かれるような真似はしていないと信じたい、……そんなことまで疑い出したら、もう、終わりだと思うのに、昏い嫉妬が一瞬荒れ狂って身を焼いた。
びくり、大きく震えた彼女に我にかえる。ごまかすように目の前の膨らみの先を舐めれば、ふっとふたたびゆるむ空気。
安心したかのように、わたしの髪に、埋まるゆび。
制御できない身体がぞくぞくと震えた。彼女にこうして抱き寄せられたことなんて無かった。
……腕や手首を拘束していないときは、決まって彼女の手はきつくシーツを掴むか、声を抑えるために口を覆っていた。
そういう風に仕向けたのはわたし。だって、こういう風に抱き寄せてもらえるなんて、信じていなかった。
いつだって翔鶴は、遠いところで涙を流す。美しい肢体を美しいままにわたしに差し出して、確かに乱れてゆくのに、捕らえきれなくて。


はぁ……あ、…ぁ、……あ、


こらえることのない、ただ、漏らされていく吐息に混ざる嬌声が、こんなに甘いものだなんて。
直接塞いで、飲み込んでしまいたいと思うのと同じだけ、これを塞いでしまうなんてあまりに勿体無いと思って。結局ただ見つめるだけになった、そのまま、目が合ってしまった。
翔鶴の瞳に映る自分が、あまりにせつなそうな表情をしていて、かあっと首から上が熱くなる。
それにひどく嬉しそうな顔をした翔鶴が、わたしの後頭部に埋めていた手を、そっとすべらせて。
溢れんばかりに熱をもってしまったわたしの頬を包み込んできた。
どこからどうみても、口づけをねだる格好だった。





――ばちり。


夢の終わりが唐突なのはどうしようも無いけれど、何もそのまま叩きつけられるように目覚めさせてくれなくとも良いのに。
中途半端に寝入ってしまったあと特有の身体の重さ。それに伴って、……下腹部にべたつく不快感。
……ああ、最悪。
握り締めたはずの掛布が滑って、掌に強く爪が立った。
馬鹿みたいに痛い。だけど今はそれくらいで良い。正直こんな馬鹿な痛みでもないと、もっと、果てしなく愚かなことをしてしまいそうだった。
あまりにひどく寝乱れていた着衣を取り繕うために起き上がる。起き上がらなければ直せないような乱し方なのだ、もう、……本当に、どうしようもない。
瑞鶴は加賀さんの部屋だっただろうから、誰にもこの姿を見られてはいなかっただろうことだけが救いだ。
なんの慰めにもならない事実を上手にごまかして拠り所にするのは、よく慣れていた。
今日も、くるりと、不幸艦らしく。どうしようもない現実を他力によって最悪からひとつ良いものにしようと、したのに。
……ああ、駄目。いま、誰の前にも出られる気がしない。
薄暗くなった部屋の灯りをつける気力も無く、布団の上にずるずると座り込む。
夢の中で、あまりに陳腐に、下手くそに描かれていた幸福のかたちがちくちくとわたしを苛んだ。






…どうしよう。
……どうしよう!!

とてもじゃないけれど、あんな形で果てた翔鶴のそばに、そのままいられる自信がなかった。

自分の部屋には帰れない。かと言ってあまり妙なところをほっつき歩いてほかのひとにこの状況を見られるのも困る。とても困る。
加賀さんほどでは無いけれど、わたしだって人並み以上に見栄は張るし気にする方だ。……と、飛龍さんに言われたことがあるから、きっとそうなのだろう。
(都合良く人を踏み台にしないでください、と、相棒の声が聞こえたけど無視。あなたが瑞鶴さんといちゃついてなければわたしは気兼ねなく部屋に帰れてこんな事態も解消できるんですー。加賀さんのばーか。)
(……やっぱりそろそろ部屋、かえてもらおうかしら。)
(……わたし、そもそも、翔鶴と同じ部屋にいられなくて逃げてきたんじゃない……)

だって、もし。あのまま翔鶴が、我に返ってしまったら。
そうして、わたしのことを、さっきまでとは違う表情で、見つめたとしたら。

(……どうしよう。)


わたし、あの翔鶴がもっと欲しいって、思ってしまいました。
さっきまでの翔鶴じゃないと嫌だって、感じてしまいました。




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