防御力は貴女次第(陽炎×夕雲/学パロ)





私が爪を塗り始めると、彼女は決まって不機嫌になる。
一体いつ正面切って非難してくれるのか、それすら楽しみにしていた私としては、もちろん。
そんな可愛らしい訴え方ではやめる気などないし、いざまっすぐに伝えられたところで、はいわかりましたと言ってあげるつもりもない。


…きょうはなにいろ?

んう?


それくらいの覚悟と期待を持って興じる戯れは、おおむね私のためであるからして。
背中越しにかけられた声にびっくりしてしまって思わず取り落とす刷毛、
あ、っと、思う間もなく転がっていって、私の指と机にべったりと黄緑をつけた。


メインはオレンジです

…いっしょくじゃないんだ

ええ。


ふうとためいきをつくのはよしにして。
怒られるかしら、怒られるわよね。机にアルコールを染み込ませても、思うようには取れてくれない彩りのためのマニキュアの色。
せめてティッシュにかかるように落ちてくれれば良かったのに。
もっともいちばん悪いのは、後ろから不意を打って話しかけてくる陽炎さんの方なのだけれど。


終わったんですか?

うん、なんとか。

それじゃあ帰りましょうか。

…冗談?

まさか。


意地悪を意地悪と知ってやった人に、振り向いてなんてあげない。
今日の小テストが引っ掛け問題のオンパレードだったせいで少しだけ長引いた帰りの会が終わってすぐに、わざわざスポーツ科の教室まで足を運んであげたのに「明日配るプリントの準備と学級日誌がまだ終わってない」なんてのうのうと言い放つ陽炎さんには、廊下側の窓も戸も閉まった教室で、ツンとくる刺激臭を背中越しに無様に嗅いでいればいいんです。
プリントのホチキス止めに至っては、どうせ私が来るのを待っていたんでしょう。


えー、帰るの?

当たり前じゃないですか


せっかく持ってきた白いパールを模したシールも、メインの橙色すら塗られることのないままライトグリーンの爪が10本。
最後まで塗り終えなくてはさすがに不格好だし、中途半端な状態で陽炎さんの隣にいるのは恥ずかしい。……とても。


なんのために待ってたと思っているんです?

え、


そこでぽかんと口を開けてしまうから。
私は今日もこの人の前で、特進科の宿題を片付けるのでは無く、これみよがしに爪を塗ってみせるような真似をしなきゃいけなくなるんですよ。
今日も気づいてくれない、ひとつ上の先輩。
中学の卒業式(見送る方)と高校の入学式(迎えられる方)が少しだけほかの人よりも楽しみに出席できた、けれどもそれくらいでしか無い年の差を飛び越えてその見た目だけはいい横っ面、張り倒してやろうとはもう何十回思ったことかしれない。
ご自身の卒業式で泣くことも、私の入学式で笑ってくれることもなかった、一応は遠い親戚筋であるらしい陽炎さんは、そのどちらにも無駄に自信ありげで腹が立つような姿で私の前に立って、私に向かって手を振ったり広げたりしていた。
いま目の前にいる情けない人ととても同一人物とは思えないくらい外面のいい、本当に残念な人。


でも、だって、…つめ、

どうして「そういうこと」しか頭に無いんですか


ベースコートだけならともかく、本格的に色を乗せだしたらどんな甘い言葉を吐かれたってお断りするけれど。
イコール「今日は絶対にしませんから」のサインでもあるこの装備に、陽炎さんが渋い顔をする理由は勿論とっくに気づいているけれど。
どうしようもないことで姉妹やクラスまで巻き込んだ大喧嘩に発展した8ヶ月前のあの事件はいまだに許していないし、譲る気もありはしない、けれど。
けれど、そんなことばかりにこだわり続けているちいさいひとに今日こうした本当の理由を教えてあげることができないのは、そんな貴女のことが嫌いだからではなくて。
そんな貴女のことを嫌いになれない自分が腹だたしくて翻している反旗だから。


……つまり?

片道240円くらいは、持ってますよね?


帰るだけならほんの10分。寂れかけた商店街を経由したって、30分もあれば駅に着く。
うちの学校の生徒のための駅。小学校は冠する名が違って、短大はずいぶん離れたところにあるから中高の略称がそのまま駅名になってしまうくらいには片田舎にある学校の周囲は、まだお小遣いしか自由に使えない子供が楽しめるような施設はカラオケとファミレスとファーストフード店くらいしかない。
だから片道240円とくれば、辛うじて駅を経由してくれるショッピングモールへのお誘いに決まっているのだ。


…たぶん、ある。

……たぶん?

ある! あるってば、


うちの学校で付き合ってる子がまずデートに選ぶのは大抵ここで、友人間で遊ぶときもやけにたのしそうな父親や弟妹にあわせた家族サービスをするときも結局ここに落ち着くような郊外の要塞(と、昔秋雲さんが称していた)は、ふたりきりで手をつないで闊歩しようものなら翌週には学年中の噂になってしまっているくらいには皆の目がある絶好のスポット。
まずは切れかけてる蛍光ペンを言い訳に3階まで一気に上がって。
どうせ手持ちは足りないくせに、雑貨屋で通学鞄の品定めをして、
フードコートの端にあるクレープ屋で、ちょっとだけ背伸びして高めのラインナップに手を出して。
そういうことをしたって周りからは恋人なんて思われやしないんだから、得だし楽だなあと思うけれど。
ほんの少し寂しくなる割合は、たぶん陽炎さんより私の方がちょっとだけ多い。
だから固めるデートのための武装に、このひとが不満そうな顔をするのは、本当は、少しだけ嫌。
いつまで経っても、貴女は気づいてくれないから。


どうしてそこをごまかすんですか

いやー、
…あんまり、遊べないかなあって。


じゃあカラオケの方がいっかーとか、思っちゃうじゃん?
今から行ったって、昼間の安い時間帯はもうほとんど終わってしまっている。
そもそも部屋が空いているかも怪しい。……し、ふたりきりで行ったところで、果たしてマイクを握る気になれるかどうかはそれ以上に怪しいところだ。
(もう塗ってしまったので、肩を抱いたり唇を近づけてきたりしたら、遠慮なしにひっぱたかせていただきますので、ご了承を?)


…蛍光ペン買うのに、付き合ってくだされば

ん。りょーかい。


商店街の文具屋でいーじゃんと、言われなかったので心でほっと息を吐く。
貴女のお小遣い日は来週中旬って、ちゃんと知ってますから大丈夫ですよ。
そうだ、そういえば、もうすぐ舞風さんのお誕生日だったのでは?
それなら今日は「下見」でいいじゃないですか。
……どうして陽炎さんの方から気づいて口実にしてくれないんですか。馬鹿。


じゃあ日誌出してくるから

はいはい。


靴箱の前で待ってます、と、言えば頷いたかと思ったらあっという間に見えなくなる陽炎さんの後ろ姿。
さすがスポーツ科。いや、廊下は走ってはいけませんって、あれ、貴女がほんのひと月ほど前まで所属してた生徒会が貼ってる張り紙ですよね?
在籍当時からもちろんまったく守ってなどいなかったお馬鹿な恋人は、残念ながら今日もニブチンのままだったようなので。
貴女の前の座席の人に、あなたの机を汚してしまいましたごめんなさいと謝ってもらうためのネタばらしは帰りの車の中でしてもらうことにしましょう。
240円と乗り換えの手間をショートカットして、ちゃんと貴女の家まで送ってもらいますから。だからそれくらいは、被(こうむ)って貰わないと割に合いません。












--------------------------------------------------------------------------------------












inserted by FC2 system