どうぞ最後の一口は(赤加賀)






はい、あーん

…………え?


周囲がざわりという雑音を立てるのと同時にさあっと自分の血の気が引く音が遠く聴こえた。
スプーンを前にしてわたしはすごい顔をしていたはずだ。その自覚もある。何より目の前の赤城さんがわかりやすく瞬時に笑いを堪える顔になってくれたのだ。間違いない。嫌な予感というものは大抵よく当たるし今回のような状況では予感にすらならない。ただの実感、さりとてそれが救いになるかというとそんなわけにもいかず。助けを求める相手はここにはいない。ここでうろたえればうろたえるほど赤城さんが喜ぶだろうというのも予想ではなく確信の類だけれど、流石にこれは唯々諾々と受け入れられるものではない、のですが。


……あの、

はい、はやく

……あのですね、

往生際が悪いわよ


悪いと言うなら食い意地が。張っていると称してもまあ差し支えないだろうあの赤城さんが。恥ずかしながらこちらはあなたの食べてる物に嫉妬したことすら数知れずだというのに。それにそれ最後の一口でしょう。あんまりお好きではありませんでしたかというにはあまりにおいしそうに、つまりはいつも通りに食べてくれていたじゃないですか。味見をし合うときはいつも半分ずつに分け合うのが暗黙の了解――自分で切って小さくなった方を相手に回す――でもあったはずであり、そういうことを幾年も続けているくらいには彼女との付き合いは長い。加えて、非常に幸せなことに恋人同士という関係になってもうすぐ季節がふた回りする――そう考えれば食堂でこの仕打ちはおかしいことじゃないのかしら。いや、待ちなさい初心にかえるのよ加賀。あなた2分前に赤城さんのことを何と称したのよ。


……………ん、


赤城さんは食べることが好きで、たぶん私のことも好きで、困ったことに私を困らせることも大好きで。それらが載った天秤の軽重を必死になって理解しようとしていた頃もあったけれど、とても無理だと匙を投げたのすら今では懐かしい記憶になってしまったくらいにはそれも遠い過去の話。
大きな喧嘩こそしなかったもののそれなりには山も谷も経ながらも連れ添ってきた経験から、この口調は何があっても折れてくれないときのものだと既に悟っている身体が、爆発しそうな頭を宥めすかして強引に動いた。ような、軋み方をして赤城さんのスプーンを咥える。目に涙を溜めて笑っているのを左手で隠そうとしているのに、ちっともぶれない彼女の右手が恨めしい。外の喧騒の色が変わったのは肌で感じたけれど考えたくは無いので脳が受容することを拒んだ。


おいしかった?

…………その、ありがとうございます。


返事になってないわよと赤城さんは膨れたけれど。
味なんてもちろん、わかるはずもなかった。







はい、あーん

………ん。


あれからまた1周分と少し、季節は巡った。
好きなものを食べることが好きで、私のことも好きで、だからわたしに一口あげることも好きになったの、とは、今後はふたりきりの時にしてくださいというわたしの懇願を聞いてもらってから5回目か6回目か、時間で言うならば数か月くらい経ってからのこと。相変わらず私を困らせることも大好きなのは、もう、本当に困るのだけれど、羞恥に晒されている姿を晒すのが赤城さんに対してだけなら、その、我慢できなくは、ない。加賀さんがおいしく食べてる姿を想像しながら食べるとね、もっとおいしいのよとにこにこ微笑まれ、だから、答え合わせさせてくれてもいいでしょう? と、きらきらした瞳で言われてしまっては、そんなの、断れるわけ、ないじゃないですか。


……おいしい、

ふふ、でしょう


いまだに慣れないけれど。覚悟しておかないと自分の食べているものが喉を通らないどころか胃の中身が逆流しそうになるけれど。赤城さんが、その気に、なったときがなんとなくわかるようになってしまったから、その覚悟は勝手に――否応なくつけさせられるようになってしまった。デザートの類でなく箸で主菜を摘ままれたりするときは今でもたまに虚を突かれて不格好に動揺したりもするものの、今日のように器に入った甘味をひとつずつ、部屋に持ち帰って食べるなんて「いかにも」なときは流石に判る。というか、……してもらわないと、逆に落ち着かないかもしれない。


ごちそうさまでした

ええ、ごちそうさまでした


わたしは二重の意味を籠めて。赤城さんはわたしのその言葉を待って。
片づけます、と赤城さんの手中にある空容器を攫い、わたしのものとふたつ積み重ねたところで顎を取られる。……ふたりとも同じ味での口づけまでが、あーんからのセットになってしまったのは、何時からだっただろうか。
初めてされたときのことはもちろん覚えているし、たぶんされた回数も指折り数えれば思い出せるけれど。最初は新手の意地悪かと思うくらい飛び飛びに、されたりしてくれなかったりしたから、ごめんなさい、うまく言い表せないのよ。




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