湯煙旅情(瑞加賀、高雄妙高)








……あつ……

そう?


もう出ましょうか、他意無く返したら渋られた理由がなんとも若くて青かったから、つい噴き出してしまったら恋人に臍を曲げられた。そんな些細なことまでが可愛くて愛しい。


……いやですもん、

はいはい。


あとで何度でも入ればいいのに。そう告げる代わりに落とす口づけは我ながら甘い。口角が緩んだ状態でするのだからまた拗ねられるかと思いきや、同じくらい緩んだ口元に唇を寄せることになった。ついさっきまで海鮮に舌鼓を打っていた口内は先ほど零していた言葉の通り熱くて、私より温度が高いのが珍しくて思わず喉の奥で笑ってしまったら、今度こそ呆れたような鼻息が返ってくる。それでいて首筋を軽く擽ってあげるだけで機嫌のいいものに変わってしまうのだから、……もう、やっぱり愛おしくなってしまうのだ。慰安旅行だとか随分遅くなった新婚旅行だとか、エンガノ岬の亡霊を葬り直した記念、だとか。みんな好き勝手言ってくれたけれど。自分としてはあくまで日常の延長線上としてしかとらえてなかったはずなのに、私はどうやら、自認していたよりずっとこの小旅行に浮かれている。
湯舟の縁に先に座っていた瑞鶴に擦り寄って。彼女にもたれると感じる、骨ばった輪郭が心地よくて同時に少しばかり寂しい。いくら食べさせても変わらない体型は、少しばかり羨ましくて、それからそれと同じくらい胸の奥が苦しくなる。加賀さんが気にすることじゃないでしょう、とへらりと笑う見栄っ張りなところと、たまにちらりと零してくれるこの子の弱いところ、甘やかせば甘やかすほど目を細めて擽ったそうに笑ってくれるからこそ胃の中身がせり上がって鼻の奥がツンとして、身勝手に泣きわめきたく、なってしまう。


……ちょっと、

へへ、……いいでしょ?


だれも見てませんよと、上気した頬を蕩かした笑顔。……それはそうでしょうけれど。
貸切の温泉。矢鱈と高い(といってこの子は思いっきり渋ってくれた)個室備え付けの露天風呂、女将やスタッフが見ていたところでそれは見られているの範疇には入らないだろうし、つい癖で聳(そばだ)ててしまった聴覚その他感覚器官にも他人の気配はない。瑞鶴も気づいたのかふふふと笑われる、振動が背中越しに伝わって擽ったい。
ぐにゅ、と掴まれたままの胸がすこし痛い。あんまり、ここで気持ちよくなることは実は無いのだけれど。瑞鶴があんまりにも馬鹿みたいなにやけ面で幸せそうなオーラを醸し出してくれるものだから絆されて他のところをつい疼かせる、私の習性自体は既にバレているから彼女も遠慮なしに自分の好きなように揉み込んでくれる。そういえば、いつだったかその手のホテルに行った際、ちゃちな玩具で散々弄ばれたのは随分と恥ずかしい記憶だが、いっそあの手の機械的・規則的な振動の方が楽に浸れて良かったかもしれない、というのは、流石に本人には内緒にして墓場まで持っていきたい秘密では、ある。当人としては然程良さがわからない所有物ではあるが、あんなに執着されると流石に優越感に近い満足と悦楽くらいは……得ることができる。……気がする。


……そんなに拗ねないの、

……加賀さん、いつもそれです、


貴女だって、満足気な吐息を漏らしてるくせに。
もちろん通じた甘すぎる非難の目に気を良くしたらしい瑞鶴は、ちゅうと勢いよく音を立てて、所有の痕をつけた。ちょうど鎖骨と乳首の間くらい、隠すには易いけれど情事の痕以外であると誤魔化すにはとても無理がある、彼女曰く、そういう場所の中では一二を争うレベルで綺麗に痕をつけ易い、らしい、ある意味ではもう馴染みになってしまった鬱血痕を思いやって白い湯気に消える溜息を吐きながらつけられたであろうところを指先でなぞる。目の前の瑞鶴はごくりと喉を鳴らして唾をのみ込んでくれて、……貴女ね、この期に及んでそんな反応、
いくら何でも、可愛すぎるでしょう。


……や、かが、さ、


ひとの乳房を鷲掴んだままだった不埒な指を逆に鷲掴みにする。抓るようにしながら身を捻って首元に勢いよく噛みついて――ああ、別に痛くはしてないわよ、だから、そうね、むしゃぶりついて、かしら――頃合いを見計らってじゅっと音が鳴るくらいきつく吸い上げる。浴衣を少しでもはだけようものなら確実に見えるところ、子犬の悲鳴のような鳴き声をあげられてずくりと身体の芯が疼いた。
二人分の布団がきっちり隣通し、間断なく敷かれているだろう部屋に戻ったらいくらでも抱かれてあげるから。だから、瑞鶴。
とりあえず今のところは覚悟しなさい。













湯冷まし代わりに卓球でもしましょうか、そう提案したら拗ねさせてしまった。それなのに、じゃあ売店でアイスでも買う? と尋ねればとたん顔が輝くのだから、笑ってしまう。私としてはどちらでも構わない。くっつくを通り越して睦み合って、熱すぎる接触を少し冷ますだけの行為。知り合いが誰もいない場でこっそり手を繋ぎ、さっきまでよりずっと控えめな接触なはずなのにさっきまでよりずっと恥ずかしくて頬が火照ってしまったりする、それを指摘できるのはあなただけだけれどあなただって同じくらい恥ずかしそうな表情をきっと浮かべてくれているのでしょう、それを考えるだけで、とても心が躍ってしまうの。だから、そんなひとときが叶えられるなら、目的地は自販機のジュースでも売店の脇にあったマッサージチェアでもその隅に置かれていたレトロなゲーム機でも、なんでもよかったの。……だ、けれど。


「……あれ、」

「えっ……」

「あ……」

「わ、……こんにちは」


輪唱のようにこんにちは、と挨拶が連なって、当事者みんなでつい噴き出してしまった。
お互いに繋いでいた手は咄嗟に離してしまったけれど、同じように離れたあちらの指先はふっと溜息のような笑みと共に相手の腕に絡められていたのだから、敵わない。……そんな関係であったことすら、こちらは知らなかったの、だけれど。なるほどそこまでしっかり開き直れるなら、お似合いなのかもしれない。……いえ、正直なところ、考えたことすらなかったからまだ評価も判断も保留ね。落ち着きなさい加賀。


「ぷっ……、加賀さん、すごく面白い顔してますよ」

「…………だまりなさい」


ぐにゅと抓んだ頬はもうすっかり慣れ親しんだ感触。それに大袈裟な非難を表現してくる彼女の反応だって。この肌に先程まで私は馬鹿みたいな数の口付けを落としていたという事実はなるべく考えないようにして、出来る限りの「いつも」を表現しようと悪足掻きをする。瑞鶴、彼女たちにバレたくないとかそういうことじゃないの。私はただ、こういう不測の事態に、酷く弱いだけなのよ。事前宣告がある地獄ならいくらでも受け入れてみせるし、そもそも交戦ならばあらゆることを想定して臨んでいるつもりだから、そうそう不覚を取るつもりはないけれど。こういうのは違うの。わかって、瑞鶴。だから、私の手が嫌がっているとみるや否や肩を抱こうとするのは、


「……ふふ、ごめんなさい」

「…妙高、あなたね、」

「あら高雄。いいじゃない、」

「……そうね、いいわよ。
 おふたりは、おふたりで?」

「はい。
 ……っていうか、あなたたちも、そうだったんですか?」

「いやだ。今回がんばってくれたのは妹たちよ」

「そうね。私たちのは、……むが、」

「高雄?」

「……はいはい、」


絶対にかなわない相手にわざと暗い目つきをして抵抗してみせる、自分もしょっちゅう瑞鶴に向けられる後輩特権(で、先輩特権)を目の当たりにして思わず苦笑してしまったら、この場の残り3人が揃ってぽかんと口を開けてくれたものだから。とりあえず一番近くにいた恋人をぽかりと殴っておくことにしました。


「いったぁ!」

「行くわよ。これでいいのでしょう」

「それは加賀さんでしょ! わたしはいちごがいい」

「1個ずつ入って……る、から、」

「…………へへ、」


ここには彼女たちだけではなくごく普通の売店の売り子や一般客もいるのよ、瑞鶴?










……ん、ふ、……、


せっかく買ってきた飲み物がぬるまっていくのを時折思考の端に載せてしまうのは、部屋へ戻ってきてからの瑞鶴の求め方が笑ってしまうくらい性急だったからだ。あなた、よく、その情動を外で我慢していたわね。結局部屋に着く前にアイスはぺろりと平らげられてしまって。仕方ないわねと足を止めたエレベータフロア間近の自動販売機が、タッチパネルでやたらと操作しなくてはならずまごついていたのをおかしげに笑いながら彼女はすこうし甘えたな態度でこころなし擦り寄っていた、それくらいに感じていたわたしはもしかしたら大馬鹿者だったのかもしれない。それともこの子の理性を褒めるべきだろうか。とてもほっとする反面でほんのわずか寂しい気持ちになるのはわたしのわがまま、本人に言ったらきっととても嬉しそうな顔をして、そんな理性、どこかになくしてしまうだろうから。だから、内緒。


……かーがさん?

…うん、……はい、


ついと指先を彼女の喉に辿らせる。とたん目を細めて、でも誤魔化されませんよ、と瞳の奥で主張して。そういうところ、可愛げがないっていうのよ。好きなところ、だいじなところ、でももしわたし好みに作り替えられるなら、変えてしまいたいところ。封じ込めて愛玩したいわけではないから、その瞳はそれでいい。……器用に身を屈めて口元に運んだ、指先を咥えこんでちろちろと舐められるのをみているのは、どうにも、まだ触れられていないところが甘く疼く。


……かーわい、

………あなたねえ、


その間延びした言い方はやめなさいと前歯をつつけばがじりと反撃される。痛くないように極めて丁寧にされたその甘噛みに眉をしかめればにたりと笑われる。かわいいですもん、とまたひとの指をもごもご咥えて、ごめんなさい痛かったですねと飄々と、つたりと垂れた涎にしまったという顔をしてくれたから生意気な若人にもう片方の手で。


…いひゃ、

痛くしたのよ、

……もー、


促されたから離せば新たにつっと伝う唾液が、勿体ないと思ってしまったのがたぶん、よくなかった。ふいをうつかたちで瑞鶴は、わたしに。


……あっ!!


垂れ落ちた間近、胸元がどうやら次の標的。想定していなかった刺激に上がった声に目の前でみるみる上気していく頬を見せられては、一度自覚してしまった疼きを宥めることなど到底できようもない。自分でもわかる、誘うように腰がうごめいた。瑞鶴はあっという顔をして、それからさっきまでのにやけ顔とはくらべものにならないくらい、嬉しそうな顔をした。


……きよう、ねえ、

…なんの、はなし、……ですか、


すっと挟まれる右手も、喋りながら吸い付き続けている口も、いつの間にか絡めて固定してきている脚も、十二分に器用だけれど。あなたの、その、間違えないところ。ゆるゆると下着越しに擦られる刺激がとても具合よく心地いいところ、焦れてきた胸の先にちょうど良く歯が立てられるところ、それからそろそろ寂しくなってきた唇に、つっと移動して、貪りつくすように吸い上げてくれる、ところ。
貴女で良かったって言ったのよ。いま告げるのは恥ずかしいから、あとで、教えてあげる。



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