あなたには
眠りにさえつければ良い。
それだけの衝動だったし、動機だったのだ。
……っ、
唇を噛み締めるのは無意味だと悟ってから、やらなくなった。
痕が残るような真似をして痛くも無い腹を探られる程、割に合わないことは無い。
かと言ってたった二本しか無い手の一つを潰してまで堪えなければならない程おおきな嬌声をあげる羽目になるかというと否としか言えず、枕にそれを埋めてしまうにはどうにも息苦しい。
つまりは掛布の端を噛むことが慣習となった、他人にこと詳らかにするにはみっともない欲求不満解消の倣い性は、正真正銘それ以外の意味も理由も持たないものだったのだ。
……今日の昼日中、非番日の談話室で会話を交わした、あのときまでは。
……ふうん、翔鶴でもそういうこと、するのね
目の前でお菓子をつまむのと同じ軽さで呟いた赤城さんの真意など、無論図れようはずもなかったけれど。
いつもならばわからないなりにも予測のひとつやふたつはつけられる、そんな雑談の相方が彼女だけというのは本当に珍しく、――わたしよりは彼女の方が空母の面々にまで遠巻きにされているのだという認識で解決したいくらいの人気の無さだった――嬉しく無いわけではないのにそれよりもまず戸惑いが先に来る程度には遠い存在だった赤城さんは、朗らかに笑いながらとんでもない提案をしてきたのだった。
誰を想定しているわけでもないのならば、わたしで想像してみればいいんじゃない?
無駄としか思えない(と赤城さんご自身が昔言っていた)部屋に赤城さんがふらっと立ち寄ってはわたしにしょうもない話をしてゆくのと同じように。
今日の軽口を、なんでもないことだと聞き飛ばしてしまうにはわたしは彼女に心酔し過ぎていたし、それを口にしたときの彼女の瞳に魅了されてもいた。
…ぅ、……やっ、
――なるほど、これは確かに気持ち良い。
明確な相手を想定してから触れる手は、自分のものでありながらその制御から離れかけているとも思える有様で。
その昔、瑞鶴が打ち明けてくれた蜜事の真似事にも、加賀さんと蒼龍さんがまとめて飛龍さんにからかわれている艶談にすらぴんと来なかったわたしは、いま、はじめて、その実態を痛感させられた心地でいる。
…あ、かぎさん、
呼んでしまえばもっと気持ち良かった。
あまり性質の良くない夢を頻繁に見るたちとしては、ただ疲れ果てて眠りに落ちられればそれが最良だった。
この世に再び生を受けてからのごく新人時代、それから主力艦隊が疲弊しきってから選ばれた先の地獄という名の海域侵略。
そういった事象の狭間、平穏な時期はごく普通の艦娘に取って最高の瞬間であり、羽を伸ばし二度目の生を受けた意味を謳歌するときであり、わたしにとっての恐怖だった。
赤城さんはそんなわたしにごく近しい心境でいると知っていたから少しだけ気楽だったし、戦場での凛々しい姿を加賀さんが修繕ドックに縛られていた時分の数度は確かに目にしていていたから少しばかり気詰まりだった、今日の邂逅。
艦娘がこうして持て余した情欲はどうやら提督が一手に貪ることも多いらしい、そんな現実までついでのように教えてくれた赤城さんの笑みは眩しくて屈託して、どこか屈折していた。
ふ、…は、
優しく名前を呼んで欲しかった。
そうして認めて欲しかった。
それが並び立つことなんて無いって、劣情の先を向ける相手として提示されるずっと昔からとうに、思い知っていたとしても。
……翔鶴。
嗚呼、それなのに貴女の声はどうしてこんなにも、
……っ、……え?
……ふふ、いい顔。
布団の端を噛む癖をつけてからはじめて、明確な意図と意味を持って呼んだ名がその日のうちに正しく届いてしまうなど、いったい誰が予想しただろうか。
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