Alptraum(赤翔+Graf)






寝つきが良く無かったのは寒さのせいか、いよいよ母国の仲間と離されて空母寮に移されたからか、それとも明らかに三人以上収容できる広さの部屋に、ただひとり宛てがわれたからか。
どちらにしろあまり誇らしいことではない現実にため息をつきながらふらり、自室から出てしまったのがそもそもいけなかった。
その武勲に憧れ、姉のようだと勝手に慕い、生まれ変わっても変わらない強さに惚れ惚れしていたこの人の艶やかな素顔をこんな形で見ることになるなんて、全く、悪い夢の続きとしか思えない。


あら、どうしたの


どろりとした空気が流れていったのは、果たして錯覚だったのだろうか。


好いていた者がいた。
提督への信頼とは違う。もっと荒々しく、禍々しい、戦と切っては切り離せない癖にその外に漏れ溢れた関係までを欲っして望むような、焦がれるような、そんな感情だった。
日本語だけでなくこの国の常識や現代の事情、“うちの”ルールまでを丁寧に教えてくれる仲間の誰に聞いてもそれは恋愛感情だろうというに違い無いこの思いは、なるほどそうかもしれないと認めた上で、まあしかし成就させるつもりも長らく引きずるつもりも無いさ、と笑って返せる(だろう)くらいには自分の中で「落とし前」をつけたつもりだったものだった。
今でもありありと思い出せる、はじめて加賀と対峙したとき、奴が向けてきた視線。
あれは、私のこの感情が芽生え始めた頃のそれを見透かして、その上で忠告に近い憐憫を投げてきたものであったのではないかと思っている。
同情というには擦り切れすぎ、かといって“うちの”現状に失望している様子でも無いのが最初は不思議だった――今はもちろん納得している。いま目の前で組み敷かれている鶴の、妹の方にあれだけ真っ直ぐに愛されてしまっては、流石の加賀も陥落されずにはいられないというわけだ。
あれは何せ私よりずっと堅物だったそうだからな! ははは……
……話が逸れた。この国の言葉では、こういうとき、「閑話休題」と云うのだったか?


あまりいい趣味とは言えないわね

……悪かった。


……それだけで「踵を返さ」せてくれればいいものを。


待って。

……Warum?

あなた、
――私のこと、好きでしょう?


――どうしてそれを聞く。
真っ先に思ったのは確かだが、それは多分に「どうして、今」という問いに近かった。
着任後しばらくの態度で「それ」自体は半ば公の域に達しているだろうことは承知していたのだから、何も恋人がいるまさにその前でそんなことを改めて聞かずとも良いだろうに。
ここから全貌は辛うじて見えない白い肢体がびくりと震えたのは、戸を開けられてしまった寒さからでも、そうして私に見られている羞恥からでも無いだろう。


馬鹿なことを聞かないでくれ。


けして不埒な思いからなどではなく、
(「寝込みを襲う」だの「夜這い」だの、卑猥な表現を真っ先に喜々として教えてくる輩が多いのも遺憾ながらその手の言葉の方が記憶に残りやすいのも、残念な事実である、)
軽く一杯でもあるいは夜食でも、むろんどちらも無しでも構わないから起きていたら軽く話でもしたいと思ってこの戸を開けた、
数十分前の自分を私は、罵りたくてたまらないが、それでも。
――それ以上に。


ふふ、だって。


その先は聞きたく無い。
極めて平穏に、平温に、日常会話でしか無い遣り取りを恋人越しにしてみせる赤城は、とても美しかったから。
私の恋心の欠片のようなものは、そこでもう完膚なきまでにすり潰されてしまった。


あなたも好きよ?

……っ、

ねえ、翔鶴?


こちらに来て真っ先に覚えた名の一つである固有名詞を、とても綺麗に硬質に発音した女は、まるで知らない顔をしていた。
自分と同じ、艦娘で、自分と同じ、艦種で、――自分と同じところなんてまるで無いのに、本当は気づいていたくせに、その現実をこんな形で突きつけられるなんて、まさか、

……こんなの良いわけ無いだろう。
私の思いなどどうでもいい。(この国では「棚にあげる」というらしい)
とにかくえいやと放り投げて、無言で去るのは私の矜持が許さなかったから最後の挨拶(これは、いとま、だったか)をしようともう一度両者に目を向ける。

――息を呑んだ。

彼女は。翔鶴は、諦めた表情で赤城のことを見つめていた。


……赤城、

なにかしら

お前は、ひどい奴だな


やめてやれ、とは、とても、言えなかった。
私が彼女より前に着任していれば、と花ざかりの少女のような夢想をした記憶ごと、握り潰してしまいたいくらいの表情が、私より余程白いのでは無いかと思う顔面から首筋までを薄紅く染めた翔鶴を彩っていた。


ひどいことをいうのね

ああ、済まない。


だが、これを言わずに去ってしまえば、私こそが悪夢になってしまうだろう?
いつか、加賀もこんな思いをしたのだろうか。
そうであるならば。私も、いつか、


今日見たものはAlptraum。
すぐに忘れるさ

そう。
――誰にとっての?


嗚呼、こんなことを云うから。この女は。
お前を好いていたと、改めて告げることすら許さない口調に苦笑いを返せた私は、明日には悪い夢から醒めていられると思いたい。


……ぁ、


私は赤城を好いていたのではなく、赤城になりたかったのかもしれないと。
これ以上なく美しい白い絶望を焼き付けた網膜は、ぽつりと落ちたあえかな嬌声に今度こそ踵を返して過去を後にした。









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