艦オケin関西の翔鶴がやばかったという話(赤城と加賀/赤翔、瑞加賀)





会場に一歩、足を踏み入れると途端よく整えられた空調を肌で感じた。
仕事柄それなりの頻度で招待も受けるし接待をする側となったこともあるし、それ以前にプライベートでもチケットを手にすることがある程度には好きだったはずなのに、そういえばクラシックコンサートの類は久しぶりだった。
いったいいつから縁遠くなっていたのか。やわらかい絨毯の上にヒールを差し入れながら軽く頭の中をさらってはみたものの、解への糸口すら掴めそうにはなかった。もうすっかりオフとなってしまった頭では、回転数は少しばかり努力したくらいではあがってくれやしない。
それよりも、思い出すのは。直接渡したいものがあるのだと久しぶりに呼び出しを受けたとき、そして今日のチケットを手渡してくれたとき、とても、びっくりしたこと。
それから、同じくらいによろこびが一緒に訪れてくれたことに、とても、安堵したこと。

わたしはドレスや靴を揃えてあげるつもり満々だったのだけれど、もう用意してあるんですの一点張りで、それじゃあ少しくらい援助させてというお願いも断られて。

――それなら。ひとつだけ、貸してあげる。
当日、つけてくれなくたっていいわ。会場に持って行ってさえくれなくていい。
わたしが、あなたに似合うと思ったから、貸してあげるの。
わたしの特別な日につけるものでもあるから、使っても使わなくても、あとで返してね。

なんとも強引に迫った自覚はある。けれど同じくらい期待している。
翔鶴なら、きっと。わたしのお気に入りの口紅を引いてくれるに違い無い。

時折見かける知り合いに軽く会釈をしながら会場をぐるりと回り込んで、着いた席は2階席にしてはとても良いところだった。
知っていたけれど。チケットをもらった時点で自分で調べたし、わたしは、望むなら、自身でもっといい特等席を取ることだってできた。
もしかしなくても、翔鶴だって、関係者席として最良のものを取ることだってできたに違いない。
そうしなかった無言の理由はわざわざ呈示されるまでもなく思い知っているから、お互い、そうしなかったというだけだ。


……御機嫌よう。

……こんばんは。

それとは別に、ついさっき、階段を上がった先でまっさきに見えて気づいてしまった事実、つまりわたしはどうやらこの子と隣り合っての席らしいということにはなんとも納得しきれないまま、結局最後までわたしの接近に気づくことのなかった加賀さんに声をかける。
びくりと反応して、目を落としていた電子機器がぎゅっと握り締められたのが、少しおかしかった。
いつだったか、同じように驚いたときに跳ねた手から落としてしまって、ひどく慌てていたのを思い出す。反省して、反射で握り締めるように訓練でもしたのかしら。
加賀さんならありそうだから困る。


……一体いつからいたのよ、


わたし、これでも結構はやく来た方なのだけれど。


……いいじゃないですか、


わたし相手ではさすがにそっぽを向くことはできなかったようで、俯いた加賀さんの頬が赤い。
わたしたちとは違って一緒に住んでいるのだからそんなに急かなくても、と思ったところで、そうか一緒に来たのかしらと思い直す。
それにしては微妙な席ね。そこまでするなら、一番いい席から大手を振って聴けばよかったのではなくて?


瑞鶴は?

……無事に控え室にいるはずですが。

そうじゃないわ。
ちなみに翔鶴はピアノよ、

……パンフレットでご存知でしょう?

いいじゃない、

……その、これ、

加賀さんの口から聞きたいの。


凡そわたしに逆らうという思考を持たない加賀さんだけれど、瑞鶴が関わるとごくごく消極的な抵抗をしてくることがままある。
促しても消えない逡巡が、控えめな彼女の愛情の欠片で、こんなにわかりにくくて一体瑞鶴は大丈夫なのかと心配になったことも、一度や二度ではきかないかもしれない。
うまくやっているみたいですよ。くすくす笑いながら話してくれる翔鶴の「微笑ましい妹とその恋人」ネタは、加賀さんが彼女にとっては(彼女いわく)無条件で敬うべき先輩だということを加味しても十二分にコメディの様相であったから、最近は本当にそれってわたしの知るこの加賀さんなの? と疑問に思うことの方が多くなってきているのだけれど。


……ヴァイオリンです。

知ってた?

……はい。


翔鶴についてなら、彼女の演奏に限るならば、実はわたしは軍属時代から知っていた。
よく知っていた、とまで称すことができるかどうかはわからない。鎮守府の音楽隊に加わることも、地元住民との懇親の場で披露することもなかったが、それなのにどうやって時折音楽室にひとりで籠ることを許されていたのか。その手の休息を必要としなかったわたしは考えることもなかったから、彼女よりはよほど軍の規範に近しいところにいたはずの身なのに今でも謎のままだ。
一方で、よっぽどの機密であってさえ申請を出せば許可されるくらいの地位にいたわたしには、音楽室に入室することなど中に誰がいようと上への申請も誰への許可も必要としなかった。……同時に、彼女の弾く穏やかな旋律を身体に入れるのは、わたしにとって、とてもいい休息となっていた。
何回目かの侵入、まだ逢瀬と呼べはしなかった頃、人並みには爪弾けるのだと、はにかむように言っていたこの子が人並みと称すなら、それは良い音色を響かせてくれるのだろうと何度か好きな曲をリクエストしてはみたけれどいつだって頑なに固辞されて、その首を縦に振らせることはついぞ叶わなかった。

あの記憶が、まわりまわって今日のコンサートにつながっているなら、それはそれで悪くない。
座るとき、当たり前のようにわたしのカバンを預かって、小さな声で「赤城さん、お綺麗です」なんて馬鹿なことを言って来る加賀さんに有り難うと返しながら、それが普通では無いのだと知ってしまったことに誇らしさと寂しさを抱えながら。女々しくも同じものを買い直して塗った紅をそっと指先でなぞった。
似合っていたらプレゼントしてしまおうと思うけれど、わたしよりもこなれていたら、嫉妬してしまうかもしれない。








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勢いだけで当日up。
タイトルは後日考えて付け直します。









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