手のひらひとつの差(ミアプリ)






手を取り合いながら入ってしまっては、言い訳も難しい。
トルマリン亭の隠し部屋。……というほどでもないだろう、実際全く隠されてはいないが余人が入っても良いという雰囲気は皆無なオーナーの私室。応接室より休憩室に近い、ユニットバスとベッドまで備え付けられているそれは、かといって連れ込み部屋と断ずるには重要そうな書類が山と積まれた巨大な机と十全にその責を果たしている書棚が自己主張を激しくしていた。まあ、大変ですこと。プリシラオーナー。


「こっちのお仕事も、手伝ってあげましょうか。」

「残念ですが、妖精王国に帰属されてない方ですと別途書面で契約していただかないと、」

「んー、でも適当な事務屋に振れる仕事も随分あるんじゃない?」

「ここから選り分けて振っていますよ。ご心配なく。」


本当に?と目で尋ねれば随分素直な首肯が返ってきたのでどうやら強がりでもなくそう無茶な負担でもないらしい。よし。
では今からは書類仕事で、とはまさかならないだろうが、彼女が独り抱えがちなのは自明だ。ガス抜きを怠ると碌なことにならないのも、伝聞ではあるがよく聞かされている。親切心での忠告にまさかこいつの過去にはそんなに興味がないのよとも言えず、適当に了承してしまった手前全くの無考慮というわけにもいかない。


「わざわざこんなスペースを作って、ワーカホリックはこれだからいやねえ」

「別にそればかりでは、」

「ふぅん?」


たっぷり息を籠めて、わざとらしく。気づいたプリシラが小さく息を呑んだのを心地よく感じる。


「……期待はしていました。
 それだけで随分と捗ったのですから、まあ投資に見合う成果でしたよ。」


飄々とした言い方に戻ったプリシラの顔が思い切り逸らされていたものだから、くっくと笑って下から覗き込む。あらどうしたの、更に避けてもいいのに、それじゃあなたらしいと言ってあげられないじゃない。


「期待、してる?」

「……はい。」


かわいいこたえ。これは彼女の「ガス抜き」なのか、さて。












「きょうはやさしい、んです、ね、」

「あら、そんな気分じゃなかった?」

「いえ、いつもこれくらいで、い、…ぃっ!」

「……嘘ばっかり。」

「やさしいミアさん、好きですよ。わざとらしくて、……ふくっ、」

「そうね、わたしもかわいいあなたが好きよ。こんな、」

「や、……、め、」

「だーめ、」


耳障りの良い言い訳は幾らでも用意していた、筈だった。
彼女とはこの手の遣り取りで本音を汲み取ったふりをしては取ってつけた笑みで笑い合う、その仮面の向こう側で愛を叩きつける、随分と迂遠な関係を――いつまで保っていられたのだったろうか。
執着で縋り依存したがる私と、甘やかし潰すことで愛情を渡す彼女。嵌り切ってしまえば駄目になるとお互い気づいているから最後の言葉は発さないのだと、とって置きの十八番は与えないのだと――考えているのは私だけなのかもしれない。何度も重ねた自問に更問するのはよくない癖だと自覚しながら、これが私ですよと認めて欲しがる弱さが消えない。気づいて欲しい。呆れて欲しい。呆れた声で、顔で、罵倒しながら手を伸ばして抱き締めて欲しい。仕方ないわねと――嗚呼、駄目だ、


「っ、は、……ぁ、」


喘ぐのは楽だ。ミアさんも目を細めて喜ぶ。だから普段は我慢する――そうすれば、たまに我慢しないとき、とびきりの甘やかしをもらえるから。


「は。はぁ、あ、」

「や、っ、…み、」


いきたいのに。きょうのミアさんの指はもがく私を嘲笑うようにとてもささやかな刺激しか与えてくれない。彼女の指では奥まで届かないのは知っている、もともと好きなところでもなかったけれどたまにミアさんが生やして突かれるときはそれなりに気持ちいいけれど、精神的な充足が大きな割合を占める私の快楽には、とても足りない与えられ方。ひどい、ひどい。……きょうも。


「……ひっ、」


非難を口に出そうとした途端弱いところを一瞬抉られて、腰が跳ね上がる。ミアさんの体幹では当然軽くいなされて、ふふっと笑い声が落ちたのを悔しく思うのは反射。じりじり炙られる奥に心が悲鳴を上げる。いきたい、いきたい、でもきょうは。


「いい子ね、」

「…ぁうっ、……っああ!!」


そんなこと言われては。とても堪えられないと身を反らせた私に、あらと今度は意外そうな声。だって。卑怯です。


「そ、のことばは、」

「んー?」

「……卑怯です、みあさ、」

「そう? そうかしら、」


彼女が無自覚だったことにいともあっさりと絶望する。そんな自分に失望する。これが繋がりの一つだと思っていたのは私だけだったですかと、不格好な形で、愚かな私が甘えたがる。
ミアさんとのこの遣り取りはいつもこんな感じで、他所からみれば多分倒錯的にもみえるだろうけれど、甘やかされているように思える嬉しさが気恥ずかしさとプライドを遥かに上回って。嬉しいだけで無くそれで感じてよがってしまうのだから、私も大概だ。
続ける?という言葉にぶんぶんと首を横に振る。無理、もう、辛くてたまらないし、何より休ませて欲しい。


「――っぐ!?」


そう、という声はやさしかったのに。そろ、と中に入っていた指が同時に動いて、浮いていた親指が押さえつけられた。……もっとも、そう認識したのはずいぶん後になってからだったけど。
ミアさんの指戯が激しさを増す。さっきまでの焦らしに焦らし続けられるのとは真逆の苦痛。急転直下の状況に頭がついていかず、身体だけが勝手に反応を示しつづける。


「ひっ、あ、…あああ! あっ!」


秘豆をぐりぐりとされて、反り返った体勢から戻ってこられない。ミアさんを視界に収められるところにいたいのに。彼女の視線ばかりが熱い――いや、冷たい。じっと観察されて反応を探られている感覚が抜けず、それが心から気持ちよくてたまらないくせにわがままな欲望が覗く。
だめ、やだあ、たすけて、……助けて、ミアさん、もう、あ、また飛ばされて――











ぐったりと横たわるプリシラは、どうやら今日はもうこのままだらけるように決めたようだった。区切りの無い予定。なかなかに珍しい。ひょいと眉をあげてあげれば不貞腐れたように顔が揺れる。うなじが晒されるかと思ったが髪がぺったりとくっついていて叶わなかった。現れたからといって触れたかと問われると微妙なところだが。


「なあに、」

「……誰のせいですか。」

「あら、」


殊勝ね。これまた珍しい――というのは、喉の奥で飲み込んで。
甘えたがっている彼女の期待を折るためにここに来たわけでは無論無いから、髪の代わりに背中を撫でる。羽には触れないようさすさすと続ければ、ん、と、了承と受容の吐息が落ちた。
グルメフェスというお祭りが終わってもこの建物が営業を続けていくことは、なんとなく読めていた。夏に水着でしか訪れられない場所ではない。むしろ季節外れに宿に泊まりに来るような者たちこそが客層だといわんばかりの売り出し方。当時はそんなに彼女にも彼女の生み出すものにも興味が無かったから、そのどちらに対しても随分とひどい扱いをした――態々傷つけようとも思わないほど無関心だった。それなのにいま、こんなにもどっぷりと関わっているのだから、現実は皮肉だ。

そういえば告白もこの部屋だった――全てが老長けた阿婆擦れの企みであったなら。せめてお得意のにこやかな冷たさで畳み掛けるように話を進めていく、経営者の顔であったなら。私は良心の呵責無しに、呆れ顔ひとつで拒絶できたかもしれないのに。
その代わりに年端のいかないこどもが、お気に入りの砂のお城をみせつけて褒めて褒めてとねだるような、輝く笑顔が踊っていたのでは、もうどうしようもなかった。
どうしようもなくて笑ってしまえば、プリシラの幼い喜びが不安そうにゆらりと揺れる。ばかね。背伸びをして口付ければ慌てた顔。反発はあれど必ず納得尽くで契約書に判を押させる笑顔とは酷く隔たったそれは、何度後から思い返しても稚気としか呼びようのないかたちをしていた。


「あ、あのっ、
 ミアさんと、こうしたくてつくったわけでは、」

「うそね、」

「違うんですよ!!」

「あなたねえ、」


……そうなれたらいいとは思っていましたがと戦慄く羽根の素直さが、馬鹿正直な獣人の尻尾みたいだった。これは王国に所属してから理解したことだけれど、彼らは意外と個体差で変わる。
もう黙って、と重ねるようにキス。言葉も息も封じ込められたプリシラはばたばたともがいて、背中の薄いそれもまたぱたぱたとしているのも振動と音で知れた。きっと目も開いていれば白黒とさせているのだろう。閉じていたならぎゅうと薄目を開けて確認したかったけれど、我慢。
手探りでその付け根を擦れば、それだけでへたりと腰を抜かした気配。妖精だからという安直な発想が成功し過ぎてしまって、心配になる。この子は変なところで知識が欠落しているから。妖精にも繁殖はあるはずなのに、成長してこれなのだからそろそろ成体と言ってもおかしく無いはずなのに、基本的に異種族と交わらない彼女たちの性知識は危ういくらいに甘く、脆い。一度歓談の席――嗚呼あれも思い返せばデートのようなものだったのかしら――で薄暗い密室の気に当てられて匂わせた猥談を、怒るでもなく恥ずかしがるでもなくきょとりとした顔で返してきたプリシラを思い返してくつりと笑う。……そんな自分すらも思い返して、ねえ、入れ子みたいね。


「もう寝る?」

「……いいえ、」


だから、ミアさんも。
どうしてそう繋がるのかはさっぱりだが――舌戦を大得意とする彼女が舌足らずに手招きをしてくれるというのは中々クるものがある。まったく、仕方ないわね。すとんと頭をシーツに落とせば、ふわりとまた無防備な笑顔。回された腕に唇をつければ、小さく喉が鳴ってやがて恥ずかしげな気配が弾けた。


「わたしでよかったの?」

「きかないでくださいよ、」


……きょうは。
そう付け加える余裕があるなら今回もきっと大丈夫だろう。けして戻りきれないものにはしないという了解を建前にしながら、ずぶりずぶりと深みに嵌っているのにはお互い気づいている――もういい加減、そろそろ精算しないといけないのだろう。本当は。さっきまでの痴態から一転、無害な抱きぐるみとなりながら思いはするけれど、どうしても手放さなければいけないならきっといまこの瞬間にだって手放せるけれど。でもその喪失は最初に思っていた以上に随分と大きく深い穴になってしまった。この小さな手で、伸びぬ身体で抱えるには、幾分か過剰な程の思いを受けて。返して。交わっていたら。


「……言い訳がどんどん下手になるわね」

「……そうですね。」


わたしも、あなたも。


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