とうどのはて(ミアプリ)






こんなにも呆気なく満たされてしまうから、それがじわじわと漏れていく時間も泡沫のように感じてしまうのだろうか。


「いい宿ね」

「でしょう。また来たいですか?」

「そうね。いいかも」

「頼んでおきますよ」

「やあね、貴女とよ。」

「やめてください。……本気にしますよ?」

「……そんな顔して言わないの。」


惜しいなあと思いながら、でもきっともうミアさんとここには来ないのだろうなと思う。業務提携とは名ばかりの吸収合併計画は上々で、その後の運営を妖精たちにさせる気が無い以上私がここに複数回同じ相手――しかもどう見ても妖精ではない――と泊まるのは宜しく無い。
本日の名目は視察。腹心たちは裏事情まで知っている。
本当に精神的に参りかけている時しか行かない。ちゃんと実利もある所しか選ばない。私の馬鹿みたいな意地まで知った彼女たちは、ふにゃふにゃと泣き笑いの様な顔をしてくれたものだっけ。勇敢にも私を咎めてきたのは案の定リッピーで、でも他の皆も示し合わせたように援護射撃をしてきたから予め図られた役割分担だったのかもしれない。そういえば反論に近い進言は大体彼女から貰うなあ。うん、組織として良い成長だと思う。


「こーら。」

「っく、」


家族を思い出して柔らかな表情になったのだろう私を見咎めて、彼女の指が揺れる。無遠慮に擦られた羽根に身震いがした。そのまま髪が寄って、耳を齧られる。ミアさんはこれが好きだなあと目を瞑って受け容れる。見たくない時ばかり目に沁みた月光の残滓が瞼の裏にまだ焼き付いていた。
期待していなかったと言えば嘘になるとはいえ、夜の自然光がこれほど効くのは完全に予想外だった。国どころかろくな拠点すらなかった頃はごく身近だった月明かり。皆で輪になって踊った。他愛ない物を食べ細やかな事を喜んで笑った。懐かしいのはあの幸福感であって、あの頃に戻りたいわけではない。
だから僻地で代々踏ん張っていた家族経営の宿屋を買収もするし、行く行くは村ごと経済支配するつもりで布石を打っている。次の冬までには敷かれるだろう道は利便性と生活の質を飛躍的に良くするだろうし、けれど代わりに裏山の恵みや土着の風習を些か損なう結果となるのだろう。
今日のはずでは無かった澱が幅を利かせる前に、少し仮眠を取ろうかと掛布を引き寄せようとしたが片手だけで阻まれた。そのままするりとすり抜けられてしまう。


「せっかくだしもう一度入らない? さっぱりするわよ」


感じた寂しさが現れてしまった手の行方を、見咎めない代わりに掬い取りもしない彼女は艶やかな裸のまま伸びをしている。これが死人の肌だなんて悪夢のようだと、はたりと落ちた瞬きのうちにぱっと羽織られた子供用のバスローブ。するりと音がした気がしたのもにんまりした笑顔についた効果音も錯覚に違いは無いけれど。


「着せてあげるわ」

「……は?」

「せっかくの温泉だもの。」

「……いえ、ミアさん? 待っ……」


呆けているうちに白い大人用の方を取ったミアさんがにじり寄ってくる。悪い笑みは幼い顔立ちに似合わず、紫色の瞳は馬鹿みたいに敏い深さを湛えていて今度こそ現実の悪い夢だった。


「待ってくださいせめて下着を」

「着てなかった貴女の分なんか知らないわ」

「ミアさんは付けてたでしょう。そもそもミアさんはまだ、」

「いいじゃない、どうせ貸切なんでしょう?」


口を強引に噤まされる。先程までは幾らでも与えられていた感触は一旦区切られてしまった今では少しだけ怖くて、みっともなく喚き散らしたくなるのすら堪えざるを得ない矮小な身体。大きくなっても、力をつけても。所詮敵わない壁の向こう側にいる存在を、求めてしまったのは自分。
思うほどには思われないのは常の事、知った上で行動するようになってからは随分楽になったけれど。気づけば凍てついた羽根を丁寧に削ぐような恋愛ばかりしている。届かない相手にばかり愛惜して。


「んぅっ、……ぁ、」

「ほらまた沢山泣かせてあげるから」

「なおさら嫌ですよ!!」


個室でない空間で? これからお得意様になるだろう所で? 余人に今の私を見せる可能性を? そんな気は流石に起きる気がしない。多分この倍の薬を盛られても無理だ。そう自棄のように思った途端ふっと冷静になる。頭が働きだす。


「はぁ…………譲歩しましょう。」

「んー?」


一切の戯れ無しに着せられるタオル地の感触にさえ身を竦ませたくなる身体を意地で封じ込めながら睨めつければ小首を傾げられる。自分の優位を疑っていない表情だ。私も仕事ではよく使う手段、天才は素でやってくれるから質が悪い。
人払いまでがサービスに含まれている家族風呂用の鍵をサイドボードの引き出しから取り出してみせるまで表情を変えずにやり通したのは主導権を彼女から取り戻したかったからではなく、ちっぽけで私情にまみれた意地のためだった。







「火照ってきてたから丁度いいわね」

「っぁ、……ゃめ、……っんっ!!」


もうもうと湯気が立っていた筈の石畳は、最早自分でも判る程冷え込んでいた。
建物の設備は無事だろうか。あまり本気の心配でないということは恐らく大丈夫なのだろう。こういう嗅覚はあると自負している。目の前のミアさんは駄目なんですよねえ。逃避気味に考えたものの代わりの優秀さがいまどこで発揮されているのかを考えてしまって、良いようにされているという実感に呆気なく快楽が増幅された。


「薬の効果、切れちゃったかしら。」


愉しそうにいつも訊いてくるミアさんが好きだからいまだに秘密にしているけれど、あの薬に妖精の本質――私なら氷――を抑制する作用などない。割と有名な薬だから、門外不出の現物自体はともかく効果や製法くらいまでは直ぐに判るだろうに、ミアさんは肝心なところで抜けているというか自分の手の内に無いものへの興味を持たないが故の過ちを犯しがちだ。うちに正式に来てくれたら仕込み直すんですけど。まあ彼女の掌に乗っけて貰える未来も見えないか。
うっすらと白い床に膝をつかれる。さすがに冷たいわねと苦笑いをされて、腿に乗られた。流れるように両足を揃えられたかと思えば付け根に滑ってゆく丸々とした右手に喉がひきつる。じくじくと疼きながらも無警戒だった中に潜り込んだ指先は冷え切っていて、わざとらしく一刺し毎に指を変えてくる彼女に堪えていた吐息がみっともなく吐き出されていく。


「うぁ、…ぁ、ん、んぅっ、」


せめて声だけはと指を噛んでやり過ごそうとする。上目遣いで胸元から見上げながら指を動かしているミアさんと私の顔までの今の距離は結構に遠い。はあとため息をつかれたからひどくなるかと思った刺激の強さは変わらないまま、けれど指の数は容赦なく増やされた。咥えこむ質量で快楽が増したりはしない身だけれど、弱いところへの触れられ易さは格段にあがったのには違いない。幾本かで押される内奥とべったりと覆われた掌で転がされる秘豆から、耐え難いけれど堪えきれなくは無い熱がじわじわと私に染み入り侵食していく。
反復に慣れてきた頃、いつの間にか身を屈めていたミアさんにふぅと息を吹かれて全身が仰け反った。


「やあっ!!」

「ん、」


無言からのこういう不意討ち、本当にお好きなんだから。全く、誰の影響なんでしょうねえ。
最初の最初は雄弁だった。今から思えば道化かと思うくらい逐一、律儀に言葉をかけてくれたミアさんは回数を追う毎に意地悪の割合が増え、あれやこれやが暗黙の了解に置き換わると共に彼女も満足気に目を細めてくれるようになった。総計を数えることも無くなった頃には次の約束は不安がらずとも手に入るものとなり、転がるように私の我儘が増えていった。


「ぁ、……あ、」

「もう? いいけれど。」


くすくすと愉しそうなミアさんの首に手を回す。少しだけひやりとするのだから、私の浮かされ様も相当だ。彼女への上手な甘え方。恋人ならば当然だろうことを、真っ直ぐに丁重にしてみせること。
指先に力を籠めれば眼前の魔女が艶やかに微笑んだ。嵌まりきっているなあという自嘲はどろどろに甘く溶けた波に揉まれて薄れ、何もかもがどうでもよくなってくる。良い訳が無い。だから自制しているのに。


「っ―――!!」


ああ今回は焦らされなかったなと、もう慣れ親しんだ背骨の軋み方にふっと思う。







「流してしまって大丈夫?」

「…そのままにしておきましょう。じきに溶けますよ」

「えー、でもひとがたに残ってるわよ。犯行現場みたい」

「……いいですよ、もう」

「あなたの染みとか、」

「いいですってば、」


掛け湯のときに声を漏らしてしまったのを散々おちょくられた後ではもう本格的に投げやりになってきていた。ある程度ばれるのは当然覚悟してきているしそもそもそんなに隠そうと思ってもいない。どうして身体を流されている時に股間をまさぐられるのか。意味がわからない。あの体勢から人の涙までなめとっていった。わざとらしく吐かれた息は鼓膜と襟足を的確に苛めていった。


「そお?」


やけっぱちねえと笑うミアさんがするりと横に入ってきた。腰に回された手を押しやるのもだるくてその腕をなぞり返す。はぁとため息をついた唇を物欲しげに見てしまった自覚はあって、つかまれ直された指先へのゆるやかな愛撫は彼女から目を逸らすことで受け入れた。


「ほーんと、いいところね」

「そうですねえ」


言葉のやりとりをしたいがためだけの、気の抜けた会話。お湯にも空気にも幾分かマナが多いのは地下深くからロスなしで汲まれているからか。敷地内の緑が深いを通り越して濃すぎる陰を落としているのは客を選びそうかな。案を考えるのは後にしようかと、今は現状を覚えておくだけに留めて端の指をこちらから絡めた。
視線をさ迷せている最中にまだ生やされたままの男根がちらりと目に入り、沸き上がった嫌悪感に顔が歪む。気づかれたくなくて僅かな接触をほどき、彼女の死角となるよう身体をずらした。他の手段は無かったのかと何度でも自問するけれど、私の我儘に付き合わされるミアさんへの贖罪にも何にもなりはしていないのは理解しているけれど。結局お願いしてしまう偽物の真似事。愛のある二者でなどと贅沢を言うつもりは無い。貴女にも悪くない提案でしょうと嘯く資格などなおのことありはしない。
反吐が出る。我欲のためだけにそれをねだった自分に。ミアさんが私を使っているという事実、ただそれだけのために。


「何への後悔?」

「……そうですねえ、どう答えればミアさんを一番縛れますか?」


御座なりになった返しにミアさんがまた笑う。見当違いをしているに違いない、軽い軽い表情筋の運動。必死で作りあげてきた外面をこの場までに持ち込みたくは無かった。いくら目を瞑っても逸らしても逃れられない罪なら何ともないと笑ってしまおうと決めた意地までが、ぼろぼろに剥がれていく。


「あら、貴女のそんな顔が見られるなら。
 幾らでも付き合ってあげるわよ」


手放したはずの指先が髪を梳き頬を撫で唇をなぞり、更に落ちてゆく先に期待して熱が上がる。額の生え際にそよ風のようなキスが落ちたかと思ったら荒っぽく膝が押し込まれる。咄嗟に悲鳴は堪えられたと思ったのも束の間、そのままぐりぐりとねじ込まれて仰け反った。後頭部にしっかり添えられていた手にも乱暴に乱される。


「それでいいじゃない、……ね?」

「は、……ぅあ、」


誰かが無条件に幸せになれる魔法があるとして。それを迷いなく一番大切な人に使ってしまえるのが私たちで。それを迷いなく目の前に偶々いた不幸せな人にあげてしまえるのが、私たちが選んだ大切な人なのだ。ままならない、ままならない――幸せが凝縮され過ぎていて不安になる。一番を明け渡さない、明け渡さなくとも怒らない彼女の役に立ててしまっている自分に。そんな錯覚を得るためにねだった薬すら、いつしか日常に溶けてしまっていることに。
今日もこんなにも私ばかりだったのに。可愛がられる歓びと充足と、途方も無く昏い感情。強引に呼び戻される快楽は最早鈍い痛みに近く、口から零れた唾液を舐められる感覚の方が余程ぞわりとして水越しに彼女の肌に縋った。確かに傷をつけた感触は、生々しいのに今日も何処か非現実に近い。
さらりと髪先の感触が鼻先を擽り、耳朶を齧られた。傷の残らない痛みが雪礫のようにぱつぱつと落とされる。馴染んだ感覚。あからさまな痕を付けないミアさんが与えてくれるのは精々が双丘の膨らみか腿の付け根を吸われるくらいで、いつも私が唇や指を自傷する方が余程酷い。背や肩に爪を立てるのも大抵は私の方だから、所詮服を着る頃には消えてしまうそれは蚯蚓腫れにすらなってはくれない。本格的に逝かせる気は無かったようでぱっと解放され、今度は寂しさに唇を噛む。今度こそばれていなければ良い。


「好きねえ、それ。
 …続きはまた、ね」

「……ミアさんこそ、」


のぼせる前に出ましょうと手を伸ばしてくる彼女に、欲にまみれた手を重ねられるのは私だけだから。
今更告白なんて。このミアさんを手放さなくてはならないならしないままでいい。あと百年くらい勘違いをし続けていて欲しい。
泡沫を掬い続けて百年続けば、きっとそれは。私が知恵と権力を駆使して作り上げた外堀よりもずっと強固な鎖になってくれるだろう。







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